2026年02月02日

音や時間は消えていく

紙や文字の性質とは異なるもの。

音や時間は消える。
だから、残したくなるのだと思う。


演劇は消える。
終わったらおしまいである。
時間や人生と同じだ。
ある時に立ちあがり、ある時に終わる。
今日はこのへんで、とおしまいになるわけだ。
だからまた明日、という理屈もなりたつ。

だから演劇は同じ演目なのに、
何回も見られたりする。
「今日の芝居は〇〇が切れてた」なんて見方をするファンもいるわけだ。


映画はそうではない。
時間を永遠に閉じ込めようとするものである。

ライブでも演劇でも生放送でもない。
綿密に計画の練られた、
何回見ても完璧な出来の、
ある時間が永遠に収録されたものである。

それは生放送的ではない。
演劇的でもない。
音や時間は消えてしまうが、
映画は消えない。

小説は、文字の形にして、
音や時間を閉じ込めようとしたものだ。
映画も、映像の形にして、
音や時間を閉じ込めようとしたものだと思う。

ということは、完成度が高くなければならない。

書かれた文字が誤字脱字があったり、
構成がいい加減だったり、
矛盾があったり、
色々適当だったりしたら、
書かれた文字としての価値はないと思う。

それはつまり、
永遠に存在するものとしての価値が、
求められているということだ。

映画も同じだ。
小説や文章と同様、
永遠に存在するものとしての価値が求められている。
ご都合主義にならない、
矛盾がない、
適当ではない、
よく練られた、考えられた話になるべきである。

僕は「ライブ感」はくそだと思っている。
ライブ感はこれらを無視しているからだ。
そして、これらを練りこんだうえで、
まるでライブ感で書かれたように書くのが理想だ。
ライブ感が否定するのは、
段取り臭さやご都合主義だろう。
そうなっていない、まるで初めて体験したかのようにつくれば、
それはライブ感かつ永遠に残るものになるわけだ。
つまり、完璧なライブをつくればよい。


さて。
じゃあどうすればいいだろう?

まずは最後まで書きたまえ。
それから考えなさい。

完璧になっていないなら直しなさい。
ライブ感が薄れたら書き直しなさい。
それを続けて、
新鮮なままの、完璧な話をつくりなさい。

そしてそれが、
消えてしまう音や時間を上手に閉じ込められていれば、
名作になれる可能性があると思う。
posted by おおおかとしひこ at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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