2026年03月06日

【薙刀式】言葉とコンピュータ

Twitterから。
> キーボード上の一つキーが画面に表示される一つの文字に対応していること。ファイル、メニュー、マウスなどの用語が日常的な単語であること。プログラムを書く時に予約語と値文字列が同じ言語であること。英語話者がコンピューターを使う時のそうしたモードレス性を、日本語環境のユーザーは知らない。

昔ぴゅう太とか、PC-6001に、
日本語BASICというカタカナでのプログラミング言語があったなー……

結局あれは日本語として定着しなかった。
なんでか。


文法だけでなく、
論理の構造が英語と日本語でちがうんだよね。
日本語はあんな論理的な構造を書くのに向いていない。
漢文を逐語訳してギリ日本語になったようには、
英語を逐語訳しても日本語にはならないんだよなー。


大学数学をやったとき、
英語で理解したほうが分りやすい、とすら思った。
たとえば、s.t.(such that)や、
ターンA(any, all)やE(exists)を使ったほうが、
数学の式が分りやすいと思った。
数式はすべて英語の語順で書かれていると理解すると、
だいぶ理解が楽になったなー。

論理を記述するのに、日本語は向いてない、
なんて思ったものだ。
逆に、「論理的」に書かれた法律文や保険の契約文などは、
僕は日本語として最低に分りにくいと考えている。


何が違うのかなあ。
「は」かな。

「象は鼻が長い」の文で、
「主語はなにか」という長年解けていない問題がある。
それは英文法から輸入した文法の枠組みでは解けなくて、
日本の独自の考え方で考えれば解けるのだ、
ということについては以前紹介した。

日本には「場」がある。
これについて考えますね、という前置きだ。
その空間感覚が、「は」で規定されると思われる。
そんな「場」で考えることは英語ではしない。
主語と述語で考える。

日本には場があるから、住所は東京都渋谷区渋谷1になるけど、
英語は渋谷1渋谷区東京都だ。クラスタ先なんだよな。


僕はいまだに、
プログラミングでの、
最初のほうにすべて変数を定義しておくのが苦手だ。
ミステリー小説の登場人物表のように、
誰が誰か分らなくなってしまう。
「場」にそれぞれ登場したときに、
考えればええやん、と思ってしまう。
(だからインタープリタ言語のほうが好き)

空間の構造、論理の構造が違うんだと思う。

でも日本語BASICは、
文法構造は英語で逐語訳をしただけだから、
結局英語で考えないとプログラミングできなかった。
モシ A=B ナラバ 500ニイケ
とか、完全にif thenでしかなくて、
日本語による場合わけではない。

英語だらけで親しみが湧かないから、
カタカナで親しみが湧くようにしたろ、
という配慮までは良かったが、
両言語の論理構造の差異まで、
詳しくなかったのだと思う。

英語の論理構造を感じたければ、
ファインマン物理学とかがかなりいい。
あー、こういう風に論理だてていくのかー、
なんてことがとても分かりやすくて、
日本語の物理がなぜ分りにくいのか、
それは日本語で理解しようとしているからだ、
なんてことまで考えていたなー。
結局、物理にも数学にも進まなかったが。

研究室に入って、英語で論文を読んだほうが、
分かりやすかったな。
日本語はどうしても人情や情念や湿度が入り込んでしまう。
論理記述言語に向いていない。
その代わり、情緒を書くのに向いている。


だから、
彼らはシームレスに英語で論理的に考えて、
シームレスに英語で論理的にプログラミングできるんだろうなあと思う。
僕らは日本語で空間的情緒的に考えて、
切り替えて英語でプログラミング論理を記述するのだ。

英語論理に慣れた人ほど、
日本語で文章を書くのは下手だと予測する。
日本語の一番豊かな部分を使っていない文章だからだ。
理系が文章を書くのが下手なのは、
それもあるかもしれないとすら思っている。

もちろん、
じゃあ英語母語者が感情や情緒がないわけではない。
そこは人間だから同じ。
だけど、
言語構造が向いているか向いてないかはあると思う。
英語俳句とかたまにあるけど、なんの情緒もないよね。
だからなんやねんって思ってしまう。


明治の人たちは、
西洋の言葉をどうにか漢語に訳そうといろいろな言葉を発明した。
社会、精神、などはそのときにつくられた造語だ。
これがあるから、
我々は母語で外国のことを理解できる。

そんな風に母語で理解できるように、
プログラミング言語を作り直したほうがいいんじゃないか。
保険の契約文みたいになったりして。笑
(おじさん構文で記述するプログラミング言語は見たことがある。最悪w)


日本語は格構造を持たない。
語順は自由で、膠着要素(助詞など)でくっつける。
日本語は文末まで文意が決定しない。

そんなプログラミング言語がつくれれば、
我々は日本語の感覚でコンピュータを扱えるようになったりしてね。


まあ、まず日本語をちゃんと書けるような、
配列とキーボードとIMEからだけどな。
posted by おおおかとしひこ at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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