2026年01月11日

喉元に刃を突きつけている感覚

ゆるい日常系は別として、
映画には常にこの感覚があるべきだと思う。


つまり緊張感だ。
これからの一挙一動が、
状況に影響することがわかっている、
という感覚だ。

あるいは、向こうの一挙一動が状況に影響することがわかっている、
という感覚でもある。

あるいは、それにこちらは影響を及ぼすことができて、
こちらの一挙一動が向こうに影響する、
という感覚としてループしてもよい。


つまり、のっぴきならない状況ということだ。
ちょっと動いたらダメになるし、
ちょっと動かれてもダメになる、
ということでもある。

昔香港映画によくあった(今もある?)けど、
何人もの人々が、
同時に銃を取り出して、
色んな人に突きつけるカットを思い出すとよい。

誰かが発砲したら全員が発砲して、
ろくでもない結果になることが容易に想像されるので、
誰も動けない、
みたいなやつだね。
(ゲーム理論における均衡状態ということ。
三国志ですでに孔明が「天下三分の計(隆中策)」
とした、緊張の維持だ)


で、
実際のストーリーでは、
この状態だと話が進まないため、
表ではこのふりをしながら、
裏では違うことをやっていたりする。

あるいは、今それは効果がないが、
昔やったことが効果を発揮して、
少しあとに実現することもある。

今喉元にナイフを突きつけている状態ではあるが、
突破する方法はいくらでもあるわけだ。

また、プレイヤー全員が、
この状態を把握しているときと、
そうじゃないときでは動きが違う。
把握しているプレイヤーはそれ前提で動くけど、
それを知らない人は損したり、
逆に知らない人の強みを生かして、
線引きをやすやす超えて結果を出したりしてしまう。

それが面白ければなんでもいいので、
面白いほうを優先するとよい。

(この均衡に関してリアリティがないと、
嘘っぽいとなってしまうだろうね。
こういう突破の仕方があったか、という驚きが、
必要だともいえる)

逆に、一回この状態に至るまで状況を動かしていって、
均衡がある、と分ったうえで、
次の一手を行う、
という風にやっていくと、話が進むわけだ。

そのときに、
ぬるっとやっているとゆっくりしているが、
ナイフを突きつけるような何かしらの緊張があると、
緊張があったりほっとしたりを繰り返して、
緩急がうまくつくような気がする。

「あー緊張してきたー」
と人が思う瞬間はどういうとき?
それをわざと作っていくんだね。


喉元にナイフを突きつける行為は、
ナイフを突きつけられる行為でもある。
近接距離に踏み込み、
危険を誘発する行為である。

具体的に小道具としてナイフや銃を使ってもいいし、
発言や態度だけでそうなってもよい。
アクションを使ってもよい。

爆発やチェイスなどの派手なことから、
立つ、座る、腕を組む、何かを破る、
などの地味なことでもできるかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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