セリフが下手な人がいると思う。
どうすれば書けるのか、
迷う人がいると思う。
そういう時は、周りをよく見るといい。
誰も映画みたいなセリフを言っていない。
つまり、人はそんなに練られた言葉をとっさに放たない。
ほとんどの言葉は、素朴で、単発的で、
思いつきである。
文学的なセリフではない。
あなたが文学的な言葉を使う人だとしても、
周りはそうではない。
つまり、平均すると、人の言葉というのは、
たいしたことのない、平凡な言葉でできている。
だから、そんなリアルな言葉でよいのである。
セリフが下手な人は、
そのリアルがつかめていない人なんじゃないかと思う。
流暢に言わなければならないとか、
装飾を施して、名セリフにしなければならないとか、
そういう強迫観念が、セリフを下手にしているのではないか。
そのことを言わなければならないときに、
普通の人はどういうだろうか?
を考えるとよい。
また、人間の常として、
エネルギー最小の法則がある。
人はなるべく苦労したくないので、
言葉を紡ぐときすらも、
なるべく最小の言葉数で言えるような、
朴訥なしゃべりをするということだ。
「どうぞ、お茶を淹れました」ではなくて、
「はい」とか、「ん」でいいわけ。
「そこの飯屋に行こう。話したいことがあるんだ」
ではなくて、
「飯くってこうぜ」だ。
「あした行く?」ではなくて、
「行く?」だ。
それで伝わる場合には、なるべく最小にするんだよね。
明示的に言葉を尽くさなければならないときだけ、
人は言葉を頑張る。
契約書を作るときとか、
結婚式のスピーチとか、
女を口説くときとか。
なんなら、言葉を使わないときすらある。
お茶を静かに目線に入るところに置く。
飯屋を指さす。
顔色をうかがう。
こんなもんでしょ。普通。
気心が知れていないなら、もう少し言葉をつくすが、
普通はそうじゃない。
なるべく人はしゃべらない。
そのことをよく観察してみることだ。
よくしゃべる人で、話が上手い人がいる。
それが話が上手いことだと勘違いしてはならない。
そういう人はキャラクターたちの中に一人はいるかもしれないが、
全員はそんなに口が上手いわけではない。
そのしゃべるのが上手い人が話しているのを聞いている、
もっと多くの人がいる。
そういう人の、リアルな言葉遣いを観察する必要がある。
なんなら、
人は伝えたいことの100%を言葉にすることが出来ない。
いつも50%とか、30%で、
言葉にできないことが多い。
そんなものでよい。
その代わり、しぐさや表情で、言葉以上の何かを伝えるのが、
「最上のセリフは無言である」ということの意味だと思う。
愛してるなどと言う必要はない。
黙って隣で微笑んでいるだけでもそれは伝わる。
そういう脚本を書けばよいだけだ。
もちろん、言葉にしないと伝わらない場面はある。
そういう時だけ、言葉で強く刺せばいい。
セリフの下手な人というのは、
この強弱がつけられない人なのかもしれない。
人生で大事な場面で、
強い言葉で刺せて、
そうでもない場面で、省略して最小エネルギーで話すのが、
リアルな人間というものではないか。
様式美のセリフも使えて、
リアルなセリフも使えないと、
うまいセリフ回しとは言えまい。
両方を書ける必要があると思うよ。
2026年03月21日
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