当たり前なんだけど、案外忘れていること。
感情の落差をつけよう。
少しうれしいことから、ちょっと嫌なことになるのではなくて、
人生が変わるほどうれしいことから、
人生に絶望して死にたくなるようなことへ。
これを簡単に表現できる方法があって、
それは表情を大げさに描くことである。
これは漫画や小説なら可能かもしれない。
演劇的芝居でやると、嘘くさい芝居になってしまうと思う。
でも仮に漫画や小説でやったとしても、
そのうち見破られると思う。
だけど、短編ならバレないかもしれない。
大げさな表情は、それだけで「そんなにすごいのか」
と表現することになるからだ。
短い中でコントラストをつけることが出来るので、
むしろ効果的まであるかもしれない。
たとえばCMでは、
とてもうれしそうな表情をしたり、
とてもおいしそうな表情をしたりする。
これは大げさだけど、短い尺の中でインパクトを与えるために必要な方法論だったりする。
「パパ、ママ、ありがとう!」
なんて天使のような笑顔で子どもは言わない。
「んー! おいしいー!」なんて、
めったに人は言わない。
だけどCMの中では言う。
落差をつけるためだ。
短い尺の中では、コントラストがぼんやりしているものよりも、
クッキリしているもののほうが立ちやすい。
だからそうするだけのことである。
だけど長いものの中ではそうはいかない。
短いものとの違いは何か?
それは、
人は「見ている間に考える」ということだ。
短い間だけなら、考える前に終わることができる。
だけど長いものは、人の理性に「追いつかれる」のだ。
そのときに、
そのものよりも大げさに驚いていたり、
喜んでいたり、悲しんでいたりすると、
「嘘つけ」と思うわけだね。
そう思うのは、
その状況を認識して、
自分に置き換えているからだ。
「もしその場に自分がいたとしたら、どう思うだろうか」と考えているからだ。
そして、その自分の感情よりも大げさすぎるものに出会ったときに、
「嘘つけ」と思うわけだ。
逆に、自分が驚いているのに、
キャラクターの感情がそんなに動いていない場合、
「あれ? 俺が悪かったのかな?」
「実はたいしたことないのかな?」
と思うかもしれないね。
つまり、
観客はだいぶ冷静だ。
感情が震えて判断がつかなくなる時間なんて、
15秒とかせいぜい数分しか持たないということだ。
だから大げさな表情には騙されない。
ほんとうに喜ぶべき展開にしよう。
そうしたら、人生で一番幸せな瞬間の表情になるかもしれない。
ほんとうに悲しむべき展開にしよう。
そうしたら、人生を生きたくなくなるほどの、
悲しい表情に自然となるというものだ。
そうやって落差をつける。
つまり根本的に感情の落差をつくっていくということだ。
付け焼刃はバレるということだね。
本体もないのに、
表情だけで感情が伝わるわけではない。
それは嘘だからだ。
嘘をつくことだけが芝居だと勘違いしていたら、
それに足をすくわれるだろうなあ。
全体は嘘なんだけど、
そこに本当があるのがフィクションなんだよな。
2026年04月04日
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