2026年02月05日

人気芸能人と感情を共有したい

めちゃくちゃなことを言います。
興行の本質はこれではないかと。


つまり、ストーリーなんて実はよくわからないから、
どうでもよくて、
いい場面で、人気な芸能人の気持ちと共鳴して、
それを共有することが、
映画やドラマを見ること、
みたいにアプリオリに考えている人が多いのでは?
ということ。

ストーリーは、そこに至るルート、下ごしらえみたいなもので、
嘘くさくなくて、そこそこリアルであれば、
とくになんでもいいです、みたいなことだ。

刑事ものは、刑事と正義の話ではなくて、
刑事ものによくある感情、
すなわち犯人の人情と正義との葛藤や、
犯人を追うわくわく感や、
どんでん返しの「実は犯人は○○だった」みたいな感情を、
人気芸能人が演じて、
それと共鳴すれば満足、
みたいにジャンルとストーリーを考えているのではないだろうか。

つまり、そのジャンルにある、
代表的な感情を消費して、
人気芸能人とそれを共有したい、
その共有がうまい人が演技がうまい人、
みたいに捉えられているように思う。

まったくそうではない、
こうなのだ、と言いたいが、
まさかそうだとしたら、
と思ったので、ちょっと空恐ろしくなったんだよね。

観客がこうであるとすると、
実はプロデューサーもそれを要求するわけだ。
理想の映画をつくりたい、という欲望もあるかもしれないが、
観客に受ける形で当座の金儲けをしたい、
ということもプロデューサーの欲望だからね。

ということは、
「人気芸能人のこういう感情を共有できますよ」
というプレゼンが、一番効果的なのではないか、
とすら思ったわけ。

つまり、
「吉沢亮が元やくざの息子という血を恨みながら、
歌舞伎界を駆け上がって人間国宝になる」
「歌舞伎の本番を、緊張感で演じている姿、
実力で舞台を制している姿」
の共有が大事で、
「二人の男が出会い、ライバルとなり、
血か力かで対決して、力が血を制する」
かどうかはどうでもよい、
と思うのではないか、ってこと。

前者が感情の共有で、
後者がストーリーと焦点だ。
つまり、
焦点なんかよくわかってなくて、
感情の共有さえうまく行ってれば、
手段は問わない、
と思うと、
国宝が受けていることの理由が、
よくわかるのではないかと思ったんだよね。

まあ、極論だ。
100%正しいものでもないと思う。
しかし、多分にこういう成分が「いまの」映画に含まれているんじゃないかしら、
って思ったんだよね。

10年くらい前にあるプロデューサーに言われたことがあって、
「誰か芸能人と仲いいですか?」って聞かれたんだよ。
いないから企画で勝負してんだろうがよ。
ていうか、仲良くならないといけないのかよ。
もしそのツテがあったら、
その芸能人がどういう感情になると面白いか、
で企画を立てて、
それが成立するストーリーを逆算で書いて、
映画が作れたかもしれない。
それが名作であったり、面白いとは思えないが、
当座金を稼ぐことはできたかもしれないね。


今、多分これが最短距離で映画をつくる方法かもしれない。
まあ、ストーリーは3の次くらいになると思うけど。
それでも成立する脚本が書ける実力がある人は、
こんな企画は出さないだろうね。

極論、ストーリーは求められていない。
求められているのは感情である。
このように考えると、
「いま」の邦画をめぐる色々が見えてきやすい。
もちろん暴論だ。
posted by おおおかとしひこ at 07:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「極論、ストーリーは求められていない」
これ、すごくあると感じます。一本のストーリーよりは、その場面場面の印象の良さやインパクトの強さなどの方が求められている気がします。
Posted by 西武柳沢 at 2026年02月06日 21:09
>西武柳沢さん

「どんな人に求められているか」
も考えた方がいいと思います。

大多数が場面や感情だけを求めていたとしても、
ごく少数の「物語をきちんと味わう人」が、
物語を味わえていないのなら、
映画は死ぬと思います。

そしたら宝塚のレビュウのように、
大階段からキラキラ歌いながらおりてくるだけで、
2時間やればいいというだけになってしまう。

まあまさにYouTubeがそんな感じですが、
それは映画じゃなくて、番組とかショウよねと。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年02月06日 21:19
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