ゆるい日常系は別として、
映画には常にこの感覚があるべきだと思う。
つまり緊張感だ。
これからの一挙一動が、
状況に影響することがわかっている、
という感覚だ。
あるいは、向こうの一挙一動が状況に影響することがわかっている、
という感覚でもある。
あるいは、それにこちらは影響を及ぼすことができて、
こちらの一挙一動が向こうに影響する、
という感覚としてループしてもよい。
つまり、のっぴきならない状況ということだ。
ちょっと動いたらダメになるし、
ちょっと動かれてもダメになる、
ということでもある。
昔香港映画によくあった(今もある?)けど、
何人もの人々が、
同時に銃を取り出して、
色んな人に突きつけるカットを思い出すとよい。
誰かが発砲したら全員が発砲して、
ろくでもない結果になることが容易に想像されるので、
誰も動けない、
みたいなやつだね。
(ゲーム理論における均衡状態ということ。
三国志ですでに孔明が「天下三分の計(隆中策)」
とした、緊張の維持だ)
で、
実際のストーリーでは、
この状態だと話が進まないため、
表ではこのふりをしながら、
裏では違うことをやっていたりする。
あるいは、今それは効果がないが、
昔やったことが効果を発揮して、
少しあとに実現することもある。
今喉元にナイフを突きつけている状態ではあるが、
突破する方法はいくらでもあるわけだ。
また、プレイヤー全員が、
この状態を把握しているときと、
そうじゃないときでは動きが違う。
把握しているプレイヤーはそれ前提で動くけど、
それを知らない人は損したり、
逆に知らない人の強みを生かして、
線引きをやすやす超えて結果を出したりしてしまう。
それが面白ければなんでもいいので、
面白いほうを優先するとよい。
(この均衡に関してリアリティがないと、
嘘っぽいとなってしまうだろうね。
こういう突破の仕方があったか、という驚きが、
必要だともいえる)
逆に、一回この状態に至るまで状況を動かしていって、
均衡がある、と分ったうえで、
次の一手を行う、
という風にやっていくと、話が進むわけだ。
そのときに、
ぬるっとやっているとゆっくりしているが、
ナイフを突きつけるような何かしらの緊張があると、
緊張があったりほっとしたりを繰り返して、
緩急がうまくつくような気がする。
「あー緊張してきたー」
と人が思う瞬間はどういうとき?
それをわざと作っていくんだね。
喉元にナイフを突きつける行為は、
ナイフを突きつけられる行為でもある。
近接距離に踏み込み、
危険を誘発する行為である。
具体的に小道具としてナイフや銃を使ってもいいし、
発言や態度だけでそうなってもよい。
アクションを使ってもよい。
爆発やチェイスなどの派手なことから、
立つ、座る、腕を組む、何かを破る、
などの地味なことでもできるかもしれない。
2026年01月11日
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