2026年03月04日

改良の改良の改良の……になってしまう

リライトをするときに気を付けること。

今あるものを改良していった先が、
ベストの解であるとは限らないということ。


進化の袋小路というものがある。
あるものを改良して、改良して、改良して、
微視的には進歩している気になるものだけど、
巨視的に見ると単に袋小路に入っていっているだけ、
ということがまれによくある。

とくに文章を見てそれを直そうとすると、
そういう罠に陥ることになる。

文をそれぞれ、ABCと表記すると、
Aを直してA2に、
Bを直してB2に、
Cを直してC2にすることが改良だと思い込んでしまう。
そうすると、
A5B7C3というような、
それぞれ回数を書き直した文章が出来上がるだけだ。

そうじゃなくて、ABCを全部捨てて、
Dに書き直すことが正解だったりする、
ということがよくあるのだ。

目の前にはAとBとCしかないから、
それが世界に見えてしまっている。
そうじゃなくて世界はとても広く、
Dが答えだったのかもしれないわけ。
ABCの中には決してない答えは、
ABCをずっと見つめていてもたどり着けないわけだ。

そのために一歩下がる、
というのが絵を描くときには良くあるテクニックなのだが、
文章はなぜか難しい。
一歩下がったら、何が書いてあるか、
見えなくなるからだろう。笑
視力の問題ではなく、
文というものは、そこに強制的に引きずり込む性質があるように思う。
だから俯瞰して見ることが難しくなるのではないか。

そのためには、
僕はすべての原稿を閉じて、
何も見ずに考えることを推奨している。
イメージの中だけが世界になるので、
一番整った形に、脳がたどり着くことが出来る可能性が広がるからだ。
白紙に向かって考えてもよい。
同じ効果があると思う。

自分はああいう感じのことを書いたはずだ、
という思いが、
なんとなく認識のレベルになって、
それを認識として書くとこういうことになる、
という書き直しが白紙からやると出来ると思う。
それで出来あがったものは、
AもBもCも含まれていないものになることが多い。


近視眼になるな、俯瞰的目線になれ、
というだけなら簡単だが、
今近視眼なのか俯瞰なのかを知ることは、
文章を見ながらだと出来ないと思う。

じゃあ見ないほうがいいじゃん、
というのがざっくりした僕の考えるコツのようなものである。

とくに、印字されたきれいな字を見ていると、
もうそれが確定された原稿のように思えてしまい、
それを修正することだけしか考えなくなってしまう。
鏡を見て、気になるところを整形し続ける女のようだ。
それでは、全体のデッサンが狂っていることに、
なかなか気づけないのだと思う。


ということで、
部分を見ずに、
何も見ずに全体を見ることは、
リライトするうえで、
かなり大事なことだと僕は思っている。
あまりにも何も見えてなくて不安だから、
つい見ちゃうのよねー。
そしたらその「あるもの」に縛られることになるのよね。

昔の作家は紙に書いていたものを、
くしゃくしゃにして丸めて投げていた。
僕もたまにそれをやるが、
それは見ないで見る方法なのだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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