2026年01月26日

感情を整理する時間

脚本にズレがある、ないを判断するのは難しい。
そういう時は、作者の感情の流れと、
観客のそれがずれているときだ。

観客は初見である。その情報や感情を、初めて見るのである。
一方作者は何回でもそれを体験しているため、
それはそれとしてしまう。


観客は初見である。
その感情に初めて接する。
だから、それを自分の中で整理する時間が必要だ。

たとえば笑いがあるとする。
これは面白いよな、と確認する時間がある。

続けてさらに面白いことが起これば、
ああ、ここは笑っていい場所なんだ、
と安心して笑うようになる。

笑いは一か所だけではない。
たいてい笑いは連続する。
それは、おもしろいことが連続するほうがいい、
というのもあるけれど、
「ここは笑う場面なのである」と、
観客の理解が、今起こっていることよりもやや遅れることに起因する。

ドッカンドッカン行くかは、色んな条件が必要だけど、
別にそこまで温度が高くなくても、
笑いというのは笑っていい、という安心が必要だと思う。
その、安全確認に一発の笑いよりも時間がかかるのだ。

猫は狭いところが好きだ。
そして必ずその安全確認を怠らない。
猫は人間よりも睡眠時間が必要なので、
寝る場所を確保するために、時間をかけるのだ。

そんな風に、
人間だって、「今笑っていい場所」というのを確認するのに、
時間がかかるわけ。
もちろん、お笑いライブに来ているならば、
笑っていい場所という安心感があるから、
すぐに笑い始めると思う。(ネタが面白ければね)

でも映画というのは、
「ここで笑っていい場所なの?」というのにやや時間がかかるだろうね。
シリアスな場面のあと、疲れているときは、
リリーフとしての笑いが必要な時がある。
そのときに、一回だけ面白いことをいうのではなく、
何回か別の冗談を入れたほうが、
あー、心底安心していいんだ、とおもったりするものだ。


泣きもそうだ。
ここは泣いていい場所なのだろうか、
と時間がかかるので、
たたみかけていくのである。
驚きはどうだろう。一瞬で驚くだろうが、
そのあと、「それはいったいどういうことなのだろう」と、
遅れて感情が来るはずだ。
その驚きへのリアクションにうまく答えていないと、
次への感情の誘導に失敗するわけだね。

怒りは?
理不尽なことがあって、これはおかしい、
と怒りに変わっていくとして、
それがもっと強くなっていくには、
さらに理不尽なことがあったり、
普通と対比したりすることで、
「ここは怒っていい場所だ」と思っていくだろう。


つまり、
人間というものは、
いっときの感情が起こっても、
「それは自分の間違いかもしれない」
という冷静さもあるということだ。

「いや、その感情は正しい、だからここでそれを解放してください。なんならエスカレートします」
というのが、
うまい脚本というものだということ。

淡い恋心が生まれた瞬間があったら、
それが徐々に増幅していって、
甘い恋の話になっていくのだ。
こいつ殺す、というほどの恨みが生まれたら、
それがどんどん復讐劇になっていくものだ。

そうして、ある一点の感情があったら、
それをうまく増幅していって、
「これはそういう感情のパート」
という風に、観客がついてこないと意味がない。

へたくそな人は、
観客の感情が、やや遅れてくることを理解していないので、
感情A、感情B、感情Cと、
自分のペースでストーリーをコントロールしようとする。

色々詰め込みたくて、
脚本をカットしているときも同様だ。
〇〇から〇〇を〇〇ページで終わらせなければ、
という義務感から、ついつい端折ってしまうことがまれによくある。
だけどそれは、感情を大事にしていないカットになることがとても多い。
だったら、感情Bを抜くとかしなければならない。
感情が発生する時間がある、
ということを常に把握していないといけない。

それは何分とか、何秒とか、決まっているわけではない。
あなたがその場面を初めて見た感覚で決めるしかない。
初稿では大体それがうまく書けているものだが、
何度も書き直していくうちに、
このほうがスムーズだから、などのように、
流れをスムーズにすることだけに注力してしまい、
観客の感情が遅れて来ることを、理解していないことがとても多い。


もちろん、遅すぎるのもよくない。

とっくにその感情に飽きていて、
次の感情を求めているときに、
まだそれをこすっているとか、
次の強い感情が来なくて迷走ししているとかになると、
それはまた退屈になるわけだ。



観客の感情をまとう。

面白いことを言いますよ、
言いました、じっと観客を見る、笑ってる、
よかった、
さて、その流れを止めないようにまた面白いことを言いますよ、
笑った、次も面白いことを言ってほしいと期待しているでしょ、
じゃあ言います、ほらね、大爆笑。
よし、ペースに乗った、
矢継ぎ早に爆笑ペースだ。

そんなコメディアンの感覚に近いのかもしれない。

次も言います、あー、滑った。
滑ったけど、それもネタにして、爆笑の流れは止めず、
いったん休んでまた別のネタで笑いの温度を上げていく、
みたいなアドリブも必要かもしれない。


いずれにせよ、少し遅れて来る。
それでよいのか、確認する時間がある。
秒単位か、数秒単位か、それとも他の状況を見てか。

それは間であることもある。
ちょっとしたセリフのやり取りかもしれない。
あることを進行しているときに、
少し理解の時間を置くことかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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