2026年03月11日

創作の前提:私は好かれていない

たぶん愛にあふれて育った人は、
創作をしないと思う。
なんらかの欠落がないと、こんなにめんどくさくて、時間がかかるものを、
執念深くやれるとは思えない。

だから、だ。
メアリースーに陥るのだ。


愛されていないから、
愛されたいと思ってしまう。
好かれていないから、好かれていたいと思ってしまう。
愛や好きを獲得する話ではなくて、
最初から愛されて好かれている話にしてしまう。

それは愛や好きを獲得した経験がないからかもしれない。
もちろん、経験がないことも創作は可能なのだが、
そこに執念を燃やせずに、
前提にしてしまうと、
メアリースーになる。

これはかなり無意識に行われる。
だから厄介だ。

私は好かれていないと思って創作をする人は、
気を付けるべきことだ。
あなたは好かれていないかもしれないが、
作品は好かれるべきだ。

それは、御都合主義になっていない、
完璧な作品だから好かれるのであり、
御都合主義の、私は無前提に好かれている、
というどうでもいいメアリースーだからではない。


逆に、私は好かれているを前提にした創作はしょうもない。
どんな表現をしても、
わかってくれると勘違いするからだ。
「私これ言ったよね?」と言ったとしても、
観客は覚えていない。
印象的に、記憶に残るような工夫をしていないから、
全然覚えていないことはよくある。

私は好かれているから、
私の言葉は常に100%伝わると思っている甘えた作者にとっては、
表現がなぜ伝わらないのか分らない。

私の表現は普通にやっても伝わらない。
それを前提とするべきだ。
「私は好かれていない」と思う人は、
これを工夫して持ってくる。

ただの表現じゃ振り向いてくれないと知っているから、
ちゃんと表現に昇華したものをつくる。
しかし私は好かれている前提の人は、
そんなことをしなくても話を聞いてくれたから、
工夫して表現に昇華するすべを知らなかったりする。

どっちもどっちである。


前提として、
私は好かれていないことを想定しておくべきだ。
だからどうやって振り向いてもらうかを考えることだ。
おもしろそうな匂いを出し、
たしかにその期待に応えることだ。
芸をしないやつは、サーカスには必要ないのだ。

しかし、
その芸が、「私を愛してください」ではつまらないわけ。
求めてやまないことを表現しても伝わらない。
そうじゃない。
お話でおもしろくするしかないのだね。

事件があり、解決があり、
それが結局なんだったのか、
という面白さがないことには、
そのお話は認められないだろう。


あなたが愛されて育ったか、
好かれて育ったか、
あるいはその逆だったかはどっちでもいい。
好かれていない前提の人がつくったものの落ちる罠に落ちても、
好かれてきた人がつくったものの罠に落ちても、
つまらなくて見捨てられらるということだ。

人は面白くて、価値のあるお話しかいらない。
時間を無駄にはしたくない。

私を愛してという人や、
私は愛されているので私のいうことは全部OK、
というのは見たくないのだ。


じゃあどんなものなら見たがるか?
を考えることから、
お話の核をつくることが始まるのだよ。
posted by おおおかとしひこ at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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