2026年02月25日

「等身大の恋愛」は映画になるか

リアリティとフィクションの境目の話。


よく等身大の恋愛映画、なんて言い方がある。
正しいかなあ。
浮世離れした漫画みたいなシチュエーションやストーリーではなくて、
身近なもので、とっぴじゃない恋愛を地道に描くことで、
リアリティに近づく、
という考え方はよくわかる。

でも、共感はしたとしても、
現実を突破できない、憧れも生まない、
ちいさなものになるんじゃないかしら。

いや、特別な、フランス料理のフルコースじゃなくて、
近所の定食屋で食べるようなものですよ、
というのがたまにはいいのはわかるが、
それってわざわざ映画館に見に行くものか?
って思ってしまうんだよね。

映画は、結局映画館まで見に来てくれないと意味がない。
配信で引っかかればいい、
というものよりもハードルが高めなんだよね。
一種の、特別な話に見えるべきだ。

等身大の恋愛は、リアリティショーで十分なんじゃない?


で、じゃあ、映画で等身大の恋愛が描けないか、
というとそうじゃない。
等身大の恋愛以外を、
特別なものにしたてればいいんだよ。

たとえば「ローマの休日」は、
二人の立場以外はまったく等身大の恋愛だよね。
等身大の恋愛を描くと興味深い、
王女の話だからおもしろいんだよね。
同様に、アイドルがこっそり恋愛する話もそうだろう。
なんだかんだいっても嫉妬に狂ったり、
わがままだったり、
喧嘩したりするはずだ。

あるいは、等身大の恋愛なのだが、
舞台をSFにする手もある。
「ほしのこえ」は単なる遠距離恋愛だったが、
宇宙戦争というシチュエーション下だったから、
面白かったのだ。
戦争を終わらせる目的は、こんな平凡な等身大の恋愛を守るため、
というのがよくわかるからね。

だからSFアニメほど、日常のエモがよく描かれるよね。
これは伝統でもあるわけだ。

日常を描きたいならば、
枠組みを非日常におけばいいんだ。
恋愛じゃなくても、友情でもいいし、
銭湯入ってビール飲むでもいい。
うるせえ上司とできない部下の日常だって、
宇宙船の中とかの特殊な舞台ならば、
だいぶ面白く描けるかもしれない。

(多くのSF作品や時代劇は、宇宙や江戸を描きたいのではなくて、
非日常に舞台を移した日常を描くためである)

だから、ゴジラが襲ってきたー、
という非日常で、官僚たちの日常を描けたから、
シンゴジラは面白いと思われたわけだ。


等身大の何かを描きたいならば、
等身大でない何かの中でやるとよい。

逆に、異常な何かをやりたいなら、
なるべく平凡な世界でやるといいと思う。

本質とガワを逆にすると、
コントラストがうまれて面白くなるよ。
posted by おおおかとしひこ at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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