風化させないようにみなさん色々と書き込みをしている。
昨日仕事が忙しかったので、
1日遅れで僕の思い出でも書いてみる。
僕の記憶に残るのは、
「テレビの失墜」だ。
もちろん大地震や津波は痛ましく、
災害に遭った人々は大変であったろうと思う。
だけど事故は必ず起こるから、
起こったあとの対処が、
人間の価値を決めると思うんだよね。
福島原発が爆発したのかしてないのか、
テレビは伝えなかった。
Twitterや2chで、
リアルタイム情報を僕は取ってた。
電話は寸断したけど、ネットは生きてるってなって、
インターネットが注目されたんだよな。
そしてテレビはネットと温度差があった。
だからみんな、
「テレビは嘘をついてる」って感じたのね。
パニックが起きたら大変だから、
情報統制を敷いてる、
というのはわからなくもない。
だけど、東京電力の不手際を、
なぜ報道しないのかとみんな不信感を募らせる。
1000年に一度の大津波であったが、
その備えをしてなかった東電に、
責任はなかったのか。
もしその備えをするならコストはいくらかかり、
東電はいくらケチったから、福島の電源を喪失したのか。
まずそこを明らかにするべきだ。
「東京電力は大スポンサーだから、
テレビ局が忖度している」
という説が現れ、真実味を帯びた。
この時から、我々のテレビ局への不信感は、
払拭されていない。
その後、「報道しない自由」なんて揶揄もつくられた。
スポンサーの悪口いえねえだろ、
ということだ。
戦時中統制下のマスコミと何が違うのだ。
国には反発しても、
金には反発できないのか?
不都合なことは報道しない、
それがテレビだ、となったら、
もうテレビなんて何も信用できない。
嘘つき集団じゃん。
我々とテレビの信頼関係は、崩れたままになっている。
テレビCMが、ぜんぶぽぽぽぽーんになった。
なんでだろう?
広告はふつうにすればいいじゃん。
原発の現在は視聴率めちゃくちゃあるんだから、
こっそりCM差し込めばいいじゃん。
先日のフジテレビの不祥事生中継会見より、
よっぽど広告の効果があったでしょ。
あれはフジテレビいじめの構図だから、
フジテレビに金を落とすスポンサーは、
よく見られないという構図だしね。
震災でたくさんの人が死んだから、
不謹慎?
いっせいに広告が引いてったことがこわかったね。
あー、テレビは神の器なのではなく、
臆病な人たちが運営してる民営の何かなんだ、
と、
神のベールがはがれた日々であった。
ここからテレビは失墜していく。
ネットが正義かはわからない。
だが、テレビは正義ではなくなった。
金のために嘘をつく、薄汚い箱になった。
だからテレビは誰もみない。
そもそも面白くないし。
金もないし。
似たような企画ばっかだし。
YouTubeの紹介ばっかしてるし。
そんなものを、
わざわざ見る必要はない。
テレビがもしもう一度復活するとしたら、
「あの時東電に忖度して、嘘ついてました」
と正直に謝ることからじゃないか。
セシウムさん事件があった。
正義感溢れるスタッフが勝手にやったことだ。
そんなことが起こるくらいには、
圧力があったのだろう。
黒い波が車を飲み込んでいくさまは、
現実味がなかった。
けれど、テレビの中の方が黒い波だった。
僕はテレビっ子で、だからテレビに関われて、
たいへん嬉しいと思ってそれまで生きてきた。
今のテレビに関わるのは、
なんか嫌になってくる。
喜んでやる仕事ではなくなりつつある。
テレビの凋落は、どこかで分析されてるのだろうか?
もしあの時信用が落ちなかったら、
金のないネットvs金のあるテレビで、
うまく共存できてたんじゃないかと思う。
インターネッツも付き合い方をうまくやらないと、
闇に飲み込まれがちよね。
そんなこんなしてる間に、
こんどは日本が凋落してきたね。
3.11の思い出というよりは、
日本が沈んでいくことのほうが、
深刻なんじゃないかしら。
あのときの福島原発スレはすごかったなー。
5分おきにリロードしてたよなー。
あの時までのテレビは井戸端だった。
みんなが集う場所だった。
それを日本はあの日に失ったのだ。
2026年03月12日
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