2026年03月12日

3.11の思い出

風化させないようにみなさん色々と書き込みをしている。
昨日仕事が忙しかったので、
1日遅れで僕の思い出でも書いてみる。

僕の記憶に残るのは、
「テレビの失墜」だ。


もちろん大地震や津波は痛ましく、
災害に遭った人々は大変であったろうと思う。
だけど事故は必ず起こるから、
起こったあとの対処が、
人間の価値を決めると思うんだよね。

福島原発が爆発したのかしてないのか、
テレビは伝えなかった。
Twitterや2chで、
リアルタイム情報を僕は取ってた。
電話は寸断したけど、ネットは生きてるってなって、
インターネットが注目されたんだよな。

そしてテレビはネットと温度差があった。
だからみんな、
「テレビは嘘をついてる」って感じたのね。

パニックが起きたら大変だから、
情報統制を敷いてる、
というのはわからなくもない。
だけど、東京電力の不手際を、
なぜ報道しないのかとみんな不信感を募らせる。

1000年に一度の大津波であったが、
その備えをしてなかった東電に、
責任はなかったのか。
もしその備えをするならコストはいくらかかり、
東電はいくらケチったから、福島の電源を喪失したのか。
まずそこを明らかにするべきだ。

「東京電力は大スポンサーだから、
テレビ局が忖度している」
という説が現れ、真実味を帯びた。

この時から、我々のテレビ局への不信感は、
払拭されていない。


その後、「報道しない自由」なんて揶揄もつくられた。
スポンサーの悪口いえねえだろ、
ということだ。

戦時中統制下のマスコミと何が違うのだ。
国には反発しても、
金には反発できないのか?

不都合なことは報道しない、
それがテレビだ、となったら、
もうテレビなんて何も信用できない。
嘘つき集団じゃん。
我々とテレビの信頼関係は、崩れたままになっている。

テレビCMが、ぜんぶぽぽぽぽーんになった。
なんでだろう?
広告はふつうにすればいいじゃん。
原発の現在は視聴率めちゃくちゃあるんだから、
こっそりCM差し込めばいいじゃん。

先日のフジテレビの不祥事生中継会見より、
よっぽど広告の効果があったでしょ。
あれはフジテレビいじめの構図だから、
フジテレビに金を落とすスポンサーは、
よく見られないという構図だしね。

震災でたくさんの人が死んだから、
不謹慎?

いっせいに広告が引いてったことがこわかったね。


あー、テレビは神の器なのではなく、
臆病な人たちが運営してる民営の何かなんだ、
と、
神のベールがはがれた日々であった。

ここからテレビは失墜していく。
ネットが正義かはわからない。
だが、テレビは正義ではなくなった。
金のために嘘をつく、薄汚い箱になった。

だからテレビは誰もみない。
そもそも面白くないし。
金もないし。
似たような企画ばっかだし。
YouTubeの紹介ばっかしてるし。

そんなものを、
わざわざ見る必要はない。

テレビがもしもう一度復活するとしたら、
「あの時東電に忖度して、嘘ついてました」
と正直に謝ることからじゃないか。

セシウムさん事件があった。
正義感溢れるスタッフが勝手にやったことだ。
そんなことが起こるくらいには、
圧力があったのだろう。



黒い波が車を飲み込んでいくさまは、
現実味がなかった。

けれど、テレビの中の方が黒い波だった。


僕はテレビっ子で、だからテレビに関われて、
たいへん嬉しいと思ってそれまで生きてきた。
今のテレビに関わるのは、
なんか嫌になってくる。
喜んでやる仕事ではなくなりつつある。

テレビの凋落は、どこかで分析されてるのだろうか?
もしあの時信用が落ちなかったら、
金のないネットvs金のあるテレビで、
うまく共存できてたんじゃないかと思う。

インターネッツも付き合い方をうまくやらないと、
闇に飲み込まれがちよね。

そんなこんなしてる間に、
こんどは日本が凋落してきたね。


3.11の思い出というよりは、
日本が沈んでいくことのほうが、
深刻なんじゃないかしら。

あのときの福島原発スレはすごかったなー。
5分おきにリロードしてたよなー。

あの時までのテレビは井戸端だった。
みんなが集う場所だった。

それを日本はあの日に失ったのだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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