2026年03月03日

「すごい」というのはいつも他人の評価

いつもすごいのを書きたい。
それはかつてすごいものを見て、その領域に到達したいと思ったからだ。

自分のを見て、すごくないことに落ち込んだりする。
その必要はないかもしれないよ、という話。
自己評価と他者評価の話だ。


まずかつて見た「すごい」話は、どこがすごかったのか、
言語化してみたまえ。

たいていは、
「これまで思ったことのなかったことを、
表現していたから」というところに帰着すると思うんだよね。

それは、人類全員が考えたことがなかったことだろうか?
それなら新しい哲学になるかもしれないね。
それはものすごいことだと思う。

でもそうじゃなかったかもしれない。
当時はポピュラーな考え方で、あなたが知らなかっただけかもしれないね。
みんな当時はそう考えてたのに、
あなたが知らないだけで過去の名作を見て、
「すごい、こんなことを考えている人がいたのか」
っておどろき、圧倒されているだけかもしれないよ。

これと同様のことが、あなたの作品に起こる可能性もあるわけだ。
界隈で当然とされているような考えを、
あなたが取り上げただけで、
その界隈を知らない人が、
「すごい、こんな考え方があったのか」と、
驚くことは結構あるんじゃないかと思う。
今は情報化社会だからみんな知ってるだろうって?
いやー、逆にクラスタに分けられてしまったから、
クラスタをまたぐ情報の流通って、
逆になくなったんじゃないかしら。
誰もが広く浅い情報を見ていた時代から、
狭く深い情報を見る時代になったら、
よその深い部分を見たことがない時代になったのでは。

たとえば、オープンソースという考え方は、
多分プログラミング界隈にいないと分らないと思う。
知らない人に説明すると、
自分のつくったものを無料で公開して、
誰もがコピペできるようにして、
料金を一切取らず、界隈の発展のために使ってくれ、
という考え方だ。
アップルの図面が僕の知る古い例だけど、
もっと昔からあったかもしれない。

で、これって要するに共産主義なんだよね。
アカの共産主義ではなくて、原始共産主義的だ。
だから、人類の考え方としては、
とても初期の考え方なんだよ。

でも今のインターネットのような、
課金体制でしか暮らしていない人は、
エンジニア同士のオープンソース文化が、
信じられないかもしれない。
だから、「すごい」と思ってしまう可能性は高い。

だってソースコードを組み合わせてプログラムをつくるというのに、
その重要パーツも全体もコピペ自由なんだぜ。
そんなの無料で次ができてしまうではないか。
界隈が発展していない時代では、そのほうが界隈が発展する、
という考え方からオープンソースがつくられた。

発展して、それらを扱えないレベルの人が多くなってくると、
扱えない人に無料で提供しても使えないから、
有料でつくってあげますよ、という商売になってゆく。
それが今のインターネットだ。

僕はその少し前のインターネットが好きだったので、
僕の脚本論も、キーボード論も、
すべて無料なオープンソースだと思ってここに書き記している。
そんな多くの人が、脚本をまじめに考えてはいないから、
まじめな少数の人の役に立つならそれでもいいと考えたからだ。
だからnoteとかで創作論を有料化している人、
良く分らんのよね。
まあ生活の糧にしたいのは分るし、
ただじゃ教えないことが世の中にはたくさんあるから、
それが悪とまでは言わないが。

そういう常識の人からしたら、
無料で公開して、どこへでも持ってってください、
という考え方は、「すごい」ってなると思う。


あなたは過去の名作の何をすごいと思った?
それを言語化してみたまえ。
それがどうすごいのか、他にもあるのか、
知らなかっただけ、という可能性が高いんじゃないか?

その映画で初めて公開された考え方、というのはほとんどないかもしれない。
あるとしたら、パターンかな。
こういうパターンを初めて発明した、というのはありそう。
で、それって「すごい」というよりは、
「うまい」ってなりそうだなと思った。


で。
あなたが自分の知っている詳しいものを書くだけで、
知らない人が「すごい」ってなるかもしれないよ、
という話。

あなたはよく知っていることを書いているだけだから、
別にすごいポイントとして数えていないが、
他の人からしたらそこがものすごいポイントになっている可能性もあるということ。

結局、マスが知ってるか、知らないか、だと思う。
オープンソースで映画をつくることは難しいが、
ひょっとしたら原始共産主義と商売イズムの間の話は作れるかもしれない。
猿の惑星のような、別に発達した文化圏での争いを描ければ、
SFとして成立するかもしれないね。
そしたら、知らない人ほど、
「すごい、これは現代のオープンソース文化のことを語っているのだ」なんてほめてくれるかもしれない。
良く出来た話なら余計にね。
(そもそも面白くない話は、すごいもすごくないもない。
評価以前の問題になる)

というわけで、
すごいかどうかは、人口に膾炙しているか、というだけの話だと思うよ。

あなたが書きながら、
これは知られているかなあ、知られていないかなあ、
と考えることはとても大事な平衡感覚だ。
知られていないなら、少し丁寧に説明したほうがいい。
知られているなら、省略してもかまわない。
知られていないことを説明なしに使うと、
おいてけぼりになるだろう。
オープンソースのソースコードはよくわからないから説明するべきだが、
村にある誰もが使っていい井戸なら、ほとんど説明なしに分ると思う。
ものにたとえると急に話が分かることもあるよね。
だから、どうやったら分りやすくなるかを考えるべきなのだ。

「すごい、オープンソースのことを井戸にたとえて話した例はない」という驚きがあるかもしれないが、
どこかの理系カンファレンスで語られたことかもしれないしね。
結局は、狭い領域の話なのか、広い領域で共有されていることなのか、
ということに依存するということだ。


あなたの書いた話の、どこにもすごいものがないと自分では思っていたとしても、
案外他の視点から見たら「すごい」ってなるポイントがあるかもしれない。
ないかもしれない。
それは、他人に見せてみるまで分らない。
あなたの中の狭い世界に浸っているだけだと、
発見しにくい。
なので、他人に見せることはとても重要だ。

思っていなかったところがすごいと思われたら、
そこはきちんと深掘りしたほうがいいかもしれない。
自分ではたいしたことがなくてもすごいポイントは、
出てくるものである。
そこを育てていくと、もっとすごい話になるかもね。
posted by おおおかとしひこ at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック