とは言えまいか。
酒。音楽。ダンス。
これらは人間の強力な理性を麻痺させて、楽しむ遊びであると思う。
陶酔もそれに含もうか。
(陶酔が娯楽になるのなら、
ある種の演説や神の言葉を聞くことも娯楽に入ると思う。
陶酔すると理性が失われがちだよね)
酒があるから男女はあれこれが出来る。
酒なしで理性だけでセックスすることは難しいんじゃないか。
(もちろん、酒なしで雰囲気だけでいけることもあるが)
酒があるから多少判断が緩くなるからだし、
「酒が入っていたので」と酒のせいに出来ることも含まれると思う。
なんらかの理性的判断をオフにすることが、
娯楽の役割なんじゃないかということだ。
音楽やダンスもそうだろう。
まじめに理性で考えれば、
なぜそんなことをしているのか良く分からなくなる。
だが、理性のスイッチをオフれば、
ダンスやショーに身を任せていることは楽しいことだ。
物語はどうだろう?
理性で考えたらありえないことを、
あることだと思って想像する娯楽だ。
理性で考えつつも、
架空の世界で遊ぶような、
言い訳の出来るほどの理性の喪失を楽しむものだといえる。
つまり、あり得ないから娯楽にならないのではない。
理性を上手に奪ってくれる娯楽こそが、
上等な娯楽なのだと思う。
陶酔を引き出せるだろうか。
理性の喪失を引き出せるだろうか。
ストーリーにうっとりするとは、
どういう場面のことだろうか。
全能感を満たす瞬間だろうか。
事故承認欲求が満たされる瞬間だろうか。
歌やダンスシーンだろうか。
アクションシーンだろうか。
危機一髪を乗り越えたシーンだろうか。
世界を変えた瞬間だろうか。
色々あるけど、
一番強いのは、
弱点を克服して、世界を変える瞬間だと思う。
つまり、物語とは、
普通に理性で考えていたら、
「自分の弱点を克服して世界を変える」
なんてまったく出来ない人が、
理性を失って、それを味わう娯楽だといえないか?
ということだ。
酒に酔いたいときはどういうときだ?
クラブで踊りたいときはどういうときだ?
物語という娯楽に手を出すのはどういうときだ?
物語の摂取は、
酒に酔っていないのに酒に酔わせるようなものだ。
アルコールなどの物質がないのにやるってけっこうなハードルだよね。
そのために物語は一個大きな嘘をつくんだよ。
その嘘を信じる限りは、
酔うことが出来るようなものを用意するのだ。
つまり、物語のドラッグ成分とは、
嘘だということになる。
どういう設定ですか?
どういう事件ですか?
どういうキャラクターですか?
それは全部嘘である。
嘘であるが、嘘過ぎると、
理性が失われることを拒否するので、
今理性を失ってもいいかな、と思える、
もっともらしい流れをつくって、
嘘というドラッグを摂取させるのが、
物語の本質だといえまいか。
悪意があれば心理を誘導できるだろう。
事実、宗教というのはすべて物語形式である。
戦時中、プロパガンダに使われたのは映画であった。
(露宇戦争でも、結構な動画がSNSに投稿されている。
ニュースのふりをした、フェイクニュースプロパガンダである可能性がなくもない。
この戦争が終わったら検証されるべきことだけど、
だれか研究しているのだろうか)
悪意のないものを、娯楽扱いできるのではないか。
ただし、よくできた物語というのは、
深い人生のテーマを扱って、
人間や社会や人生の新たな面を発見させる、
思想を進化させる手段になりえるよ。
さて。
あなたはどうやって観客の理性をはぎ取るのか?
そういう詐欺師として自分の手段はなんだろう、
と自問自答してみよう。
真正直にリアルな世界のリアルなストーリーをやっても、
嘘というドラッグが足りないかもしれないよ。
2026年03月12日
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