リアリティがなくなりがち。
やりたかったことがあるとしよう。
でもこれまでできなかったので、
夢想として、夢としてフィクションに託す、
という気持ちはよくわかる。
でも経験値上、やめといたほうがいい。
ご都合になりがちだからだ。
ご都合主義というのは、
なぜかとんとん拍子に進むことをいう。
そんなうまくいくはずがないのに、
なぜかうまくいってしまうことだ。
たとえばアイドルになりたかったが、なれなかったので、
ある女子高生がある日アイドルになる話を書くとしようか。
そしたら、リアルにアイドルになるための苦労を、
全部すっ飛ばして、
夢の部分だけを書いてしまいがちになる、ということだ。
たとえばキモイファンやおっさんをどううまくあしらうか、
などの手練手管が求められるだろうし、
歌やダンスのレッスンは予想以上に厳しいはずだ。
(下手な遊びを覚えないようにわざと厳しくしている説もある)
あるいは、仲間が次々とやめていったり、
AV落ちしたり、よくない連中と付き合っているような闇もあると思う。
彼氏ともめることもあるだろう。
そうまでしてほんとうにアイドルになりたいのか、
というのをリアルに書けるか、
が物語の成功に関係するのだが、
これが「やりたかったことをやっている」だけだと、
リアリティが欠けて、
ご都合になりがちということである。
つまり、憧れだけで書いてしまう可能性が高い、
ということ。
冷静に分析して書けてる確率が下がる、
ということだ。
なぜかというと、
リアリティを見るだけの冷静さが足りないからだろうね。
好奇心や興味駆動で調べものをする場合と、
憧れややりたかった夢のリアルを調べる場合では、
後者のほうが甘くなりがちということだ。
知らない世界をリアルを書こうとするなら、
「わかる」まで取材すると思う。
「そうか、これはこういう世界なんだ」って理解した、
その理解そのものが世界観になると思う。
でも憧れで書いたものは、その世界観が甘いというか、
ほんとうに存在している感じがしないと思う。
夢想だからだね。
これは、メアリースーの原因でもある。
願望を書くから、リアリティ、実在感がないんだよね。
自分の中だけで成立している存在だから、
他人から見て嘘くさいということだ。
ほんとうにそういうものを経てきた人の、
すごみがないということだ。
これはリアルだけではなく、
ファンタジーでも同じだ。
指が飛んでミサイルになる人がいるとしたら、
どういう苦労を背負うだろうか、
どういう苦しみや誤解を受けるだろうか、
どういうすごみがあるんだろう、
どういう悲しみを背負っているんだろう、
などを想像しきれないと、
実在感がないということである。
たとえば指がミサイルになる人は、
一回ミサイルを飛ばしたら1ヶ月指が生えてこないとしようか。
そしたら、ネイルをして指をかわいがっている、
というような描写を思いつくことができるんじゃないか。
どうせ爆発する指なのに、なぜかかわいがっている、
というさまは、実在感がありそうだ。
単に「指がミサイルになる人がいるといいなあ、
昔から書きたかったんだよこのキャラ」
という欲望だけで書いてしまうと、
ネイルまでたどり着けないと思う。
ミサイルだけを書いて満足してしまうからだろう。
実在感というのは、それだけでなくて、
周りとの関係性や空気も全部含めて存在だ。
それを忘れてしまうんだろうね。
あなたが昔から描きたかったものをやるときは、
そのことに気をつけることだ。
たとえば車田正美は「昔からやりたかった番長もの」
をついにやれるとして「男坂」を描いた。
だけどただ喧嘩しているだけのつまらない漫画になってしまい、
車田正美の面白さが出ないまま伝説の打ち切りになった。
これが「ギリシャの少年たちが戦う」なんて、
とくに書きたくもない題材ならば、
「単なる喧嘩ではなく、ほかに要素が必要である」
と気づけただろうに。
それがクロスや必殺技だと思ついて「聖闘士星矢」に生かされているので、
車田正美、ただでは転ばぬ男だなあとは思う。
冷静と情熱はつねにペアだ。
憧れは、冷静を失ってる状態だね。
2026年02月21日
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