2025年12月29日

車はまっすぐ走らない(「アバター3」評6)

実車は、ある程度蛇行している。
ハンドルをまっすぐにしても、
地面から反力を受けて(微妙な坂や道の凸凹)、
左右にぶれていくことはよくあり、
完全に直進はしない。
だから、適宜ハンドルをゆっくり切って、
大体センターにいればよい、
というのがリアルな運転だと思う。

ところが、
CGの車はまっすぐ走る。
「車はまっすぐ走る」という先入観でつくられているからだ。


最近の車のCMは、
走行カットは大体CGであることが多い。
なんでか。
実在の路面で走行すると、揺れるからだ。

「この車はガタガタして乗りにくい」と思われるとダメなので、
昔はスタビライザーをかけて止めていた。
だけど今度は車が揺れずに背景が揺れるので、
なんとなく間をとってごまかしていた。
それをどうしても止めたいのなら、
背景だけを撮影して、
そこに車のCGを合成するしかない。
もちろん金はかかる。
しかし、そのほうがいいなら、そうするのである。

なんでか。
「車はまっすぐ走る」という先入観を、
映像にするためだ。

僕はいつもこの表現にもにょもにょしている。

他にも、
薬のパッケージを持ってニコニコ微笑むような決めカットで、
パッケージが一切ぶれないカットがまれによくある。
手で持っているものは微妙に揺れる。
その揺れを許容しないわけだ。

もはや、人間や世界よりも、映像のほうが粒度が上がっている証拠だ。
本当のリアルを写しても、
ゆらゆら揺れているのが気持ち悪い、ってなってしまっている。

CGの車はまっすぐ走る。
ハンドルで微調整しながら走らないし、
地面のガタガタを拾って上下にも揺れない。
Z軸をただ等速直線運動するのみだ。
(CGでは奥行にZ軸を使うので、あえてZ表記。
実車だとY軸が使われることが多い)


こうした感覚が、
アバターにはつねに感じられる。
「頭で考えた世界」という感覚。


たとえばアバター3では、
波打ち際でほとんど波が来ていなかった。
波打ち際で撮影すればわかるけど、
波は毎回同じ場所に来ない。
遠浅なら数メートルくらい波の位置は前後する。
その感じはどこにもなく、
絵の中に収まる位置にしか波はなかった。

あるいは、海に満ち引きがないのもとても気になった。
毎回同じ海面の高さで、
これは川や湖ではないか。
あれは毎回満潮時刻にしか撮影してないという設定なの?
満潮時刻は1か月かけてずれていくよね、地球なら。
あの惑星は月があったので、なんらか周期があるはずだ。
そして1日と満干の周期が合う奇跡はまずないだろう。

満ち潮前提、引き潮前提の家や船の配置になっていなかったんだよね。
フジツボもついてないしね。
もっと海藻が浜辺に漂着して臭くなるでしょ。

つまり、「想像でかいた絵」でしかなくて、
それらが絵の外でどのような原理で動いてるのかまで、
想像しきれてない。
見た目の絵だけなんよ。それが薄っぺらい。

あるいは、あの民族が何を食べているのかも表現されていなかった。
食器くらいはあったっけ。
海の家なのだから、魚や貝を食っているはずで、
だとしたら、そのへんに貝塚があるはずだ。

ゴミ捨て場はどこになるんだろう。
貝や骨は焼けないから、
どこかに山ほどあるはずなのだが、
それがどこなのか描写されていなかった。
そういう場所は死の暗示になるので、
大事なシーンはそこで話されたりするはずなのに。
全部都合よく埋め立てているのかしら。
あるいは海に捨ててるのかな。

あるいは、命をいただく、という発想もなかったよね。
食い物が描写されていないからだと思う。
アニミズムの発想の原点は、命と食い物だと思うんだよね。
みんな死ねばクジラに帰る、というアニミズムがあってもいいと思う。

物語中で人やクジラが死んだとしても、
どう葬るのかまでは描かれていなかった。
(どうやら死んだ人間だけがエイワの世界に行けるようで、
クジラや他の生命体は行けないっぽいね。
それがキリスト教の限界よね)

