ストーリーとはなにか。
色々あるんだけど、
「おはなしとはなにか」に必要なものはこれだと思う。
ストーリーに必要なのは、
事件と解決だ。
そして解決の過程には行動が必要であり、
行動の裏には動機や目的が必要だ。
また、行動するからには反発が生まれる。
対立、障害である。
これを克服、回避、説得、懐柔などするのが、
行動である。
これらの連鎖がうまいこと解決する事が、
ストーリーには必要で、
また、
自分と遠い人にも、
うまく感情移入させるのが必要なのであった。
まるで自分のようだと思えると人は感情移入する。
それはスペックよりも、
「自分もこの立場におかれたら、
同じ事を思うし、同じ事をするだろう」
というところから発生する。
で、
2時間もこんな話をするのだから、
何か価値のあるものである必要がある。
5分で終わる話なら、
価値があってもなくてもどっちでもいいかも知れないが、
観客が腰を据えてちゃんと聞くのは、
それに価値がある時だけだ。
その価値とはテーマのことである。
テーマはテーゼの形をしている。
PはQである、の形である。
これを2時間かけて証明するのが映画だ。
正義は悪より良い(勧善懲悪)は、
昔から人気のあるテーマの一つで、
バレなければ何をやっても構わない、
人の心の中までは裁けない、
というのは最近流行りのダークなテーマである。
こんな大袈裟なやつでなくても、
「休日のんびりすごすのはとてもよい」
がテーマになる作品があってもよい。
ただ、2時間かけるべきかには異論がありそう。
で、本題。
この、テーマに関することに、
前フリとオチが関係する。
それはド頭とラストでなくてよい。
落語「まんじゅうこわい」だと、
「みなさんまんじゅうお好きですか。
ここに半介という男がおりまして、
大のまんじゅう好きでございました」
が前フリ、
「今度はお茶がこわい」
がオチである。
テーマはとくになく、
「腹いっぱい食ったしお茶でも欲しいな」
という人間の欲望を、面白おかしく描いたものだ。
落語は教訓を与えるものではないし、
長くても20分くらいだろうから、
ヘンテコなシチュエーション(まんじゅうこわい)と、
オチの見事さがあれば、
キャラが立つというものである。
ところが映画のような腰を据えたものが、
それだけでは物足りなくなる。
たっぷりお話を楽しんだ上で、
「○○は○○だ」なんだよなあ、
と納得して腑に落ちることが必要だ。
それを実現するのが前フリとオチの組み合わせだ。
よくあるのが、
事前と事後を見せて、
その変化の価値が価値である、というやつだ。
「最善のセリフは無言である」
という格言から、無言であるのが強いと思う。
でも、その変化の価値を、
キレのあるセリフで締めるのもいいよね。
ほかにも、
前フリとオチのパターンはたくさんありえる。
あなたが今思いつくよりもたくさんのパターンを、
古今東西のストーリーテラーは開発してきたので、
たくさんの作品を見て参考にすると良い。
王道のパターンにはめてわかりやすくしてもよいし、
新しいパターンの前フリとオチを考えついてもよい。
いずれにせよ重要なことは、
ストーリーが始まる前の前提が、
オチによってどうひっくり返ったかだ。
その反転の度合いが、
ストーリーの本質であったのだと、
オチでわかるべきなのだ。
「まんじゅうこわい」でいえば、
「今度はお茶がこわい」と、
まんじゅうだけで済まさずにお茶まで欲しいのかよと、
「人間の欲望は限りないものである。
おまえもおれもみんなもな」
というところがテーマの落ちどころであろう。
この、「おれもおまえもみんなもな」
というところが重要で、
だからストーリーはみんなで見るんだね。
「あなただけに用意された物語があります」なんて、
物語の質としてはちゃんちゃら低いわけ。
おれもおまえもみんなも、
つまり人間の本質にたどりついているから、
その物語は人類が共有するべき価値があるわけだ。
同じテーマの別の話は価値があるか?
同等におもしろければ価値がある。
新しいテーマの話は価値があるか?
そのテーマが新しい人間の本質を示していれば、価値がある。
なるほど、人間というのはこういうものだなあ、
という意味では、
物語は人類の自画像なのだ。
どうとでも自画像はかける。
あらゆる角度から、あらゆる深さで。
その、ラストの説得力があるものほど深くて良いものになる。
そしてそれは、事件から解決までの一連と、
テーマとの関わり方で決まるだろう。
なんだかとても難しいね。
分解すれば難しいが、
これらを無意識に全クリアしてるのが、
名作というものだ。
いや、無意識で全クリアしてなければ、
うまく揃ってるように、
そして不要なものがないように、
整えればよいだけだ。
ストーリーは1回書いて終わりではない。
何度も書き直して、
より煮詰めて、完成度を高めることができる。
デッサン、スケッチ、下書き、仕上げを、
何度も往復して、
よりシンプルで深いものにしていくと、
より良くなるだろう。
僕は日本人なので、日本料理の粋であるところの、
出汁をつくることがそれに近いと考えている。
香りが前フリで、
最後の一滴を終えた時がオチだ。
すっきりして、かつふくよかなものを目指したい。
それを摂取したら、
いのちにかわるものが、理想じゃないですかね。
2026年01月01日
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