遅ればせながら見れた。
ラストの一言につきる。
あれが最高だな。
以下ネタバレ批評。
人生いろいろありました。
それを説明せずに、
たった一言でいいます。
そういう風になるととても良い。
この映画だと「みてて」の一言だよね。
たった3文字。でもそれに込められている思いは、
観客全員がわかっている。
それがとてもよかった。
色んな人が死んでいって、
それでも彼女は踊り続けて、
ついにいいところのオーディションにたどり着いて、
それで舞台袖でつぶやくこの一言のために、
この映画はあるといってもよい。
深夜に踊った二人は、ミッドナイトスワン。
タイトルの回収をラストでやる、
秀逸な例である。
(エンドロール後の二人のツーショットに、
タイトルがのっかるのはやりすぎだと思ったな)
ただし。
幸福のために、不幸を描いている感じがしたんだよね。
掃きだめの人たちは結局誰も幸せになれなくて、
ただ若くて才能があったやつだけが、
勝手に掃きだめを脱出してきらきらした世界に行けるだけ。
その残酷な世界で、
若さという希望を描いているだけだ。
彼女だって、金持ちの親友みたいにケガをするかもしれない。
そしたらどうなるのか、
その危うさすら美であるわけなんだけど。
いわば、現実を舞台にした、
ダークファンタジーだと思ったんだよね。
バレエという美しいものを描くために、
わざと汚い背景を使っている感じ。
そのコントラストはとても良いのだが、
それでいいのかなあ、と少し思う。
草gの役はよくよく考えてみると、
結局幸せになれたわけじゃなかったし、
(最後に海をみれて、
さらに美しいダンスをみれてよかったけど。
そういえばこれ、
「ベニスに死す」と同じやんか。
「ノッキングオンザヘヴンズドア」でもあるか)
親友の風俗嬢に堕ちた人も、
その後出てこなくなってしまっている。
オカマが幸せになれるかどうかはどうでもいい感じが、
オカマをより差別しているような気がしなくもない。
金持ちの娘って、
結局結婚式の二次会で飛び降りて死んだことになってるんだっけ。
コンクールと同じ曲をかけて、同じ踊りを踊る、
というのは名シーンだと思うが、
飛び降りたショッキングな絵からどうなったかは明かされないので、
そこをフォローしないとよくならないよねと思った。
(現実は尻切れトンボになることがよくある。
それを救うのが物語だとも思う)
泣いてた草gのお母さんはさぞ悲しみにいるだろう。
それらを、
彼女が一身に背負って踊っているわけでもないし、
彼女がオーディションに合格したからといって、
そうした人々が救われるわけでもない。
救われるのは彼女自身だけだと思う。
それでいいんだっけ?
と落ち着いて考えると、思ってしまう。
つまり、
ひとつの奇跡を描くのに、
背景を暗すぎやしていないか、と思ったわけ。
それは絵全体の設計にも表れている。
全体は暗く、コントラストが強く、
あかるいところがわずかしかないような絵が多かった。
この絵全体が映画の世界観=人生とはこのようなものである、
というのを表しているように思えた。
僕は、世界はよくなるよ、という昭和生まれなので、
こうした令和の暗い世界観が好きじゃないな。
ただ、今の波長にとても合っている気はしたね。
「国宝」もそうなんだけど、
人の不幸を見て安心する、
という要素が、最近の邦画に多い気がする。
それだけ、日本はダークになっていると思った。
アカデミー賞は、脚本賞はあげなかった。
主演男優賞(草g)と、
作品賞(全体のプロデュースに与えられる。
この場合、バレエをうまく撮影できたことや、
キャスティングをしたことや、
ロケ地をうまく選べたことなどに与えられている。
つまりガワに与えられている)
の二本が、
この映画の価値を象徴しているように思う。
5年間企画が通らなかったそうだ。
この暗さがいいんです、というプレゼンは通りにくいだろう。
希望も可能性もない脚本だからね。
むしろ、なんで通って、つくることになったのか、
そして草gがなんでキャスティングできたのか、
それらの経緯を知りたいわ。
あとどうでもいいけど気になったこと。
女性ホルモン注射を受けてるわりに、ヒゲ濃くない?
ちんこ取ってからはヒゲ薄くなってもいいけど、
それから悪化して再会したとき、
ヒゲ完璧に剃ってるって変じゃない?
なんかそこでファンタジーなんだなー、って思ったのよ。
水槽に金魚がいないのはとてもよかったけど、
もっと藻がつくでしょ。
金魚がいないことを示すためにわざときれいな水になってるのが、
ファンタジーなんだよなー。
汚いのは股間の周りだけなんだよね、あのシーン。
2025年12月26日
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