2026年04月16日

私の欲しいものとみんなの欲しいもの

マーケティングと作家性の話。


マーケティングで分るものは、
みんなの欲しいものだ。
だが、実際は「その時点で過去に欲しかったもの」だ。
未来永劫それが欲しいかは分らない。

また、
自由回答がみんな下手だ。
ほんとうに欲しいものを言葉にすることは、
ほとんどの人はできない。
「女子高生が○○するものがほしい」といったって、
本当に欲しいものはエロだったりする。

だから、
マーケティングは参考になるが、
参考にはならない。
とりわけ、映画というのは企画決定から公開まで、
何年もかかるものなので、
すでに時代が変わっている可能性もある。
ヒグマの映画どうなったんだっけ。
フィギュアスケートのカップルが映画化する、
という話も聞いたが、
来年もう忘れているかもしれない。
(ヒグマはまだ脅威が残るだろうが)

だから、
ほんとうのマーケティングは、
「三年後に来るものを当てる」必要があるのだが、
それは占いのようなもので、
当たるとは限らないわけだ。

だがしかし、
多くのプロジェクトがマーケットを基準に動かざるを得ない。
「今女子高生ものなら通るから、
女子高生を主役にしさえすればなんでもいい」
と言われた時代があって、
「てんぐ探偵」を提案したときに、
「主人公を女子高生に出来るなら、
ラノベとして企画を通せそう」と言われて、
この人はなにを読んだんだろう、
と信用しなかったことがあるけど、
彼はマーケットの話をしていたのだろう。

それは映画を商売の目線から見たものだと言える。


一方、
私たちには、書きたいものがある。

時代と関係ない、
普遍的な人間の本質のようなものがあって、
それを如実に浮かび上がらせるものを、
ストーリーとして組むわけだ。
だからジャンルやシチュエーションや、
主人公は変えられないものだ。
逆算していろいろなことを決めているわけだからね。

実際に映画の企画会議を通るのは、
「マーケットの要求と、脚本家の書きたいものが一致したもの」だと思う。
全部がそうとは限らないが。

芸術家にはある種のアンテナがあって、
「今世間に受けるもの」を感知する能力がある。
それが当たらないときもあるし、
当たるときもある。
ほんとうに当たるものは、
時代をつくることになる。

ヒット曲やヒット漫画などは、
つくるコストが少ないから、
ためしにつくってみよう、が出来るので、
すぐに世間に是非を問うことができる。
だけど映画は最初のひらめきから公開まで3年はあるので、
そうこうしているうちに時代の気分は変わってしまうことが多い。


じゃあ、何が当たるのか、
誰も分らない。
しかし企画会議を通るのは、
今のマーケティングデータを反映しているものだけだ。
(それ以外を通せる剛腕は、
誰が持っているのか知りたい)


じゃあそのマーケデータを公開して、
「このマーケットに効果的な脚本を書いて」
という依頼があってもいいと思うんだよね。
そういうコンテストを開いてもいいんじゃないの?
マーケに従う馬鹿馬鹿しさが、
分るというものだ。
(そういうコメディを書いてもいいくらいだよな)


結局は、脚本家の中に描きたいものがあり、
それとマーケの中点を取ったものを、
つくるのが一番いいと思う。
マーケはこう答えているが、
それに対して脚本家が「これなら書ける」
というものを作り上げるのがいいんじゃないか。

マーケデータはあくまでデータだけど、
人間の本質はそんなに変わらない。
だから、人間の本質の中の、
「その部分」を抽出すれば、
書けないことはないと思う。
もちろん、脚本家の中にその素養がなれけば難しいかもしれないが、
誰でも同じ人間なんだから、
書ける要素はあると思う。


商業と芸術はかみ合わない、
などとずっと言われているけれど、
「今の市場と自分のクロスポイントはどこだろう」と考える力があれば、
たいてい答えは出ると思うんだよね。



CMの監督を引き受けるときに、
すでに企画が決まっていることがほとんどだ。
受けるか受けないかの基準には、
「企画を自分が発展させられるだけの、
なにかを持っているか」を見る。
自分の中と企画の共通点を探して、
これなら増幅できそう、と思ったときに、
引き受けることにしている。
自分にないものを増幅してもたかが知れているので、
そんなには出来ないからだ。
でもやってみたら出来ることもあるので、
新しい窓を開きたいときは、
受けることもあるけどね。

そんな風に、
時代と自分の交差点をいつも探しておかないと、
まったく違うものをつくることになるよね。

まったく違うものをつくった結果、
それが新鮮だと取られることもあるが、
それは企画会議を通していない、
別のやり方でつくられたものだろう。
たとえば「カメラを止めるな!」「侍タイムスリッパ―」のスマッシュヒットは、
自主映画で勝手につくったものだ。
マーケからのデータだと当たらないと判断されただろう。

じゃあ、何がマーケティングなのか、
僕にはほんとうに分らないのだが、
きっとマーケのデータを見る人は、
占いシートのようにそれを基準に生きるんだと思う。
「今時代はこうなっていて、それから次の時代はこうなる」という、
波を見るサーファーじゃなくて、
「これから晴れます」という天気予報を見ている人なんだろう。

僕はなんとなくカンで次に来るものは分るけど、
それが正しいとは限らない。
あってる証明も出来ないし、外れた例もたくさんあるだろう。
なので、誰にも次は分らない。

この中で、
出来るだけ通す確率を上げるコツは、
マーケのデータと自分の共通部分をつくることだと思う。
ということでマーケのデータくれ。


今の時代、受けるのはこれだが、
自分ならこれにこれを足して、世に出せる、
というのをつくれば、
両者が満足するものが出来て、
次の時代をつくれるんじゃないかしら。
posted by おおおかとしひこ at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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