映画「僕は昨日の君と、明日デートする」の、
パクリ元といえるSF小説。
アイデアには著作権はなく、
ディテールに著作権が存在する、
という現行法ではパクリではないが、
このものすごいアイデアを堂々とパクるとは、
なかなかの剛の者よ。
映画では不可能な表現があって興味深かった。
以下ネタバレ込みで。
小説にあって映画にないもの。
年齢がどんどん変わっていくこと。
映画は2週間限定として、
若い時の同じ役者に演じさせている。
年を取った状態も同じ役者のメイク違いなので、
せいぜい30代。
あとは幼少期だけを子役でまかない、
都合2体のボディーだけでなんとかしている。
だが小説はその制限を受けないので、
様々な年齢を出す事が可能だ。
なのでとてもバラエティ豊かな時代感があり、
ゆっくりとした進行になっている。
蜜月期の6年間を真ん中にして、
その前後の方がむしろ長く描写されているのが、
なかなか興味深かった。
ふたつめは、より客観的に、
「いったい何が起こってるのかを地の文で説明できること」だ。
映画ではセリフと黒板に書いた図、
フラッシュバックなどで説明していた、
そときびとの概念が、
小説ではひたすらに説明が可能で、
この時間軸で一体何が起こってるのか、
よりわかりやすかった。
24:00を境に1日が入れ替わる、なんてご都合設定もあったね。
(映画では門限24:00という設定をつけて、
その姿を見せないていになっている)
あー、このへんの三人称でもない、
別軸の「説明しよう」ができるのが、
小説の強いところだね。
映画で説明シーンはせいぜい2〜3分でないと飽きられる、
つまり原稿用紙2〜3枚、800〜1200字、
という制限を考えると、
これは相当な強みだなー。
あと面白い仕掛けがあって、
指輪が円環する不思議さ(どこから来たもの?
というタイムパラドックス的なもの)、
自分の息子が父親、というオチがあり、
彼女の肖像画が父親のものとして出てくるオチがある。
この小道具の使い方のうまさが、
小説的だなーって思った。
しかし映画版よ、
画家の設定丸パクリで、
肖像画のくだりをクライマックス部に持ってくるなど、
大胆なパクリアレンジをしたものだなあ。
話ついてんのかな。
してねえんだろうなあ。
都合3種のそときびとの話を見たわけだけど、
断トツに最初の小説がよくできている。
祖父殺しのパラドクスみたいな、
円環のパラドクスが生まれているのが、
とてもSF的だ。
このSF味を、映画はだいぶ感情に流したんだなー。
結局あの映画は何が言いたかったのかよくわからない。
この小説だと、円環の指輪が閉じた、
と締められているのが、
「時間とは何か」というセンス・オブ・ワンダーを考えさせて、
格の違いが出ていると思った。
この物語は、映画にできないね。
理由は上の全てだ。
小説のすごいところは、自由に読み返せるところだけど、
映画は一度走り始めたら止まらずに最後まで走り切り、
消えてしまう。
映画の方が儚いんだな。
とても不思議な物語だ。
同工異曲を許さない、
徹底した面白い話であった。
映画は時の流れと変化を描く。
小説は状態を端から順番に描く。
船の乗り方が全然違うなーって感じ。
2026年03月01日
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