あの人は〇〇だから好き、
あの人の〇〇なところが好き、
などとよくいう。
これは、「状態」、つまり時間的に変化しないところを好きだといことだ。
これは、物語=変化と、どういう関係にあるのか。
「〇〇というおはなしが好き」ということと、
「〇〇という人が好き」ということは、
実は同じにように見えて異なる、ということだ。
「〇〇というおはなしが好き」なとき、
ある設定だけが好きなのだろうか?
あるキャラクターの初期状態が好きなのだろうか?
ある場面前後の、全盛期的な雰囲気が好きなのだろうか?
これは、「○○という人が好き」ということと同一である。
こういう好きがあってもいいけど、
それは状態が好きなだけで、
ある状態から別の状態への移行、物語が好きなわけではないと思われる。
「ドラマが好き」という一定層には、これがあると思う。
つまりキャストが好きなだけで、そのドラマのストーリー自体が好きなわけではない、
というパターンだ。
だからドラマはストーリーに力を入れずに、キャストに力を入れ過ぎて、
一般人が、そのキャストを知らなくても、
初見で見るおもしろさが目減りして、
かつてほど皆が楽しむものではなくなった。
(もちろん、その反動で、どうにかしておもしろくしようとしている、という流れもある)
そのキャストたちが集まっている「状態」が好き、
キャストという状態たちがわちゃわちゃしている状態が好き、
ということである。
これは、猫がじゃれあっているのを見るときと、
同じ感覚ではないかと思われる。
状態が好き、という意味でね。
好きなものが何かしてれば、それだけで好きだということだ。
多くのBLや百合は、この状態の危うさやおもしろさを、
「状態」として描くことをやっている。
男女だと関係性が進行しないといけないので、
進行したら終わっしまうので、
終わらないために、BLや百合があるように思える。
「A×Bは永遠だな」という感覚があるように思えるのは、
おそらくそういうことだ。
男女だと、手つなぐ、キスする、セックスしたあとは、
喧嘩する、仲直りする、浮気する、などのイベントがあって、
あとは別れるか、妊娠して結婚するかくらいで、
状態が変化してしまう。
この「進行」を止めるために、BLや百合があるような気がするな。
だからアイドルは結婚しない。変化してしまうからだ。
いわば、年齢を止めている、ドラキュラと変わらないのだな。
昔のアイドルは25くらいで結婚していた。
25歳がクリスマスケーキ
(イブの24が終わったあとなのでバーゲンセール)と呼ばれていた時代だ。
そしてどんどん新陳代謝していた。
今は新陳代謝する金をかけるなら、
同じIPで稼ごう、ということだろう。
新規開発に金がかかりすぎるのかもしれない。
そうそう、IPも同様な感覚だ。
シリーズものは知財でありIPである、
みたいな意識があると思う。
これは状態である。
ガンダムは巨大IPである。
ファーストで生まれた人類の覚醒、
ニュータイプと人類の調和はいつまでも終わらずに戦争ばかりしている。
モビルスーツは戦争兵器であるから、
平和へと変化すれば使用しないはずだが、
ロボット戦争というIPのために、
なんだかんだいって戦争が起こることになっている。
これは、
「ロボット戦争という状態、人類の内戦という状態、
そこでニュータイプと旧人類の争いという状態」
を、永遠のループにしている、
ということだ。
つまり、決着という変化はなく、
無限ループになっているということだ。
これはXメンでも同じで、
結局ミュータントと人類の和平はなさそうだ。
僕はゲットーのようなところに入れられたマグニートーに感情移入したんだけど、
結局それは何にもなっていないことに、
かなり不満がある。
それは解消しなかった伏線なのだなーと。
結局、
「ミュータントと人類がいろいろ争う。
そしてミュータント能力で色々戦う」
という「状態」をキープするためだ。
同様に、サザエさん時空、ドラえもん時空、
クレしん時空などもあるだろう。
サザエさんは「日常」という状態だからいいとして、
本来ドラえもんには、「のび太をぐうたらから救う」があるはずなので、
それがどうなるか、がメインプロットなんだけど、
それはもはやないものとして、
「ジャイアンにいじめられたのび太が、
ドラえもんの道具を借りるが、
調子に乗りすぎて大失敗する」
という「状態」を繰り返し続けている。
「さようならドラえもん」が実質の最終回であり、
