2026年02月21日

やりたかったことを書くべきじゃない

リアリティがなくなりがち。


やりたかったことがあるとしよう。
でもこれまでできなかったので、
夢想として、夢としてフィクションに託す、
という気持ちはよくわかる。

でも経験値上、やめといたほうがいい。
ご都合になりがちだからだ。


ご都合主義というのは、
なぜかとんとん拍子に進むことをいう。
そんなうまくいくはずがないのに、
なぜかうまくいってしまうことだ。

たとえばアイドルになりたかったが、なれなかったので、
ある女子高生がある日アイドルになる話を書くとしようか。
そしたら、リアルにアイドルになるための苦労を、
全部すっ飛ばして、
夢の部分だけを書いてしまいがちになる、ということだ。

たとえばキモイファンやおっさんをどううまくあしらうか、
などの手練手管が求められるだろうし、
歌やダンスのレッスンは予想以上に厳しいはずだ。
(下手な遊びを覚えないようにわざと厳しくしている説もある)

あるいは、仲間が次々とやめていったり、
AV落ちしたり、よくない連中と付き合っているような闇もあると思う。
彼氏ともめることもあるだろう。
そうまでしてほんとうにアイドルになりたいのか、
というのをリアルに書けるか、
が物語の成功に関係するのだが、
これが「やりたかったことをやっている」だけだと、
リアリティが欠けて、
ご都合になりがちということである。

つまり、憧れだけで書いてしまう可能性が高い、
ということ。
冷静に分析して書けてる確率が下がる、
ということだ。

なぜかというと、
リアリティを見るだけの冷静さが足りないからだろうね。


好奇心や興味駆動で調べものをする場合と、
憧れややりたかった夢のリアルを調べる場合では、
後者のほうが甘くなりがちということだ。

知らない世界をリアルを書こうとするなら、
「わかる」まで取材すると思う。
「そうか、これはこういう世界なんだ」って理解した、
その理解そのものが世界観になると思う。

でも憧れで書いたものは、その世界観が甘いというか、
ほんとうに存在している感じがしないと思う。
夢想だからだね。

これは、メアリースーの原因でもある。
願望を書くから、リアリティ、実在感がないんだよね。
自分の中だけで成立している存在だから、
他人から見て嘘くさいということだ。

ほんとうにそういうものを経てきた人の、
すごみがないということだ。



これはリアルだけではなく、
ファンタジーでも同じだ。

指が飛んでミサイルになる人がいるとしたら、
どういう苦労を背負うだろうか、
どういう苦しみや誤解を受けるだろうか、
どういうすごみがあるんだろう、
どういう悲しみを背負っているんだろう、
などを想像しきれないと、
実在感がないということである。

たとえば指がミサイルになる人は、
一回ミサイルを飛ばしたら1ヶ月指が生えてこないとしようか。
そしたら、ネイルをして指をかわいがっている、
というような描写を思いつくことができるんじゃないか。
どうせ爆発する指なのに、なぜかかわいがっている、
というさまは、実在感がありそうだ。

単に「指がミサイルになる人がいるといいなあ、
昔から書きたかったんだよこのキャラ」
という欲望だけで書いてしまうと、
ネイルまでたどり着けないと思う。
ミサイルだけを書いて満足してしまうからだろう。

実在感というのは、それだけでなくて、
周りとの関係性や空気も全部含めて存在だ。
それを忘れてしまうんだろうね。


あなたが昔から描きたかったものをやるときは、
そのことに気をつけることだ。

たとえば車田正美は「昔からやりたかった番長もの」
をついにやれるとして「男坂」を描いた。
だけどただ喧嘩しているだけのつまらない漫画になってしまい、
車田正美の面白さが出ないまま伝説の打ち切りになった。

これが「ギリシャの少年たちが戦う」なんて、
とくに書きたくもない題材ならば、
「単なる喧嘩ではなく、ほかに要素が必要である」
と気づけただろうに。
それがクロスや必殺技だと思ついて「聖闘士星矢」に生かされているので、
車田正美、ただでは転ばぬ男だなあとは思う。


冷静と情熱はつねにペアだ。
憧れは、冷静を失ってる状態だね。
posted by おおおかとしひこ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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