2026年02月26日

むき出しの目的

その人はどうしてもそれがしたい。
そのようにすると話が強くなる。

でも、その人が「明らかにそれをしたい」と見せているかどうかは、
また別のことである。


なぜなら、人は本心を悟られないようにしたいからだ。

好き避けという現象があるように、
めっちゃ好きでもわざと避けてしまったりする。
「いや、別に好きでもないですけど?」
ってふりをすることくらい、とても良くあることだ。
「めっちゃ好きです! セックスしたいです!」って言ったら、
まあつかまりますわ。

ある目的がある。
とてもやりたい。
人生を賭けてやる価値がある。
今の全部を賭ける。
しかし、それが外から見て、
見えるようになっているとは限らない。

発明をしている博士がいるとして、
コンビニに買い物に行くときや、
銭湯に行くときにまで、その発明したい心を見せることはない。
しかし家に帰ったら、
部屋は膨大なな発明品で埋め尽くされていて、
彼の情熱が分ったりするものである。

アイドルになりたい子が、
吉野家で牛丼を食っているときまで、
アイドルになりたい顔をしているわけではない。
彼氏の前では単なる女子になるだけで、
アイドルとしてはふるまわないだろう。

上司を殺す、と思っていても、
その上司の前では無難な会話しかしないに違いない。
悟られたらややこしくなるからだ。

つまり、人は本心を隠しながら生きている。
だから、強い動機、目的は、
本心を隠している状態で持っている、
と思うとよい。

普通の顔をしていながら、
通行人と同じ無表情の顔をしながら、
やるときはやる。
そういう感じになるだろう。

吉野家で牛丼をモブの顔をして食っている、
どうしてもアイドルになりたい女の子が、
隣に憧れのプロデューサーが座ったら、
顔を売りに行くに決まっている。
その時のなりふり構わずさで、
彼女の動機の強さが分るわけ。


表情や行動は、状況に反射して起こる。
だから、表情や行動だけを描くだけでは、
一方的な押し付けになるんだね。

そうできるような状況がないとダメだし、
ただやって来るだけだったらメアリースーになってしまう。

最初だけは向こうからやって来てもいいが、
それからはずっとこっちが行動したことに対して、
広がる波紋として描かれるのが、
普通のやり方だ。


そのときに、強い動機、強い目的である、
という設定のほうが、
ドラスティックに物語を転がせる、
というわけだ。
無茶ぶりに対して答えられるだけの、熱があるからね。

あとは、その熱や強さを納得できるだけの、
ストーリーがあるか、で決まる。
設定の強さ、なぜそう思うに至ったか、
という理由や事情などが、重要になってくるだろう。


むき出しの目的で迫って来る人はいない。
それはまるで勃起したちんこを振り回しながら、
走って来る人のようだ。
もちろん、そういう瞬間は物語的であるが、
初手それをしないことは、
考えに入れておくべき。

にも関わらず、心のちんこは勃起しているのだよ。
その、中と外をうまく描きわけて、ときに外の仮面をはがすことだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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