本質を抽出して極限まで練り上げること、
といってもいいと思う。
羽生結弦の白鳥の例。
https://x.com/Ema_onlyyuzu/status/2008968573595918635?s=20
実際の白鳥を見たことがあるだろうか。
僕の親戚の家の近くの湖に、
白鳥が渡り鳥に来てて、
子供の頃よく連れてってもらったんだけど、
結構デカいし臭いしうるさいし汚いんだよね。
あとパンとかあげると意地汚い。
争いまくるし。
なんだかんだいって「獣」だなー、
って理解を僕はしている。
くちばしだって1色じゃなくてまだらだし、
シミはあるし。
あと歯が生えててキモイ。
「白鳥 歯」で検索するとキモさがわかる。
でも遠くから見たら曲線美があり、
逆光を背負って羽ばたいたりなんかすると、
神の降臨っぽく見えるよね。
(実際には羽ばたきで寄生虫を落としたりしてるらしい)
さて、芝居である。
白鳥を演じるとはどういうことか。
白鳥の何を抽出すれば白鳥の演技になるだろうか?
という問いである。
キモさ、汚さだろうか。それも白鳥の芝居だ。
美しさ、しなやかさ、神々しさであろうか。
それも白鳥の芝居だ。
しかしそれをそのまま写しても、
スケッチにすぎず白鳥の芝居ではない。
まだ物真似パントマイムであり、芝居にならない。
芝居になるには、
その本質を抽出しなければならない。
コーヒーのフィルタと同じだ。
いらないものを捨てて、
純度を高めなければならない。
つまりイデアだ。
白鳥とはどのようなイデアか?
を抽出するのだ。
そのイデアを物理的な仕草で表現するには?
を考えるのだ。
羽生結弦は、
白鳥のイデアを優美さやしなやかさや神々しさと抽出した。
音楽は画像からはわからないが、
おそらくクラシックで、
クラシックでの白鳥というモチーフはそれらだろう。
一生のつがいと寄り添うような、
永遠の愛も入ってるかもしれない。
たぶん、歯のリアルさとか、
結構臭いとかは、フィルターに濾して、捨てたのだろう。
その代わり、
極限までそれを煮詰めていったのだ。
肩甲骨が柔らかいのは、写真からもわかる。
体が硬くては優美さを表現できまい。
スケーティングの曲線も大きく優美につくっていて、
時折首を震わせるような、小さな曲線も混ぜるだろう。
体重が軽くないとしなやかにならないだろう。
筋肉がないと飛べないだろう。
なんといっても水面で羽を広げるような、
あの「白鳥らしい」瞬間をとらえるために、
細かい工夫をしてるのだと思う。
指先まで神経が通ってるのがポーズとして理解できるよね。
白鳥らしい=イデアだ。
そして指先までつくったポーズがディテールだ。
表現とは、
ディテールを重ねてイデアまで到達することを言う。
だから、
羽生は白鳥ではないのに、
「まるで白鳥のようだ」といわれるのだ。
さて、
これは私たちの脚本で考えればなんだろう?
人であり人生である。
人生のイデアとはなにか?
それは作品ごとに違うだろう。
「人生とはこのようなものである」
という、抽出した純粋なイデアはなんだろう?
そして、それを直接表現ではなく、
スケーティングの優美さや肩甲骨の柔らかさや指先で、
間接表現するには、
どういう事件や展開や解決や、
細かい場面やセリフや小道具やシチュエーションが必要だろう?
あらゆる表現とは、
イデアとディテールの関係で語れる。
我々は白鳥ではなく、
人生そのものでもない。
だから、そうでないものが、そうであるものを表現するのを、
表現というのではないか?
だから、
出来上がったものは、純度の高い理想形になる。
もちろん、表現として雑味を入れても味わいがある。
スピリッツのように純度を高めてもよい。
羽生結弦は蒸留酒のような、
純度の高い表現者だといえるだろうね。
じゃああなたの表現はどう?
イデアは何?ディテールは?
ノイズと純度の関係は?
それを自分なりに説明できる?
できなかったらできてないし、
できてるものは具体的に説明できるものだ。
説明できないがたしかにある、というものもあるが、
にしても拙くも説明できると思う。
あれ?と思うところがあるなら、
まだできてないよ。
この白鳥は、その疑問一つ一つを潰して、
純度を上げまくってるから、
「まるで白鳥のようだ」
「白鳥以上のなにかである」
「美そのもの」
まで到達出来ているわけだね。
私たちは、
まるで人生のようだ、
人生以上の何かである、
その本質をとらえまくっている、
までいけるかな?
2026年01月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

