リアリティとフィクションの境目の話。
よく等身大の恋愛映画、なんて言い方がある。
正しいかなあ。
浮世離れした漫画みたいなシチュエーションやストーリーではなくて、
身近なもので、とっぴじゃない恋愛を地道に描くことで、
リアリティに近づく、
という考え方はよくわかる。
でも、共感はしたとしても、
現実を突破できない、憧れも生まない、
ちいさなものになるんじゃないかしら。
いや、特別な、フランス料理のフルコースじゃなくて、
近所の定食屋で食べるようなものですよ、
というのがたまにはいいのはわかるが、
それってわざわざ映画館に見に行くものか?
って思ってしまうんだよね。
映画は、結局映画館まで見に来てくれないと意味がない。
配信で引っかかればいい、
というものよりもハードルが高めなんだよね。
一種の、特別な話に見えるべきだ。
等身大の恋愛は、リアリティショーで十分なんじゃない?
で、じゃあ、映画で等身大の恋愛が描けないか、
というとそうじゃない。
等身大の恋愛以外を、
特別なものにしたてればいいんだよ。
たとえば「ローマの休日」は、
二人の立場以外はまったく等身大の恋愛だよね。
等身大の恋愛を描くと興味深い、
王女の話だからおもしろいんだよね。
同様に、アイドルがこっそり恋愛する話もそうだろう。
なんだかんだいっても嫉妬に狂ったり、
わがままだったり、
喧嘩したりするはずだ。
あるいは、等身大の恋愛なのだが、
舞台をSFにする手もある。
「ほしのこえ」は単なる遠距離恋愛だったが、
宇宙戦争というシチュエーション下だったから、
面白かったのだ。
戦争を終わらせる目的は、こんな平凡な等身大の恋愛を守るため、
というのがよくわかるからね。
だからSFアニメほど、日常のエモがよく描かれるよね。
これは伝統でもあるわけだ。
日常を描きたいならば、
枠組みを非日常におけばいいんだ。
恋愛じゃなくても、友情でもいいし、
銭湯入ってビール飲むでもいい。
うるせえ上司とできない部下の日常だって、
宇宙船の中とかの特殊な舞台ならば、
だいぶ面白く描けるかもしれない。
(多くのSF作品や時代劇は、宇宙や江戸を描きたいのではなくて、
非日常に舞台を移した日常を描くためである)
だから、ゴジラが襲ってきたー、
という非日常で、官僚たちの日常を描けたから、
シンゴジラは面白いと思われたわけだ。
等身大の何かを描きたいならば、
等身大でない何かの中でやるとよい。
逆に、異常な何かをやりたいなら、
なるべく平凡な世界でやるといいと思う。
本質とガワを逆にすると、
コントラストがうまれて面白くなるよ。
2026年02月25日
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