2025年12月24日

なぜ小劇場が流行ったのか

ひさしぶりに小劇場といえる演劇を見てきた。
学生時代、小劇場なるものが流行って、
京都の学生街では学生の小劇場がいっぱいあって、
それに足しげく通ったものだ。

小劇場と、大劇場(と仮にいう)は、何が違うのか。
僕は、発声の仕方だと思った。
この発声の仕方で、物語の規模が変わるよね。


まず、大劇場を考えよう。
伝統的な、一杯入る観客の前でやる芝居である。
これは身振り手振りを大きくして、
発声をしっかりして、遠くに届けなければならない。

だが、これは大げさである。
日本人のコミュニケーションからしたら、
外人みたいになるわけだ。
僕が子供のころ、宝塚劇場の生中継なんかよくやってたけど、
宝塚みたいな(大げさな)演技、
と僕はよくいうことがある。
そんなの、リアルにおらんやろ、ということだ。

だから冷める、というわけだ。
タモリはよく「ミュージカルが嫌い」という。
そんな、リアルに急に歌うやつはおらんやろ、
ということだ。


小劇場がなぜ流行ったのか、の答えがこれである。

つまり、小劇場は、芝居や発声が大げさじゃなくて、
リアルな発声をするんだよね。
客が数十人規模だから、
小さな空間でしゃべれる音量でしゃべる。
だから芝居がリアルに近づくわけだ。

実際のささやき声とかまではいかないにせよ、
我々観客は、「おおげさな宝塚演技」ではない、
実際のリアルに近い芝居を見ることができるわけ。

だから流行ったんだと思う。
リアルがそこにあるんじゃないかと。
逆に、大げさなものはおなかいっぱいであると。


コンパクトカーの流れに似ているかもしれない。
そんないっぱいはいらないです。
リアルに使えるやつが欲しいです、みたいな流れだね。


だけど、だ。
このブログを読んでいる人には、
感情移入は、どんなものでもうまくやればできることを知っている。
宝塚は感情移入できない、リアルじゃないから、
といっている人は、
感情移入の何たるかを知らないわけだね。

宝塚にも感情移入させられるのが、本当の脚本というものであり、
つまり、大劇場は、感情移入に至るだけの、良質な脚本を毎回用意できなかったから、
飽きられたのではないだろうか。

そこの隙間に滑り込んだのが小劇場であり、
リアルが流行ったというのはそういうことだと思う。


で。

小劇場は、物語の規模が小さくなる。
リアルでやれる範囲のことになるからだ。
これはつまり、ハリウッド映画と邦画の関係に似ている。
リアルかもしれないが、しょぼいのである。
逆にハリウッド映画は、演技が大げさだけど、
大規模なスケール感のある話なのだ。

小劇場は、日本人にあっているのかもしれない。
リアルで、半径2メートルの話で。

だけど、邦画ばっかり見てたら気持ちが小さく縮んでしまうよね。
ハリウッド大作があるから、やっと邦画が成立しているようなものだ。

大作のようなでかい規模は、日本だとアニメしかつくることができない。
鬼滅の刃は、だからハリウッド映画を日本でつくったわけだ。
だれも鬼滅の刃が、大げさな宝塚演技とか、リアルじゃないとか言わないでしょ。
そういう世界のものは、そういう世界として受け入れて見るものだからね。


ストーリーの規模に応じた、芝居というものがある。
それだけのことである。
小劇場は、劇場の規模の問題で、
小さなリアルな芝居しかできない。
大げさな演技は、寒いことになりそうだ。
でも寒いのを覚悟して、大規模なスケールの大きい話をやっても悪くないかもしれないね。
(ただ、予算と収入がかみ合うかは知らない)

まあ、ざっくりいうと、
ウサギ小屋の住人はウサギ小屋の規模の娯楽を楽しむわけだね。


それはつまらない、
スケールの大きなものをするべきだ、
という人もいるだろう。
そういう人が、日本の演劇だと大劇場でやるだろうし、
アニメだと大作を作るだろう。
日本の映画だけが、しょぼい範囲でひいひい言っている気がする。
まあ、なんとかするしかないのだが。
posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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