2026年03月21日

人はそんなに饒舌じゃない

セリフが下手な人がいると思う。
どうすれば書けるのか、
迷う人がいると思う。

そういう時は、周りをよく見るといい。
誰も映画みたいなセリフを言っていない。
つまり、人はそんなに練られた言葉をとっさに放たない。


ほとんどの言葉は、素朴で、単発的で、
思いつきである。
文学的なセリフではない。
あなたが文学的な言葉を使う人だとしても、
周りはそうではない。
つまり、平均すると、人の言葉というのは、
たいしたことのない、平凡な言葉でできている。

だから、そんなリアルな言葉でよいのである。

セリフが下手な人は、
そのリアルがつかめていない人なんじゃないかと思う。
流暢に言わなければならないとか、
装飾を施して、名セリフにしなければならないとか、
そういう強迫観念が、セリフを下手にしているのではないか。

そのことを言わなければならないときに、
普通の人はどういうだろうか?
を考えるとよい。

また、人間の常として、
エネルギー最小の法則がある。
人はなるべく苦労したくないので、
言葉を紡ぐときすらも、
なるべく最小の言葉数で言えるような、
朴訥なしゃべりをするということだ。

「どうぞ、お茶を淹れました」ではなくて、
「はい」とか、「ん」でいいわけ。
「そこの飯屋に行こう。話したいことがあるんだ」
ではなくて、
「飯くってこうぜ」だ。
「あした行く?」ではなくて、
「行く?」だ。

それで伝わる場合には、なるべく最小にするんだよね。
明示的に言葉を尽くさなければならないときだけ、
人は言葉を頑張る。
契約書を作るときとか、
結婚式のスピーチとか、
女を口説くときとか。

なんなら、言葉を使わないときすらある。
お茶を静かに目線に入るところに置く。
飯屋を指さす。
顔色をうかがう。

こんなもんでしょ。普通。
気心が知れていないなら、もう少し言葉をつくすが、
普通はそうじゃない。
なるべく人はしゃべらない。
そのことをよく観察してみることだ。

よくしゃべる人で、話が上手い人がいる。
それが話が上手いことだと勘違いしてはならない。
そういう人はキャラクターたちの中に一人はいるかもしれないが、
全員はそんなに口が上手いわけではない。
そのしゃべるのが上手い人が話しているのを聞いている、
もっと多くの人がいる。
そういう人の、リアルな言葉遣いを観察する必要がある。

なんなら、
人は伝えたいことの100%を言葉にすることが出来ない。
いつも50%とか、30%で、
言葉にできないことが多い。

そんなものでよい。
その代わり、しぐさや表情で、言葉以上の何かを伝えるのが、
「最上のセリフは無言である」ということの意味だと思う。

愛してるなどと言う必要はない。
黙って隣で微笑んでいるだけでもそれは伝わる。
そういう脚本を書けばよいだけだ。

もちろん、言葉にしないと伝わらない場面はある。
そういう時だけ、言葉で強く刺せばいい。

セリフの下手な人というのは、
この強弱がつけられない人なのかもしれない。
人生で大事な場面で、
強い言葉で刺せて、
そうでもない場面で、省略して最小エネルギーで話すのが、
リアルな人間というものではないか。

様式美のセリフも使えて、
リアルなセリフも使えないと、
うまいセリフ回しとは言えまい。
両方を書ける必要があると思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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