漢直に要求したことは、
思考がクリアになること。
それはまあまあ実現している。
しかし同時に「自分が漢字変換に頼っていたこと」を、
自覚することになる。
たとえば百式では初と始は使い分けることができる。
「はじめて」と打って漢字変換をかける前に、
「初めて」と「始めて」を明示的に打ち分けることが可能だ。
まだこれに慣れてないこともあるんだけど、
とっさにどっちかまだ出来ない。
「はじめて」とカナで打って、
「変換しながらあとで考えようー」と、
堕落して考えている自分がいることに気づいた。
えー、最初から初/始を決定してないといけないのかよー、
という堕落した?者の文句である。
なんなら「はじめて」表記にして、読んでる人の解釈に任せるか、
という怠惰の種類もある。
つたわるだろ、という甘えだ。
僕が「はじめて」を書くときは、
たいてい「初めて」の意味であることが多い。
「始めている」とか、そういう意味でしか、
始めては使わないような気がする。
「開始して」など、初めてに誤解されないような言い回しにする癖がある。
もちろん、IMEはそんなことを知らないから、
1/2の確率で初始を出してくるわけだ。
このパチンコを避けられる点ではいいんだが、
「はて、俺は最初から何を考えればいいんだっけ?」
と迷っていたら、
漢直から「先に決めろよ」と突きつけられるプレッシャーを感じるわけだ。
まあ、理屈で考えればそうなんだけど、
あー、自分はIMEに甘えているんだな、
というのが結構発見だった。
じゃあどうしろ、というのはない。
漢直の始初に慣れるのが一番いいのは分っている。
僕の興味は、
「ほかにも甘えているやつあるだろ」ということだね。
あんまり自覚がないが、何かは知りたいね。
PCで打つようになって、漢字が書けなくなった、
という話はよく聞く。
でも本当のところは、
わざわざ書くために事前決定するという手間を、
甘えているようになったから、
というのがデカイかもしれない。
書くことは責任を取ることだ。
その責任をある程度PCに委譲してしまっていることになるわけだ。
それは甘えで、よくないことだと思った。
マシンアシストはなんでもかんでもいいと思われているけど、
間違ったところをアシストしてはいけないのではないだろうか。
なんなら最近はAIでレポートや仕事の資料を書く人も増えている。
自分の責任から逃げられるなら、
なんでもやる、みたいなことだ。
それは僕は良くないと思うが、
いずれそれは議論されることになるかもしれない。
卒業おめでとうとか、あなたが好きですとか、
別れましょうとかの、
心のこもった言葉がAIによって生成されたものだったら、
いい気分にはならないよな。
その言葉に私は全面的に責任を取ります、
というのが言葉を発する本質だと思う。
そのために、漢直はある程度リハビリ効果がある。
その意味で、僕は僕の言葉を取り戻しつつある。
2026年03月23日
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