執筆をしているときに、地味なシーンばかりになって、
落ち込むことがある。
それは今まだ「谷間」を描いているのだ、と自覚しよう。
派手なシーンは映画の華だ。
それがイコンになり、名場面になる、
ハレの場面である。
だけど、現実はケとハレの組み合わせでできている。
ハレばかりでは人生ではない。
ハレで代表的なのは、戦闘シーンや緊張感の高まるシーンだろうか。
そればかりではストーリーは進まない。
ケのシーンも必要なのだ。
逆に、その起伏こそがストーリーであるということを、
想像しておくとよい。
つまり、今書いている地味なシーンは、
ハレから次のハレにつながる一連の地味なケの一部であり、
たいしておもしろくないのは当然だ、
と割り切ることもテクニックということだ。
この地味なシーンが続くならば、
いずれつまらなさに押しつぶされ、
つまらない作品になってしまうのではないか、
と恐怖することはよくある。
最初は派手に書けたのに、
どんどん地味になっていって、にっちもさっちもいかないのだ、
という悩みは、とてもよくあると思う。
なので、
「今書いているのはつなぎの地味な部分である」
と思えると、
その何も起こってなさに耐えられるぞ、
という話だ。
実際、そのシーンがなくたって、
話が進むのならば、カットしても構わない。
とりあえず書いておく、というのは重要だ。
その次の派手なシーンにたどり着けば、
それは必要だったとあとでわかる。
(もし不要だったとわかればカットすればいいだけのことだ)
ストーリーというのは逆算なので、
ある場面から見たときにその前のが必要だったかどうかは、
未来のそのシーンにたどり着かないと判断できない。
なので、まだその未来の来ていないシーンがない以上、
とりあえず書いていくしかない、
というのはわかっておくといいだろう。
地味なシーンが3続いた。
5続いた。7続いた。
俺には才能がないのではないか、
と不安になり、もうやめてしまおう、
なんてことはとてもよくあることだ。
まず、(すでにプロットで予定されている)派手なシーンにたどり着くことだ。
そしたら、地味なシーンも光の前の暗い部分として認識されるかもしれないし、
いらないとわかればカットしてもよいわけ。
執筆の目的は、
「今最高の脚本を書く」ではなくて、
「最高の脚本のたたき台になるようなものを書く」
だと思うと、
「まずはその派手なシーンにたどり着くかー」
と思えるので、
精神安定上たいへんよろしい。
まあ、地味なシーンはコツコツ書くことだ。
あとでまた改変する可能性はあるが、
「このシーンでこれを実現しておく」とか、
「このシーンでこういう情報を前振っておく」とかの、
整理をするためにも、
ないシーンで議論することはできない。
改良のための地ならしをしているのだ、
と思って、ひたすら書くことだ。
地味なシーンは、いずれ派手なシーンにつながっている。
ラストまで派手なシーンがないなら、
それはプロットが間違っているので、
再計画をしたほうがいいかもね。
2026年01月18日
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