なぜなら、99%の人は脚本家じゃないから。
あるストーリーがあったとする。
それを作り変えてリライトしたとしよう。
前にはなかった要素を足したり、
順番を入れ替えたりして、
別のリンクを貼り直して、手術したとする。
あー、そういう発想があったか、
こんなつなぎを考え出すなんて天才だ!
と評価されることはほとんどない。
多分、医者もそうなんじゃないかと思う。
その件で関わる医者はその人ひとりだからね。
看護師も患者も病院スタッフも、
その所業がすごいかどうかを理解していない。
おそらくそのレベルを理解できる人は、同業者だけだと思う。
その医者がどういう困難な手術を成功させ、
すばらしいアイデアで切り抜けたかを正しく評価できるのは、
同業の医者だけだ。
おそらく、それと脚本家の所業は同じだと思う。
ある死んでいたシーンを、繋ぎ変えてよみがえらせたり、
別のシーンと別のシーンを合体させて、
全然別のシーンに生まれ変わらせたり、
あるシーンがカットされたことでより想像が膨らむようになったり、
そういう「繋ぎ変えのすごさ」なんてのは、
ビフォーアフターがあって、
しかも同業者じゃないかぎり、すごさは評価できないんじゃないかなーと思う。
まあ、だから脚本家はそのプロジェクトの中で孤独だ。
評価がないからだね。
誰もこの苦労を分かってくれないと思う。
実のところ、あるものを繋ぎ変えて、
新しいものを生み出すことは興奮する、すばらしいクリエイティブなことだ。
でもそんなの、残り物で晩飯をつくって、
うまく食材を回転させてる主婦なみに、
理解されないんじゃないかしらねえ。
原作ものだとまだ理解されるかもしれない。
あのシーンをこう使ったのかとか、
このシーンとこのシーンをつなぐとたしかに新しい意味になるねとか。
足りなかったここをうまくパイプでつないだのはかなりの功績だとかね。
それがもっともうまくいった風魔のドラマでさえ、
原作と比較してここがこううまくいっている、
という評論をする人はいないだろう。
「うまくアレンジした」という感想にしかならないと思う。
(だから監督メモを書き残したんだけどね)
つまり、
それくらいにしか、
あなたの「ほんとうにやったこと」はわかってもらえない。
だから、「うまくつないでやったのに、評価されない」
と嘆いてもしょうがないということだ。
それらを差し置いて、全体としてよかったかどうかしか、
議論されないことは覚悟しておくことだね。
なぜなら、そのチームに、ストーリーテラーは、
あなたしかいないからだね。
仮に脚本チームでつくることになったとしても、
脚本チームの外から評価されることはほぼないと思う。
全体としてよかった/悪かったしか、
評価がなくて、
あそこのあれがこうなっているのがいいね、
なんてわかるのは、同業者だけだと思いなさい。
僕らが家を見るときに、
たとえばペンキの塗りが甘いとか、柱の継ぎが悪いとか、
そういうことには気づかないが、
工務店の人とか大工なら、そういうことに目ざといだろう。
そういう感じだろうな。
その家に上がる人に、大工はほぼいない。
そういう感じになるだろう。
あなたがほんとうに評価されたいのは、
そうした細かい技術だと思う。
だってそこが一番クリエイティブで、
他の人が真似できないところだからだ。
でもそんなことは誰も気づかない。
むしろ、気づかない手術が一番すごいので。
あなたは今日もストーリーを断片に分け、
また組み合わせてつなぎ合わせることをやっている。
その本質は、理解されない。
プラモがどう作られるかを気にせず、
モデラーに完成品の納品だけ頼む人たちのようだ。
周りはそんな人しかない状態で、挑むことを考えたほうがいい。
だけど、全体としてよかったら、
たぶんあなたではできない味方についてくれると思う。
だから敵ではない。職種や職能が違うのだ。
2026年02月18日
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その特別なシーンBの苦労はプロセスを知らなくても脚本家なら気づけますね。(言ってる意味伝わりますか?w)
元を知らないと、最初からそうであったようにしか見えないので、
誰も気づかないと思われます。
むしろ、まるで最初からそうであったようにつくるのが理想なので、
気づかれない事が勝ちだったりしますねー。