たぶん愛にあふれて育った人は、
創作をしないと思う。
なんらかの欠落がないと、こんなにめんどくさくて、時間がかかるものを、
執念深くやれるとは思えない。
だから、だ。
メアリースーに陥るのだ。
愛されていないから、
愛されたいと思ってしまう。
好かれていないから、好かれていたいと思ってしまう。
愛や好きを獲得する話ではなくて、
最初から愛されて好かれている話にしてしまう。
それは愛や好きを獲得した経験がないからかもしれない。
もちろん、経験がないことも創作は可能なのだが、
そこに執念を燃やせずに、
前提にしてしまうと、
メアリースーになる。
これはかなり無意識に行われる。
だから厄介だ。
私は好かれていないと思って創作をする人は、
気を付けるべきことだ。
あなたは好かれていないかもしれないが、
作品は好かれるべきだ。
それは、御都合主義になっていない、
完璧な作品だから好かれるのであり、
御都合主義の、私は無前提に好かれている、
というどうでもいいメアリースーだからではない。
逆に、私は好かれているを前提にした創作はしょうもない。
どんな表現をしても、
わかってくれると勘違いするからだ。
「私これ言ったよね?」と言ったとしても、
観客は覚えていない。
印象的に、記憶に残るような工夫をしていないから、
全然覚えていないことはよくある。
私は好かれているから、
私の言葉は常に100%伝わると思っている甘えた作者にとっては、
表現がなぜ伝わらないのか分らない。
私の表現は普通にやっても伝わらない。
それを前提とするべきだ。
「私は好かれていない」と思う人は、
これを工夫して持ってくる。
ただの表現じゃ振り向いてくれないと知っているから、
ちゃんと表現に昇華したものをつくる。
しかし私は好かれている前提の人は、
そんなことをしなくても話を聞いてくれたから、
工夫して表現に昇華するすべを知らなかったりする。
どっちもどっちである。
前提として、
私は好かれていないことを想定しておくべきだ。
だからどうやって振り向いてもらうかを考えることだ。
おもしろそうな匂いを出し、
たしかにその期待に応えることだ。
芸をしないやつは、サーカスには必要ないのだ。
しかし、
その芸が、「私を愛してください」ではつまらないわけ。
求めてやまないことを表現しても伝わらない。
そうじゃない。
お話でおもしろくするしかないのだね。
事件があり、解決があり、
それが結局なんだったのか、
という面白さがないことには、
そのお話は認められないだろう。
あなたが愛されて育ったか、
好かれて育ったか、
あるいはその逆だったかはどっちでもいい。
好かれていない前提の人がつくったものの落ちる罠に落ちても、
好かれてきた人がつくったものの罠に落ちても、
つまらなくて見捨てられらるということだ。
人は面白くて、価値のあるお話しかいらない。
時間を無駄にはしたくない。
私を愛してという人や、
私は愛されているので私のいうことは全部OK、
というのは見たくないのだ。
じゃあどんなものなら見たがるか?
を考えることから、
お話の核をつくることが始まるのだよ。
2026年03月11日
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