こういう傾向がアメリカ映画には多い気がするね。
まあ、脚本を書くようなやつはたいてい陰キャで、
陽キャが若干むかつくように描かれていることは、
とてもよくある。
でもその陽キャが無理やり何かに連れて行って、
それがストーリーの起点になることはとても多い。
以下しばらくネタバレなしで。
まあ、そうでもしないと、
陰キャはストーリーに絡んでこない。
なるべく殻にこもって、
人と関わるのをやめるからだ。
陰キャとは人と関わらないことで、
陽キャはその逆だ。
ストーリーとは他者との関わりだから、
陰キャはストーリーと相性が悪く、
陽キャのほうがストーリーと相性がいい。
陽キャアメリカ人こそが、
アメリカ映画を発展させた原動力なわけだ。
他人と関わらない、
陰キャが一人で考える哲学のようなものは、
ストーリーとは相性が悪いのである。
ということで、アメリカ映画では、
よく陽キャが危険に勝手に踏み込んで、
陰キャが巻き込まれるパターンが多いと思う。
以下ネタバレ。
で、たいていの陽キャは
(陰キャがふだんむかついているからか)、
因果応報的に死ぬことが多い。
アメリカ、キリスト教に因果応報という、
仏教的な考え方はないにも関わらず、
派手で遊んで、人を強引さで巻き込む陽キャは、
必ず映画の中で不幸な目にあうことが決まっている。
アメリカに仏教はないが、
アメリカ映画の中になぜか因果応報がある。
ざっくりいうと、「ざまあ」という感情なんだろうけど、
13日の金曜日でセックスばっかりしているカップルは、
たいてい惨殺されることに決まっているんだよな。
というわけで、
アメリカ映画論でいうと、
親友は死ぬことが確定するわけだ。
死なないにしても、かなりひどい目に合うことは確定だ。
この映画がおもしろいのは、
それをストレートにせずに、
「実はとっくに死んでいた」という表現にしたことだ。
極限状態では、人はこういう幻影を見ることがある、
というのは広く知られたことで、
阪神大震災のときに、
家の下敷きになった母子がいて、
子供が助けられたときに母はとっくに死んでいたのに、
子供はずっと母親が歌を歌ってくれてたから、
怖くなかった、
という話が残っている。
山で遭難したときも、
そういう不思議な話は枚挙にいとまがない。
そんなことが下敷きにあるので、
急に幻覚と言われても、
なるほどー!と思うわけ。
ここが巧妙にうまいよね。
それまで、わざと極限状態をきちんと描いている。
寝たらやばいとか、
ハゲワシに襲われる夢とか(伏線になっている)、
一人の夢を見るとか(これも伏線なんだよなー)、
水や食べ物の話とか。
そういえば、小便を最初にしてから、
ずっと二人は小便をしていない。
それも伏線になっているんだよなー。
色々とうまいね。
陽キャはストーリーの牽引役である。
そして、たいてい最初の、ないし最大の犠牲者になる。
我々陰キャは陽キャに感謝して生きていくべきだ。
ストーリーを成立させてくれる、神様みたいなものだ。
こういうキャラクターは、
あまり日本人にはいないが、
それでも導き手になってくれるキャラクターはよく出てくる。
たとえば女が主役のラブストーリーでは、
導き手はたいてい陽キャのヒーローである。
死ぬこともままあるか。
2026年02月27日
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