2026年01月01日

前フリとオチが、ストーリーである

ストーリーとはなにか。
色々あるんだけど、
「おはなしとはなにか」に必要なものはこれだと思う。


ストーリーに必要なのは、
事件と解決だ。

そして解決の過程には行動が必要であり、
行動の裏には動機や目的が必要だ。
また、行動するからには反発が生まれる。
対立、障害である。
これを克服、回避、説得、懐柔などするのが、
行動である。

これらの連鎖がうまいこと解決する事が、
ストーリーには必要で、
また、
自分と遠い人にも、
うまく感情移入させるのが必要なのであった。
まるで自分のようだと思えると人は感情移入する。
それはスペックよりも、
「自分もこの立場におかれたら、
同じ事を思うし、同じ事をするだろう」
というところから発生する。

で、
2時間もこんな話をするのだから、
何か価値のあるものである必要がある。
5分で終わる話なら、
価値があってもなくてもどっちでもいいかも知れないが、
観客が腰を据えてちゃんと聞くのは、
それに価値がある時だけだ。


その価値とはテーマのことである。
テーマはテーゼの形をしている。
PはQである、の形である。
これを2時間かけて証明するのが映画だ。

正義は悪より良い(勧善懲悪)は、
昔から人気のあるテーマの一つで、
バレなければ何をやっても構わない、
人の心の中までは裁けない、
というのは最近流行りのダークなテーマである。

こんな大袈裟なやつでなくても、
「休日のんびりすごすのはとてもよい」
がテーマになる作品があってもよい。
ただ、2時間かけるべきかには異論がありそう。


で、本題。

この、テーマに関することに、
前フリとオチが関係する。

それはド頭とラストでなくてよい。

落語「まんじゅうこわい」だと、
「みなさんまんじゅうお好きですか。
ここに半介という男がおりまして、
大のまんじゅう好きでございました」
が前フリ、
「今度はお茶がこわい」
がオチである。

テーマはとくになく、
「腹いっぱい食ったしお茶でも欲しいな」
という人間の欲望を、面白おかしく描いたものだ。
落語は教訓を与えるものではないし、
長くても20分くらいだろうから、
ヘンテコなシチュエーション(まんじゅうこわい)と、
オチの見事さがあれば、
キャラが立つというものである。

ところが映画のような腰を据えたものが、
それだけでは物足りなくなる。
たっぷりお話を楽しんだ上で、
「○○は○○だ」なんだよなあ、
と納得して腑に落ちることが必要だ。

それを実現するのが前フリとオチの組み合わせだ。


よくあるのが、
事前と事後を見せて、
その変化の価値が価値である、というやつだ。
「最善のセリフは無言である」
という格言から、無言であるのが強いと思う。

でも、その変化の価値を、
キレのあるセリフで締めるのもいいよね。

ほかにも、
前フリとオチのパターンはたくさんありえる。
あなたが今思いつくよりもたくさんのパターンを、
古今東西のストーリーテラーは開発してきたので、
たくさんの作品を見て参考にすると良い。
王道のパターンにはめてわかりやすくしてもよいし、
新しいパターンの前フリとオチを考えついてもよい。

いずれにせよ重要なことは、
ストーリーが始まる前の前提が、
オチによってどうひっくり返ったかだ。

その反転の度合いが、
ストーリーの本質であったのだと、
オチでわかるべきなのだ。


「まんじゅうこわい」でいえば、
「今度はお茶がこわい」と、
まんじゅうだけで済まさずにお茶まで欲しいのかよと、
「人間の欲望は限りないものである。
おまえもおれもみんなもな」
というところがテーマの落ちどころであろう。

この、「おれもおまえもみんなもな」
というところが重要で、
だからストーリーはみんなで見るんだね。

「あなただけに用意された物語があります」なんて、
物語の質としてはちゃんちゃら低いわけ。

おれもおまえもみんなも、
つまり人間の本質にたどりついているから、
その物語は人類が共有するべき価値があるわけだ。

同じテーマの別の話は価値があるか?
同等におもしろければ価値がある。
新しいテーマの話は価値があるか?
そのテーマが新しい人間の本質を示していれば、価値がある。

なるほど、人間というのはこういうものだなあ、
という意味では、
物語は人類の自画像なのだ。

どうとでも自画像はかける。
あらゆる角度から、あらゆる深さで。
その、ラストの説得力があるものほど深くて良いものになる。
そしてそれは、事件から解決までの一連と、
テーマとの関わり方で決まるだろう。


なんだかとても難しいね。
分解すれば難しいが、
これらを無意識に全クリアしてるのが、
名作というものだ。

いや、無意識で全クリアしてなければ、
うまく揃ってるように、
そして不要なものがないように、
整えればよいだけだ。
ストーリーは1回書いて終わりではない。
何度も書き直して、
より煮詰めて、完成度を高めることができる。
デッサン、スケッチ、下書き、仕上げを、
何度も往復して、
よりシンプルで深いものにしていくと、
より良くなるだろう。

僕は日本人なので、日本料理の粋であるところの、
出汁をつくることがそれに近いと考えている。

香りが前フリで、
最後の一滴を終えた時がオチだ。
すっきりして、かつふくよかなものを目指したい。
それを摂取したら、
いのちにかわるものが、理想じゃないですかね。
posted by おおおかとしひこ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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