なぜ人は物語を見るのか。
楽しいから見る、見たいから見る、
つまり、娯楽として見る、というのがひとつの答え。
これはショーとしての役割。
僕はもう一つあり、そっちのほうが重要だと思うんだけど、
心の避難所としての役割。
なぜ物語にハッピーエンドが求められるのか?
なぜ物語に矛盾がないことや、リアリティが求められるのか?
なぜ主人公は死なないのか?
なぜテーマが必要なのか?
これらはすべて同じ答えで、説明することができる。
「世界はきちんとできていることを、
確認したいから」だと思う。
もし世界が理不尽で、ランダムで、
生きる価値などない、だったらどうだろう?
我々は絶望して、虚無的になり、
自殺したり悪いことをするだろう。
だがなぜ我々は希望があり、立ち直り、
自殺せずに正しいことをしようとするのだろう?
「世界はちゃんとできている」と信じているからではないだろうか?
でもそんなのを、
現実世界で確認することはあんまりない。
相変わらず会社は訳の分からないことを言ってるし、
日本はどんどんダメになりそうだし、
悪いことをして得しているやつが増えているような気がする。
だから、「世界はちゃんとしている」と、
再確認したい人が物語を見る、
という需要があると僕は思っている。
「そうだよ、世界は信頼に足り、
正しい者がむくわれて、秩序を取り戻せるんだ」
と信じたい人が物語を見て、
理不尽な世の中をただす方向に戻ってくれるから、
物語はあるのだと思っている。
もちろん、逆張りの物語はある。
必ずしも世界が幸せになるとは限らない、
やったもんがち、
ずるいやつが勝つ、
正直者はかっぱがれるだけ、
理屈はない、弱肉強食があるだけ、
意味がないから死ぬ、
などのダークな世界観の物語はあるだろう。
それは、逆張りだから意味があるだけだ。
現実よりむごい地獄を見せて、
ああ、現実はもっとましだ、と安心するためにある、
といってもよい。
つまり、
現実より秩序がある方向か、
現実より秩序がない方向かの、
ふたつが物語の役目であると僕は考えている。
それは、意図的でなければならない。
どちらにも所属しないのは、
たとえばメアリースーみたいな、私の話を聞いて、
私を認めて、みたいなやつだな。
世界は信じるに足るのか、現実よりひどくて信用ならないのか、
という軸に乗っかっていない。
だから、それを見ても、世界に対する考え方が整理できない。
だから、「それがなんなん?」って思うのみなんだよな。
世界はこのようなものである、
信じるに足るのだ、
というのはテーマそのものではない。
テーマはもっと別の、
○○は○○であるみたいなことだ。
しかしその世界がそのように理屈で三段論法できるだけの、
確固としたちゃんとした世界でなければ、
そうはならない。
つまり、それができる段階で、
世界はちゃんとしている、ということかが描かれたということだ。
だから、世界は信頼できるとか、
そんなデカイことを描く必要はない。
秩序があり、コントロールできる世界であればそれでいいと思う。
理科の実験に似ているね。
余計なノイズがない純粋な世界をつくり、
与えたことと生まれたものが、
エネルギー保存しながら、
かつ変化することをやるのが実験だ。
つまり物語とは実験室でやらない実験だ。
「世界はちゃんとしてる」と確認するための。
だから、世界がちゃんとしていない物語は、
「破綻している」と嫌われるのだね。
疲れた人たちだけが物語を見るのではない。
元気で破壊的な人も物語を見るだろう。
色んな立場や心持の人が物語を見る。
平均的に、人類はどうなればいいだろう?
世界は信じるに足る、ちゃんとしているものだよ、
というのがいいんじゃないかなあ。
あなたは物語を書いて何をしたいの?
楽しませたいだけ?
それとも、世界はきちんと機能することを、
確認させたいの?
後者が目的になってしまうと、
宗教映画になってしまう。
だから、後者は目的ではなくて、前者が目的なのだが、
結果後者になっているような、
完璧な世界が、
いい物語だと思うよ。
人は完璧を見たい。
神ではない人の、秩序ができている世界を、
次の秩序へ動かせるような、完璧な物語を。
2026年01月31日
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