2026年03月18日

物語を紡ぐことは、一人でもできる

いっとき小説でも書いてみるか、
って実験していたのは、
このことを確かめるためでもあった。


でも小説には小説の作法があり、
自分はなんにも知らんなあ、と思って、
小説らしい小説なんて書けないや、
と思って放置している状態かな。


映画は商品になりすぎてて、
ストーリーなど必要としていない、
というのはたびたび僕が唱える暴論である。
場面や瞬間の何かしか求めてなくて、
全体のストーリーとか人生とは、とかの、
物語的要素は付け足しにすぎず、
そんなものは小説やその他のメディアでやったほうがいいのでは?
という疑問がなくもない。

演劇?
これも原作ものとかシリーズものが、幅を利かせているように思える。
極論、
宝塚のレビュウみたいなのでもいい、
ってことあるし。

小説?
良く分からない。

漫画?
僕の出自はここだけど、
今更漫画の絵を全部描くだけの体力はないねー。

アニメーション?
オリジナル映画を出来るのは、
実はいまここ、という話もある。

ドラマ?
そんなに長いものを書けるかは分らない。
また、視聴率によって、
次の話を変えるようなシステムで、
対応できるとも思えない。

Netflix?
バブルは終わって、選択と集中があるように見える。


映画が物語としていいのは、
一本として完結しているところと、
ちょうどいい長さであるところだと思うんだよな。
その絶妙なブレンドがいいと。

しかしオリジナルのストーリーを、
映画(邦画だけ?)がもはや必要とすら、
していないように見えるときがあるよね。

物語を紡ぐ力、資格?が、
映画から失われつつあるように思う。



どんな世の中でも、
物語が失われることはないと思う。
しかし、
物語とメディアが、
分離しかかっているような気がしなくもないね。
マスで商売するには、
物語で商売するよりも、
コンサートやレビュウで商売したほうが効率がいいんじゃないか、
って感じになっているのが現在地点のような、
気がしなくもない。
(実は楽曲アーティストのライブを編集したドキュメントを、
音響がいい映画館で流すとそこそこ客が入るんだよね)


それでも物語を紡ぎたい人は、
今どうしたらいいんだろうね。

勝手に小説書くしか、
今のところは出口がないのかなあ。
自主映画を作る手もあるけど、
それって知れてるビジュアルになるから、
結局しみったれた、僕の嫌いな日本映画になるんよなー。
もっと変わった、
世にも奇妙な物語みたいなの(ホラーに限らない)を、
やればいいのにな。

それでもオリジナルの脚本を探している人、人たちはいるだろう。
そこに当たるまで、牙を研ぐしかあるまい。
posted by おおおかとしひこ at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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