2026年02月01日

やりながらルールを覚えていくタイプ

今はゲームに紙の説明書ついてないんだってね。
せつないのう。

ファミコン時代、
僕はまず説明書を全部一通り読んでからやるタイプだった。
弟は逆で、
動かしながらやっていくタイプで、
分らないところだけあとで説明書を読む、というタイプだった。

これ、ストーリーの説明の仕方にも同じことが言えるのでは、
と思ったので。


説明が下手な人がいる。
それは、「全部説明しようとしているから」ではないか、
というのが僕の見立てだ。

あのことも説明しなきゃ、このことも説明しなきゃ、
と思って、事前に全部説明しておかないと、
気が済まなくなってしまうのではないかと思う。

それは聞くほうがめんどくさい。
ゲームをやりたい、という欲望を抑え込んで、
説明書を全部読むのはみんないやだ。

ゲームはその間待っててくれるが、
映画はそうではない。
どんどん進んでいく。


僕は、やりながらルールを覚えていくタイプが、
映画の説明だと思う。

最初に人生の全部を誰も教えてくれない。

生まれたとき、あるいはものごころついたころ、
「実は人生というものは〇〇である、
すべてこれからルールを教えてやるから、
そのルール内で勝利することを考えて一生を過ごせ」
と父親や神から説明を受けるわけではない。

学校に入ると、オリエンテーションをしてくれる。
こういうルールで生活してくださいと。
こんなものがあるほうがまれで、
人生のルールを教えてくれる人はいないのだ。

いまだに税金や手続きのことはよくわからない。
どうやって生きればいいかわからないまま生きている。

人生に勝利するやり方は誰も分っていない。
ただある状況で工夫するだけだ。
他の人から情報を仕入れて真似したり、
禁止されてすごすごと引きさがったり、
「じゃあアレはOKなのでは?」と調べたり、
調べたら実はこういうルールで動いていたのだ、
と分ったりする。

ストーリーも、それでいいんじゃないかと思う。

使わないルールは出さなくていいから、
余計なものは削ぎ落せるのが、
現実と違うところだ。

やりながらルールを覚え、うまく潜り抜け、
全ルールが分っていない状態でも勝利する。
人生とはそんなものではないだろうか。
全ルールを知り、ハックするというゲームでもあるまい。
ルールの穴を見つけたぞ、をしないといけないゲームでもあるまい。

ということは、やりながらルールが分っていったり、
なんか怒られて、
それは違反だと知っていったりすればいいだけのことだ。

幼少の頃の失敗が、
その後を支えるのではないか。
ペットの死は幼少期に悲しいが、
長じてから、大切な人の死を防ぐ事ができるのではないか。

ただストーリーは2時間しかないから、
幼少期のペットの死から描く事ができないだけだ。

説明が下手な人は、
全部を説明しようとして、
この「やりながらルールを覚えていく」というのを、
うまく表現できない人じゃないかと思う。

弟のようなタイプがストーリーを書くのがうまいとも思えない。
それでうまくやれなかった、説明書を先に全部読むタイプの俺のほうが、
たぶん弟のような人物を観察して、
そういうのを主人公にしてしまうことができると思う。

できるやつはなぜそれができるのか、
分っていないことが多い。
できないやつが、できるやつを観察して、
できる原理を抽出するほうが、
フィクションを書くのにうまく行くように思うね。


トラブルが起こる。
それがどういう感じで起こったのか調べて、
それを説明する。
対処する。
またトラブルが起こる。
それがどういう感じなのかをまた調べる。
そうしたら、最初には知らなかったことがあったことが分った。

そうやって、「知っていること」は、
徐々に増えていく。
そのほうが、「今知っておかないといけない量」を減らせる。
つまり、
進行が速くなり、テンポが上がるわけだ。


ためしに、説明なしで進めてみな。
トラブルが起こってから説明を追加してみると良い。
あとから説明聞くとまたトラブルになるから、
先にこんどは説明して、となると、
多少長い説明でも聞いてくれると思うけどね。


映像は止まらない。
でも説明している間は止まってしまう。
説明は映像と相性が悪いものだ。
だから、小出しにして停止を最小化するわけだね。
posted by おおおかとしひこ at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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