2026年01月18日

地味なシーンをつなげていくと、派手なシーンにつながっていく

執筆をしているときに、地味なシーンばかりになって、
落ち込むことがある。
それは今まだ「谷間」を描いているのだ、と自覚しよう。


派手なシーンは映画の華だ。
それがイコンになり、名場面になる、
ハレの場面である。
だけど、現実はケとハレの組み合わせでできている。
ハレばかりでは人生ではない。

ハレで代表的なのは、戦闘シーンや緊張感の高まるシーンだろうか。
そればかりではストーリーは進まない。
ケのシーンも必要なのだ。
逆に、その起伏こそがストーリーであるということを、
想像しておくとよい。

つまり、今書いている地味なシーンは、
ハレから次のハレにつながる一連の地味なケの一部であり、
たいしておもしろくないのは当然だ、
と割り切ることもテクニックということだ。

この地味なシーンが続くならば、
いずれつまらなさに押しつぶされ、
つまらない作品になってしまうのではないか、
と恐怖することはよくある。
最初は派手に書けたのに、
どんどん地味になっていって、にっちもさっちもいかないのだ、
という悩みは、とてもよくあると思う。

なので、
「今書いているのはつなぎの地味な部分である」
と思えると、
その何も起こってなさに耐えられるぞ、
という話だ。

実際、そのシーンがなくたって、
話が進むのならば、カットしても構わない。
とりあえず書いておく、というのは重要だ。
その次の派手なシーンにたどり着けば、
それは必要だったとあとでわかる。
(もし不要だったとわかればカットすればいいだけのことだ)

ストーリーというのは逆算なので、
ある場面から見たときにその前のが必要だったかどうかは、
未来のそのシーンにたどり着かないと判断できない。
なので、まだその未来の来ていないシーンがない以上、
とりあえず書いていくしかない、
というのはわかっておくといいだろう。

地味なシーンが3続いた。
5続いた。7続いた。
俺には才能がないのではないか、
と不安になり、もうやめてしまおう、
なんてことはとてもよくあることだ。

まず、(すでにプロットで予定されている)派手なシーンにたどり着くことだ。
そしたら、地味なシーンも光の前の暗い部分として認識されるかもしれないし、
いらないとわかればカットしてもよいわけ。

執筆の目的は、
「今最高の脚本を書く」ではなくて、
「最高の脚本のたたき台になるようなものを書く」
だと思うと、
「まずはその派手なシーンにたどり着くかー」
と思えるので、
精神安定上たいへんよろしい。

まあ、地味なシーンはコツコツ書くことだ。
あとでまた改変する可能性はあるが、
「このシーンでこれを実現しておく」とか、
「このシーンでこういう情報を前振っておく」とかの、
整理をするためにも、
ないシーンで議論することはできない。
改良のための地ならしをしているのだ、
と思って、ひたすら書くことだ。

地味なシーンは、いずれ派手なシーンにつながっている。
ラストまで派手なシーンがないなら、
それはプロットが間違っているので、
再計画をしたほうがいいかもね。
posted by おおおかとしひこ at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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