このときにのび太は変化した。
だから、変化したのび太には、もうドラえもんは不要であるので、
ドラえもん時空は続かない。
物語とは、その変化の瞬間を扱うものである。
しかし、状態が破壊されるので、
永遠にループしたいIPには向かないのだ。
さて。
人が好きになるのは、状態だろうか、変化だろうか。
両方なんだけど、
記憶は状態になりがちだと僕は思っている。
それは写真のせいかもしれない。
ネットには動画もあるが、
その動画はほぼ写真が動いているレベルであり、
何かから何かへの永遠の変化を描くわけではない。
だから、「状態の記録」でしかないわけ。
猫が何かした、かわいいー、というだけの、
状態たちだけが、永遠にネットにアップされ続ける、
ということだ。
変化はアップされにくい。
それを写真では表現できないし、
「ようし、変化するな」と変化前からカメラを回すことはかなり難しいからだ。
「氷に熱した鉄球を落としたらどうなるか」とかの、
実験動画はわりと変化前からカメラを回せるが、
変化が起こる前からカメラを回すことは、
今から変化します、がわかっていないと難しい。
ということで、変化は動画になかなか残らないだろう。
たとえば○○が男になった瞬間、などは動画にならない。
(そもそもその出来事がそうであるかはわからないし、
そういうのはあとで振り返るとあそこだったなあ、
などと思い出すものにすぎない)
というわけで、
状態ばかりがあふれることになるのだと思う。
物語の何が好きなのだろう?
イチャイチャする状態だろうか?
こういう設定という状態だろうか?
それは、あくまで「猫が出ていますよ」という要素に過ぎない。
物語は変化である。
ある状態がある状態へ、永遠に変化してしまうことだ。
そしてその意味はどういうことなのか、
という暗示があることだ(テーマ)。
成長だったらこの成長にどういう意味があるのかとか、
没落だったらどういう意味があるのか、反省会なのか、とかだ。
それらを問うことは、万人には難しいのかもしれない?
だからテレビは、頭の悪い人にむけて、
人気芸能人たちが、そのキャラを崩すことのない、
状態だけのドラマを量産したのかもしれない。
(作り手も同様のことを考えてたかもしれないが)
つまり、ドラマのバラエティ化といってもよいだろう。
バラエティは、人気キャラたちがわいわいする状態を楽しむものだ。
キャラ変はほぼない。
あるキャラの奥に、隠していた別キャラが出てくることもあるが、
基本は同じキャラを永遠に演じることだけだ。
だから長期政権が築けるということだろう。
つまり、芸能人たちは「そのキャラ」で長期的に稼ぐのであり、
それを変化させたら商売のタネがなくなってしまうわけだね。
だからドラマに出るときも、そのキャラが崩壊するものには出ないし、
それをやれるのは役者という変化する覚悟ができている人だけだろう。
CMの契約も、変化してはならないわけだ。
ビールの契約をしているときに、酔っぱらって事件を起こしたら一発アウトなわけだね。
状態が崩れるからだ。
僕は彼が「酒に飲まれるな」という啓蒙CMをやるべきだと思っているが、
そういう風なコミュニケーション自体を嫌う傾向が最近あると思う。
変化はリスクだと思われている。
ということで、日本は何十年か変化しない、
失われた何十年の国になったのかもしれないが。
(その代わり何かを保存している国にはなっている)
さて。
物語とは変化である。
ある状態から始まり、別の状態になり、
もとに戻れる予感がありつつもまた別の状態になり、
状況が変わるのでまた別の状態になり……
を繰り返して、
最終的には、もとに戻らない、
永遠に変化した状態になるものである。
もしストーリーがうまくいかないと思うなら、
「状態のキープ」をしようとしていないか、
をチェックしてみてはどうだろう。
最初に設定したキャラクターを変化させたり、
裏の面が出てきたり、キャラ変するのを怖がっていないか、
ということだ。
作者にとって初期設定は、
壊すためのおもちゃのようなものだ。
最初のおもちゃ状態をキープしようとしているのなら、
あなたは芸能人か猫かバラエティか、
人気商売に向いている。
初期設定は、まだ調理する前の材料、素材のようなもので、
初期設定のほうが魅力的ならば、
あなたの料理が下手なだけなのだ。
2026年01月13日
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