原作小説の一人称の面白さ、
自分が分からないことや科学の実験をすることや、
この先どうなるのか全く読めないことが、
三人称ではほとんど出ないだろうなと予想はしていた。
だから結局「ロッキー」との話が中心になるだろうと。
だけどそれじゃあ全然面白くならなかったね。
原作、映画ともにネタバレで続けます。
映画にある要素を、
わざとふんだんに使っているように思えた。
色、音、
音楽、映画、
ダンス、ジョーク、アクション。
これぞハリウッドの武器、
みたいなのをちょいちょいぶっこんできて、
「どうだ、これは小説にはできないだろう」
とドヤ顔してるのが薄ら寒かった。
たしかに中盤の、
カラオケパーティーのオリジナル場面はよかったよ。
どんなセリフのドラマよりも、
歌詞に彼女の言いたい事が託されてる事がわかって、
ああ、映画の原型はミュージカルだと思える場面で、
すごくよかった。
だけどそれと、
原作の一人称アツイ科学小説は、
交わらない平行線に思えるのよ。
長い長い原作をうまくまとめた、
コンパクトな脚本だとは思うけれど、
短くなってしまったゆえに、
原作の欠点が出ちゃうのよね。
この話のテーマって何?ってね。
「地球を救う英雄になる」ではなかろう。
奇妙な友情?
それがメインでもないよね。
映画版はそこにフィーチャーしようとしたけれど、
ラストシーンはそのことと関係ないよな。
主人公は教師であったが、
再び教鞭を取りました、
が、その友情話とも、
地球を救うこととも関係ない。
原作ほどの科学小説になっていれば、
科学の勉強は大事だろ?
ってオチになるけれど、
そうなってなかった。
だから浮いてるのよ。
教師である意味ある?って。
(そしてそもそも、エリディアンの科学は、
地球よりも進んでいるはず。
今更彼が教えること残ってるのかしら。
まあ放射線や相対論はやる必要あるのか)
そうそう、
原作小説にあった、
「地球外生命体との接触」の興奮が、
全然足りなくてびっくりする。
やっぱ一人称のそれと体験性が違うんだなーと。
アストロファージが生きたカビみたいな衝撃や、
ロッキーとの出会いが、
「これまで映画で死ぬほど出てきた宇宙人との遭遇」で、
全然興奮しない。
なんなら、ロッキーとの出会いで、
「未知との遭遇」の5音のコミュニケーションしちゃってて、
笑ってしまったよ。
50年遅れてるじゃんか。
原作ではまさか宇宙人と出会うの?
っていう、
そうとは思ってなかった強烈なツイストなんだけど、
映画では宇宙人と出会うのはかなり普通、
くらいな感覚だったね。
登場人物よりも、
我々観客がすでに慣れてるからだ。
科学実験や知識のことは、
念入りにすべて除かれていた。
ストーリーに必要な、
「大気組成が違う事」くらいしか残ってなかったんじゃね?
大気圧が全然違うことすら無視してたな。
結局ホワイトボードに数式を書く、
いつもの表現でまるっと誤魔化されてたね。
うーん、最初1.5Gだって計算するところとか、
宇宙ではあらゆることに時間がかかるところとか、
かなり好きなんだけど、
かなりはしょられてしまって、
楽しさ半減。
じゃあ、半減したあとに何が残る?
ってなったら、
キャラクターとプロットなんよな。
でさ、それを大きく崩せないから、
映画脚本がやることって、
小ネタを足すことなのよね。
だから、テーマって何?
っていう一番大事なところが、
抜け落ちたんじゃないかしら。
伝統的三幕構成の形をしていない。
センタークエスチョンは「地球を救うこと」だが、
そのための具体策がわからない。
「アストロファージを研究して、
打開策を見出すこと」なんだけど、
そんな研究が結実するとは思えないので、
いまいち身が入らないんよね。
それよりも、
「宇宙人とどう会話するのか」とか、
「彼らの環境や生態学」のほうがおもしろいんだからね。
つまり、
小説は、一人称系をふんだんに利用した面白さに満ちている。
三人称である映画は、
プロットだけもってきたら、
たいしておもしろくないプロットだとばれちゃった感じだ。
そして大改造のできない脚本のため、
音楽、ダンス、歌、ジョーク、
エモーショナルな部分、
などの搦め手を使ってきた、
という感じであった。
そしてそもそも、映画だけを初見で見たら、
「それのなにがおもしろいの?」ってなると思う。
小説の映画化の難しさを、
痛感する例だね。
原作小説: 98点
映画: 40点くらいかな。
「火星の人」よりはおもしろいかもしれないが、
映画としては知れてる出来だ。
2026年03月22日
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今どこにいるのか把握するところまでが面白いのに、見事にすっ飛ばしていったので、その時点で「これは別物だな」と思って楽しむことにしましたが、やっぱりその部分をすっ飛ばしたら別物になりましたね。
一人称は考えている事を表現できますが、
映像では考えてることはモノローグまたは独り言でしか表現できません。
この映画では、独り言、AIとの対話、記録ビデオにしゃべる、
という3つの方法をとっていて、
モノローグは禁止していました。
アジア圏での映画はモノローグを比較的使う傾向にありますが、
なぜか欧米圏ではモノローグは使用禁止くらいの勢いで使わないですね。
なので、
あー、モノローグ禁止系かー、と開始しばらくして思ったので、
一人称世界はないんだなーとがっかりしたあとに、
だとすると「ロッキー」との話になるだろう、
と予測しました。
そこにダンスや歌という、ミュージカルという技を使うしかないのだなーと、
苦し紛れを感じましたね。
モノローグに関しては、
過去記事で、少女漫画「セクシー田中さん」のときに、
徹底的に分析しています。
モノローグを封じられると、
一人称世界は三人称世界にならないんですよねー。
https://oookaworks.seesaa.net/article/503588547.html?1774148217