2026年03月16日

【薙刀式】タイピングの上級者に興味がない

僕はタイピングの上級者になりたくない。
日本語の上級者になりたいのだ。


日本語の発音マニア?のYouTuber、
だいじろーをよく見てたら、
Mr. Fujiやらむいむいやらの、
「日本語学習マニア外人」界隈が、
バンバンおすすめされるようになってきた。
ついでにゆる言語学ラジオの水野さんとコラボしたりして、
自作キーボードのメンテのBGMにちょうどいい。
(まだ打鍵感を追求する為の改造をしている)

日本語を知りたければ、
日本語以外の言語を知ると、
外から見た日本語がわかるので、
外国人の視点はとても面白く、
それを彼らの言葉でなくて、
日本語で喋ってくれるのがありがたい。

へー、そうなんだ、と思うところがたくさんあって、
勉強になる。


で、日本語ってとても複雑な言語で、
母国語の我々日本人は全貌を把握してないよなー、
と思う所はたくさんあるんだよね。
100のうち30くらいしか知らなくても使えるし、
みんな30ずつしか知らなくて、
全員の範囲が少しずつ違ってて、
国民として全部カバーしてる感じかなー。

中でも外人だから発音に関することが多くて、
日本語は英語に比べてフラットらしい。
そうか、英語は強弱をもっと使う言語なのか。
アクセントのあるところを最強の山として、
他の弱子音と弱母音が周囲を囲むような構造が一単語で、
その山が連続するのが文章なのか。
その山脈のような構造に比べて、
日本語は平野のようである。

日本語って口を開かずにしゃべると、
外人にとってちょうどいいらしい。
アクセントなしの一音一音を言っていけば、
大体当たりだそうな。
膠着語という、色々くっつけて次を作る方式と、
関係あると思われる。
特に東北は口をなるべく開けずにしゃべる雪国の言葉だからね。

そういえば関西のほうがイントネーションの上下がはげしく、
ときに歌のようになるのは、
あったかくて口を開いてるからかもしれない。


僕はこんなことを考えながら、
これを道具として、
自分の考えを発展させたり、
他人を楽しませたりしたいのだ。

仮にこれが考えという形而上の話だとしたら、
物理の形而下であるタイピングのことに、
関わっている暇などないのだ。
僕は10年タイピングの事を考えて、
足踏みしてしまったともいえる。
(まあそのおかげで、タイピングに関して、
これ以上考えなくていいくらいは考えたわけだが)

形而下の研究はたのしいかな?
基本は不満の解消だと思う。
おかしいだろこれ、が全ての動機だからなー。


僕はタイピングの上級者になりたいのではない。
タイプウェルをSSで辞めたのは、
「凡人の手のままでありたい」と思ったからだ。
手を鍛えたり、認識力を上げたり、
最適化運指などの手の工夫をするのではなく、
「普通の人が母国語で自分の言葉を著す」
ことについての工夫をするべきだと思ったからだ。

薙刀式や百式漢直は、
その凡人のレベルで使える、
最大効果の道具をめざしてつくられている。

特殊技能はいらない。
スポーツマンしか扱えない道具は、
道具としてポピュラーではないのだ。

自転車とかボールとか、
ある程度の親しみさえあれば、
自由に遊べるものであるべきだ。
鉛筆やナイフを使う程度には、
薙刀式は練習する必要があるけど、
決して部活に入って全国大会目指すほど、
やらなくていい。


というわけで、
僕は日本語を極めたいのであって、
タイピングを極めるなんてまったくどうでもいいのだ。
タイピングは道具であって目的ではない。

ただ、自分の目的に、
従来のタイピングが使いものにならないほど劣悪だったので、
使いものになるようにしただけのことだ。

で、使いものになってきたので、
怒りがおさまりかかってるのかもしれない。
IMEへの怒りも、百式漢直があれば、
大体済むようになってきた。

あとは、もう少し脳内負荷を下げて、
思考に集中できるようになるには、
というのが今後のテーマになるのかしら。

つまり削ぎ落とせないか、ってことなのかなー。



日本語は奥が深く、
一つ一つのことばに習熟する以外に、
奥へ行く方法がないと思う。
共通の法則や応用でできる段階よりも、
もっと奥があるからね。

武術が結局技単位で研究するしかないのと同じだな。
ひとつの言葉を覚えたら、
他の言葉とのネットワークにそれを落とし込み、
溶かしていくしかないのよね。

そのときに、たかがタイピングに邪魔されたくないよね。

僕はタイピングを、たかが手段と思っている。
自転車で行くか電車で行くか、であり、
自転車や電車そのものを極めようとしてはいない。

ただガタガタの悪路で車輪が回らない自転車の、
qwertyローマ字を窓から捨てただけのことだ。


小学校でqwertyローマ字を教えるのは、
まあ基礎教養として構わないよ。

でもチン毛が生えたら新配列やりな。
自分の自由に責任を持つ年齢になったら、
新配列を使うべきだ。

そして新配列は、自転車を乗り換えるように、
乗り換えることもできる。
薙刀式にこだわらずに、色々やってもいいはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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