幸せになる、不幸になる、という我々の感覚は、
現在どうか、というBEの形をしている。
一方、
行動する、結果が出る、という要素はDOの形をしている。
日常の人生の感覚と、物語の感覚が違うことについて。
幸せになりたい、私幸せです、
不幸だ、不幸のどん底、
たのしい、悲しい、つまんない、
などについて考えてみよう。
これは状態のことについての感想である。
なぜ、どうして、というのはたいていない。
いや、根拠はあるのだが、たいてい複合的な要素であり、
しかも変化している最中のことではない。
色々あった結果、
今幸せである、不幸である、
のような状態になる。
これは時間変化しないという意味で、
状態のBEである。
私たちは幸福になりたくて人生を生きるが、
その感覚はBEであり、
具体的に何かをするとか、
積極的に行動する、をあまり意味しない。
それらはDOであり、
BEとは関係のないものだ。
その極端なやつが、
いつか棚ぼたが振ってこないか、
口を開けて待っている状態の人生だ。
メアリースーも、この願望だと言える。
さて。
ストーリーはこれでは動かないのであった。
状況が変わるとしたら、
主人公の行動による結果である。
「主人公の行動の軌跡が物語」だ。
行動、また行動、また行動して、
結果が出て、
最終的にこうなりました、
というのがストーリーだからである。
行動がないのに幸せになりました、
だと、棚ぼたの人生でしかない。
棚ぼたはうらやましいが、感動しない。
興味深くもない。
笑えないし、ハラハラもしない。
つまり、商品としての物語にはならない。
波乱万丈の人生が面白いのはフィクションの中だけであり、
実人生にはあまり起きてほしくない。
だけど波乱万丈であるほど見世物にはなるから、
フィクションの中では、
つねに状況は変転している。
そしてその波にもまれて、ただ漂うだけの主人公はおもしろくない。
その波にいかに抗い、乗り越えていくか、
という行動や判断や感情こそが、
見世物になるのだ。
だから、物語の中の主人公はつねにDOをしている。
そしてDOするからには、反発があるので、
コンフリクトが起こり、
結果が出る。
出ない結果を待つのはBEで、
退屈な時間であるが、
いざ結果が出たらまた状況が動くので、
それからまたDOに出る必要が出てくることが多い。
こういうDOと結果のループが物語であり、
それが最終結果になるまでを、
起承転結などという。
DOのない物語は平穏で平凡な人生にすぎない。
だから見世物としてはつまらない。
BEであるように仕事で立ち回り、
幸福なBEを手に入れることが実人生では大事だけど、
そんな変化のない普通の話は、
話として面白くないに違いない。
我々が求めている物語とは、
波乱万丈のはずだ。
それは、実人生で波乱万丈をしたくないからだ。
だから、フィクションで波乱万丈をみたいんだね。
怖いもの見たさだと言ってもよい。
今書いているのは、BEなのか、DOなのかを意識しよう。
ずーっとBEばかり書いてたら、
そろそろDOしようと思えればよい。
もちろん、BEが不要とは言わない。
そういう状況が幸せの記憶になることもある。
あの状態に戻りたい、というのが主人公の行動の動機になることも多い。
あなたはBEを書いているのか。
それともDOを書いているのか。
自覚的になろう。
そして、そのバランスを理想的にしていこう。
2026年03月23日
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