命をいただくのだ、だから命はつながっている、
というのは原始的なアニミズムだ。
だけどそういう発想もなかったようだ。
もちろん、それを採用しなくてもいいのだが、
だとしたら、
彼らの宗教や食べ物のシステムがどうなっているのかがわからない。



こうした要素は、
固定した美しい世界に対して、
ノイズとなるものである。

まっすぐ走る車は、
地面のノイズや左右のぶれのノイズを拾わない。
CGは、思いもよらぬ世界のノイズを、
思ってもいないので受けない。

しょせん頭で考えた世界、
ご都合主義の世界に見えるんだよね。

アバターには膨大な設定資料集があるらしい。
もしそこにそうしたノイズ成分が設定されているかもしれないが、
本編にあることがすべてなので、
それは無視することにしよう。

アニメはかまわん。
どこの想像部分だけ取り出すかを競うからだ。
でもこのCGは、人間と合成してるので、
アニメではなくリアルだという前提がある。
リアルなのにノイズがなさすぎる。


頭で考えた世界は、
リアルな世界に比べて、
ノイズが除去された、クリーンな世界だ。
それゆえにご都合で、リアリティがない。

毎回例に出す、
「世界エアセックス選手権童貞部門」で、
ありえない位置におっぱいがある、
リアリティのない童貞と同じだと僕は思う。

童貞はおっぱいの位置を知らない。
車は地面のノイズを拾わない。
アバターには予測できない波がない。


僕は、映画というのは、
世界と自分、世界と人間の関係性をも、
物語に内包するべきだと思っている。
それは明示でなくて、前提や暗示の形でいいと思う。
リアルで撮影すれば、
それをそのまま取り込めるのだが、
CG映画だとそこらへんが全部捨てられるんだよね。

世界はルンバが掃除したようなクリーンさではできていない。
もっとノイズだらけの複雑な世界だ。
砂が目に入り、摩耗し、紫外線で割れ、
垢が出て、髪は抜ける世界である。

映画にはスタイリストがいて、
映画の中の服はしわがないようにしている。
それは現実のノイズの中で撮るため、
被写体を目立たせるためだ。

すべてにノイズがない頭の中の世界は、
全部が同じノイズ解像度だ。


車はまっすぐ走らない。
だけどCG車は映像の中でまっすぐ走っている。
これはおかしなことだと僕は感じる。

監督の頭の中で考えた事を、
純度100%で出すことが映画だろうか?
それが誰よりもリアルなものならばそれもいいが、
まっすぐにしか走らない車でしかなくて、
だから僕にはおもちゃに見える。



(追記)
ウォッカは酒としてうまいのか?
という話にも通ずるね。
蒸留酒はアルコール分だけを飛ばして、
純粋なアルコールを集めたものだ。
スピリッツと呼ばれる系だね。

一方醸造酒はその蒸留の過程をへず、
材料から発酵させて混濁した状態で生まれたものだ。
アルコール分からしたらノイズばかりが入ってる。

酒はどっちを飲むか?という話かもね。
純粋にアルコールが飲みたかったら、
エチルアルコール飲んでりゃいいのよ。
僕は風味豊かな酒を好む。
日本酒、マッコリなどだね。
「世界はノイズだらけである。だから純粋を取り出す」のか、
「世界はノイズだらけである。それを少し整理して、
ノイズごと楽しむ」の、
どちらかということだ。

3時間もウォッカばかり飲めないよ。



(追記2)

電車の軌跡を写した写真。
https://x.com/texa_15_02s/status/1999783039610880302?s=20
レールは綺麗な曲線かもしれないが、
電車は曲線通りに走らず、
ガタガタしてるわけだ。

ここまでうまく電車の動きをCGでつくれて、
ようやくリアリティなんだよな。
これを綺麗な曲線で動かしてるから、
「ぼくのかんがえたきれいなせかい」から抜け出てないんだろう。
posted by おおおかとしひこ at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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