カナ漢字変換を使う場合、
原理的に同音異義語を避けられない。
AI変換がどれだけ発達したとしても100%はないので
(なぜならMMLは確率挙動モデルだから。
実はエキスパートシステムのほうが漢字変換にはよいはず)、
我々はカナ漢字変換を使うときに、
「正解のAと間違いのBの重ね合わせ状態」、
僕の言うところのシュレディンガー状態を経験する。
創作打鍵にシュレディンガーはありえない。
0だ。
こういうことを書きたいと決まっている。
もちろん、表現上迷う事があるが、
それはシュレディンガーではない。
ただ迷っているだけだ。
そしてその果てに、「よしAにしたぞ」と入力しても、
Bが出て萎える事があるわけだ。
Aにしたいのに常にBに間違う可能性がある。
このことが思考にノイズをかける。
AAAAAAAAと書きたいのに、
何%か分からない確率で、
AABAABBAになるかもしれない。
それは思考にとって本質的ではない。
単なる邪魔だ。
そしてこれにかまけているうちに、
素晴らしいアイデアはどこかへ飛んでいく。
コピー打鍵はそうではない。
AになるかBになるかを抱えたまま、
Bになったら素早く再変換すればいいだけだ。
もちろんなるべくAにするテクニックはつくれる。
文節の区切り方とか、送りがなのコツとか。
単語登録で回避することもあるだろう。
だけど、アイデアは飛んでいかない。
創作打鍵は、
「私が思うこと」が一番なのであり、
書く行為がそれを吹っ飛ばすなら、
書くのは間違いまであるわけだ。
一方コピー打鍵は、
自分の思う事を0にして、
ただ忠実にコピーすることだけを考えれば良い。
考えている事が違う。
0から1を産む行為と、
100を95〜100に保つ行為との違いだ。
0から1を生んでるときに、
ノイズが入ったら0になってしまう。
100をコピーしているときにノイズが入っても、
95くらいには保たれるだろう。
そして、創作文は0になったらその先を続けられない。
コピー文はどこかミスってても次々にできる。
シュレディンガーはノイズだ。
とくに思考の重たいときにノイズが入るのはダメだ。
軽いときに多少のシュレディンガーは許容だろう。
だけど重要ポイント、
文章の結節点はノイズがあるべきではないだろう。
単にひらがなを打てばよいのではない。
日本語は変換がある。
そしてその変換はシュレディンガーである。
我々日本人は、
常にパチンコしながら思考している。
そしてそのパチンコは好きで始めたものではなく、
それしかないのである。
漢直はパチンコを原理的になくせる。
しかし全漢字をマスターすることは、
普通の人には無理だろう。
10年以上のキャリアの岡さんでも1000字が限界で、
そのへんの文章に現れる常用漢字2100に足りず、
小説やいろんな文章に現れる3000には全然足りない。
1000を覚えるのは無理だと僕は思った。
ちなみにj僕は、清濁別置のカナも無理だった。
清音50+濁音半濁音25+小書き8だから、
行けるだろと思ったが無理だった。
写真記憶で行けそうだけど、
指の運動記憶にはならなかった。
百式は、実は運動記憶になってるのはコア23だけで、
残りは全部写真記憶でやっている。
それでも便利なので、使えると感じている。
編集モードも60あるけど、
全部を運動記憶に頼ってなくて、
カッコの位置とかだいぶ写真記憶(規則配置)に頼ってる。
その程度の貧弱運動記憶では、
漢直1000は無理だと思われる。
ということで、
現実的なシュレディンガーの対処の仕方としては、
キモになるところは決め打ちで、
その他はパチンコを許容する、
という考え方になっているわけだね。
コピー打鍵は脳内のアイデアがない。
そしてそれが飛んでいく心配をする必要がない。
本質的には、そこなんじゃないかしら。
逆に、コピー打鍵やってる人は頭の中で何考えてんの?
無?
スポーツと同様、手足の位置とか運動を感じたりとか、
これまでとこれからを考えたりとか、
それらが消えるゾーンを目指してると仮定する。
脳内で次々に書くべきことを考えて、
全体と部分の関係を考える、
ってことは一つもないだろう。
見た目が違うのに、中身は違いすぎるよなー。
よくこんなのをタイピングゲームだけで測定できるよな。
やはり創作文動画コンテストをやるべきか。(映えない)
2026年03月06日
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