リライトをするときに気を付けること。
今あるものを改良していった先が、
ベストの解であるとは限らないということ。
進化の袋小路というものがある。
あるものを改良して、改良して、改良して、
微視的には進歩している気になるものだけど、
巨視的に見ると単に袋小路に入っていっているだけ、
ということがまれによくある。
とくに文章を見てそれを直そうとすると、
そういう罠に陥ることになる。
文をそれぞれ、ABCと表記すると、
Aを直してA2に、
Bを直してB2に、
Cを直してC2にすることが改良だと思い込んでしまう。
そうすると、
A5B7C3というような、
それぞれ回数を書き直した文章が出来上がるだけだ。
そうじゃなくて、ABCを全部捨てて、
Dに書き直すことが正解だったりする、
ということがよくあるのだ。
目の前にはAとBとCしかないから、
それが世界に見えてしまっている。
そうじゃなくて世界はとても広く、
Dが答えだったのかもしれないわけ。
ABCの中には決してない答えは、
ABCをずっと見つめていてもたどり着けないわけだ。
そのために一歩下がる、
というのが絵を描くときには良くあるテクニックなのだが、
文章はなぜか難しい。
一歩下がったら、何が書いてあるか、
見えなくなるからだろう。笑
視力の問題ではなく、
文というものは、そこに強制的に引きずり込む性質があるように思う。
だから俯瞰して見ることが難しくなるのではないか。
そのためには、
僕はすべての原稿を閉じて、
何も見ずに考えることを推奨している。
イメージの中だけが世界になるので、
一番整った形に、脳がたどり着くことが出来る可能性が広がるからだ。
白紙に向かって考えてもよい。
同じ効果があると思う。
自分はああいう感じのことを書いたはずだ、
という思いが、
なんとなく認識のレベルになって、
それを認識として書くとこういうことになる、
という書き直しが白紙からやると出来ると思う。
それで出来あがったものは、
AもBもCも含まれていないものになることが多い。
近視眼になるな、俯瞰的目線になれ、
というだけなら簡単だが、
今近視眼なのか俯瞰なのかを知ることは、
文章を見ながらだと出来ないと思う。
じゃあ見ないほうがいいじゃん、
というのがざっくりした僕の考えるコツのようなものである。
とくに、印字されたきれいな字を見ていると、
もうそれが確定された原稿のように思えてしまい、
それを修正することだけしか考えなくなってしまう。
鏡を見て、気になるところを整形し続ける女のようだ。
それでは、全体のデッサンが狂っていることに、
なかなか気づけないのだと思う。
ということで、
部分を見ずに、
何も見ずに全体を見ることは、
リライトするうえで、
かなり大事なことだと僕は思っている。
あまりにも何も見えてなくて不安だから、
つい見ちゃうのよねー。
そしたらその「あるもの」に縛られることになるのよね。
昔の作家は紙に書いていたものを、
くしゃくしゃにして丸めて投げていた。
僕もたまにそれをやるが、
それは見ないで見る方法なのだと思う。
2026年03月04日
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