紙や文字の性質とは異なるもの。
音や時間は消える。
だから、残したくなるのだと思う。
演劇は消える。
終わったらおしまいである。
時間や人生と同じだ。
ある時に立ちあがり、ある時に終わる。
今日はこのへんで、とおしまいになるわけだ。
だからまた明日、という理屈もなりたつ。
だから演劇は同じ演目なのに、
何回も見られたりする。
「今日の芝居は〇〇が切れてた」なんて見方をするファンもいるわけだ。
映画はそうではない。
時間を永遠に閉じ込めようとするものである。
ライブでも演劇でも生放送でもない。
綿密に計画の練られた、
何回見ても完璧な出来の、
ある時間が永遠に収録されたものである。
それは生放送的ではない。
演劇的でもない。
音や時間は消えてしまうが、
映画は消えない。
小説は、文字の形にして、
音や時間を閉じ込めようとしたものだ。
映画も、映像の形にして、
音や時間を閉じ込めようとしたものだと思う。
ということは、完成度が高くなければならない。
書かれた文字が誤字脱字があったり、
構成がいい加減だったり、
矛盾があったり、
色々適当だったりしたら、
書かれた文字としての価値はないと思う。
それはつまり、
永遠に存在するものとしての価値が、
求められているということだ。
映画も同じだ。
小説や文章と同様、
永遠に存在するものとしての価値が求められている。
ご都合主義にならない、
矛盾がない、
適当ではない、
よく練られた、考えられた話になるべきである。
僕は「ライブ感」はくそだと思っている。
ライブ感はこれらを無視しているからだ。
そして、これらを練りこんだうえで、
まるでライブ感で書かれたように書くのが理想だ。
ライブ感が否定するのは、
段取り臭さやご都合主義だろう。
そうなっていない、まるで初めて体験したかのようにつくれば、
それはライブ感かつ永遠に残るものになるわけだ。
つまり、完璧なライブをつくればよい。
さて。
じゃあどうすればいいだろう?
まずは最後まで書きたまえ。
それから考えなさい。
完璧になっていないなら直しなさい。
ライブ感が薄れたら書き直しなさい。
それを続けて、
新鮮なままの、完璧な話をつくりなさい。
そしてそれが、
消えてしまう音や時間を上手に閉じ込められていれば、
名作になれる可能性があると思う。
2026年02月02日
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