2026年04月26日

映画を語るのがうまいというのはどういうことか

ジャンル映画というものがある。
ホラー、アクション、ミステリー、コメディ、ミュージカル、
などなどだ。
それらが上手な監督、脚本家がいるだろう。
僕は、実はそれらは専門の人たちではないと思う。
彼らはそもそも映画を語るのがうまいのだ。


たとえばホラー映画が得意な人がいるとして、
もちろん、その人はホラー表現や恐怖について詳しいんだけど、
それだけではホラー映画の話はつくれないと思う。

彼らは新しい恐怖をつくるのがうまいだけではなくて、
そもそも映画をつくるのがうまいのだ。

同様に、コメディが得意な人は、
笑いや皮肉に詳しく、新しい笑いがつくれるだけではない。
映画をつくるのがうまいのだ。

つまり、ホラー映画、コメディ映画、
アクション映画、ミステリー映画、
などなどは、単なるホラー、コメディ、アクション、ミステリーではない。
そもそもそれ以前に映画なのである。

映画を語ることがまずうまくて、
そのうえに、それぞれのジャンルの味付けがしてあるわけだ。
つまり、
下仕込みがうまくなくては、
それぞれのジャンルはそもそも出来ないのだ。

では、その基本の下仕込みに当たるものはなんだろう?
事件、テーマ、プロット、変化だと思う。

事件はそのジャンル特有のものかもしれない。
ホラーなら怖い事件だし、
コメディなら面白い事件で、
アクションならアクションで解決を期待される事件だろう。
だがその先は、
実はいつもの、プロット(ターニングポイントやストーリーラインや、
メインプロットやサブプロットの構造をもつもの)
であり、
テーマであり変化だ。


ホラーで変化やテーマがないものは、
ただの遊園地の怖いテーマパークでしかなくて、
映画ではない。

コメディで変化やテーマがないものは、
ただのお笑い劇場であり、映画ではない。

それはアクションでも、ミステリーでも、
ミュージカルでも、ラブストーリーでも、
もちろん人間ドラマでも、刑事ものでも医療者でも、
SFでも時代劇でも、
すべて共通ということだ。

むしろ、
その共通していることが映画という何かなのだ。

キャラクターの面白さや、
シチュエーションの面白さや、
人気俳優にうっとりすることなどは、
映画の楽しみのひとつであるが、
それが全部なくても、
傑作映画は傑作の映画だと分る。

たとえばビリーワイルダーの一連の映画は、
現代の我々の知らない役者たちだし、
キャラクターもシチュエーションもそんなに驚きがない。
しかし、なぜこんなに心を打つのかを考えると、
それが映画になっているからだ。

アクション映画の傑作、T2は、
ミニチュアであることや初期のCGであることは分っているのに、
なぜにこんなに心を打つかを考えると、
それは映画になっているからだ。

スポーツ映画の傑作、ロッキーは、
以下同じ。


ああ、いい映画を見た、
という共通点を考えるといい。

コメディが得意な人がいたとしても、
それを封印したら、
人間ドラマをつくることができるかもしれない。
アクションが得意な人がいても、
ほんとうに映画を語れるなら、
ミステリーが書けるかもしれない。

だから、
僕はあんまりジャンルということに興味はない。
そのジャンルのお約束とか、
そういうことにはある程度詳しい必要はあるが、
別にそんなことやらなくても、
映画になっているほうがよっぽど重要だと思う。

なんなら、
コメディ風人間ドラマ、みたいに、
人間ドラマを全面に押し出してもいいくらいだからね。


もちろん、
そうなるには、
人間の本質とはなんぞや、とか、
ストーリーを上手に語るコツとか、
そういう基礎の力がとても大事になってくると思う。
逆に、基礎さえ整っていたら、
ちょっと応用するだけでどんなジャンルでも書けると思う。

それがそのジャンルとしては微妙だったとしても、
映画として傑作であれば、
それは傑作になると思うよ。


たとえば三谷幸喜は初期の映画では、
映画になっていた気がする。
「12人のやさしい日本人」「ラジオの時間」
なんかはとてもよかった。

でもコメディを意識しすぎて、
コメディを書こうとして、
どんどん映画から遠ざかって行ったと思う。

その「映画」とは、どんなものか?
を問うことが、
実はわれわれの仕事のような気がする。
映画とはなにか?
なにが映画じゃないか?
なにが映画と似てて、
どこが絶対に映画に必要なのか?

答えはない。
でもそれを自分なりに用意していたほうがいいと思う。
そうでないと、
自分の書いたものは何か?
と認識できなくなる。

アクション映画を書いたつもりで、
アクションしか書いていないかもしれない。
映画の部分が抜け落ちているかもしれない。

映画の部分が書けていたら、
現場でアクション監督がもっと足してくれるだろうが、
映画の部分が書けていなかったら、
誰も足してくれない。

脚本家が書くのは、
映画の、その芯になる部分だ。
芯のないぐだぐだな失敗作をたくさん見ていれば、
脚本家が用意するべきものは何かが、
分ると思う。


名作と駄作は何が違うのか。
僕は感銘だと思っている。
それは人間とは何か、という深い考察に満ちたもので、
人生に新しい見方を教えてくれる何かだと思っている。
それを、事件、経過、解決を通じて、
全体として描くものだと思っている。

そこが出来ていたら、
ジャンルは適当でもいいと思うよ。


プロデューサーはジャンルを気にしたがる。
それは、配給が気にするからだ。
配給はジャンルのバランスを取って、
コメディが1本足りないとか、
アクションが2本多いとか、
そういうバランスで各月の興行を均して、
平均的に観客を取っていく。

まあ、そんなことを気にする必要はない。
もっと根本的なことを気にするべきだ。
あなたは脚本家だ。
ストーリーを一番気にするべきだ。
それは映画になっているか?とね。
posted by おおおかとしひこ at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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