2026年03月23日

生活はBE、物語はDO

幸せになる、不幸になる、という我々の感覚は、
現在どうか、というBEの形をしている。

一方、
行動する、結果が出る、という要素はDOの形をしている。
日常の人生の感覚と、物語の感覚が違うことについて。


幸せになりたい、私幸せです、
不幸だ、不幸のどん底、
たのしい、悲しい、つまんない、
などについて考えてみよう。
これは状態のことについての感想である。

なぜ、どうして、というのはたいていない。
いや、根拠はあるのだが、たいてい複合的な要素であり、
しかも変化している最中のことではない。
色々あった結果、
今幸せである、不幸である、
のような状態になる。

これは時間変化しないという意味で、
状態のBEである。

私たちは幸福になりたくて人生を生きるが、
その感覚はBEであり、
具体的に何かをするとか、
積極的に行動する、をあまり意味しない。
それらはDOであり、
BEとは関係のないものだ。

その極端なやつが、
いつか棚ぼたが振ってこないか、
口を開けて待っている状態の人生だ。
メアリースーも、この願望だと言える。


さて。
ストーリーはこれでは動かないのであった。
状況が変わるとしたら、
主人公の行動による結果である。

「主人公の行動の軌跡が物語」だ。
行動、また行動、また行動して、
結果が出て、
最終的にこうなりました、
というのがストーリーだからである。

行動がないのに幸せになりました、
だと、棚ぼたの人生でしかない。
棚ぼたはうらやましいが、感動しない。
興味深くもない。
笑えないし、ハラハラもしない。
つまり、商品としての物語にはならない。

波乱万丈の人生が面白いのはフィクションの中だけであり、
実人生にはあまり起きてほしくない。
だけど波乱万丈であるほど見世物にはなるから、
フィクションの中では、
つねに状況は変転している。
そしてその波にもまれて、ただ漂うだけの主人公はおもしろくない。
その波にいかに抗い、乗り越えていくか、
という行動や判断や感情こそが、
見世物になるのだ。

だから、物語の中の主人公はつねにDOをしている。
そしてDOするからには、反発があるので、
コンフリクトが起こり、
結果が出る。
出ない結果を待つのはBEで、
退屈な時間であるが、
いざ結果が出たらまた状況が動くので、
それからまたDOに出る必要が出てくることが多い。

こういうDOと結果のループが物語であり、
それが最終結果になるまでを、
起承転結などという。

DOのない物語は平穏で平凡な人生にすぎない。
だから見世物としてはつまらない。
BEであるように仕事で立ち回り、
幸福なBEを手に入れることが実人生では大事だけど、
そんな変化のない普通の話は、
話として面白くないに違いない。

我々が求めている物語とは、
波乱万丈のはずだ。
それは、実人生で波乱万丈をしたくないからだ。
だから、フィクションで波乱万丈をみたいんだね。
怖いもの見たさだと言ってもよい。


今書いているのは、BEなのか、DOなのかを意識しよう。
ずーっとBEばかり書いてたら、
そろそろDOしようと思えればよい。
もちろん、BEが不要とは言わない。
そういう状況が幸せの記憶になることもある。
あの状態に戻りたい、というのが主人公の行動の動機になることも多い。


あなたはBEを書いているのか。
それともDOを書いているのか。
自覚的になろう。
そして、そのバランスを理想的にしていこう。
posted by おおおかとしひこ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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