2026年04月27日

役名を凝った名前にする意味

僕はそもそも役名を凝ることに賛成していない。
田中とか小林とか、普通の名前でいいと思っている。
男1とか、女2とかでもいい。

だけど、実際につくることになるときに、
これは必要なんだよね。


田中よりも、祐天寺のほうが想像が膨らむよね。
女2よりも、あかねのほうが想像が膨らむよね。
この人はどんな人なのだろう?と。

祐天寺はきっとゆったりした感じで、余裕があるキャラクターだろう。
古風なところと現代的なところが混ざったキャラクターかもしれない。
あかねはチャキチャキしてそうだ。
さっぱりしたキャラクターだけど、
案外繊細なところもあるかもしれない。

こんな風に、ある程度凝った名前からは、
想像する方向性が見えてくることがある。

で、これは僕は脚本家のためにあるのではなくて、
他の人の仕事のためにあると思っている。

たとえば役者。
どういうキャラクターで演じればいいかだ。
「そっか」というセリフひとつ取っても、
祐天寺の言い方とあかねの言い方は違うだろう。
もちろん感情は一つではないので、
怒った祐天寺の言い方と、
強がって真意を見せたくないあかねの言い方では、
まったくちがうことになるだろう。
そんな風に、
役者にキャラクターの手がかりを与えるために、
僕は名前を凝ったほうがいいと考える。

同様に、
「祐天寺の部屋」という場所を作る美術部には、田中と祐天寺の部屋では異なるだろう。
衣装部、メイク部も、
田中の服と祐天寺の服では異なるだろうし、
女2のメイクとあかねのメイクでは、
化粧品すら違うかもしれない。

こんな風に、
名前ひとつで想像が膨らむガワの要素については、
名前はヒントというか、方向性(ディレクション)になる。

名前とは違う性格に悩んでいる、
というものがない限りは、
役名はその役の性質を一番表すものになるほうが、
各スタッフに話が通じやすくなる。


ということで、
名前は最終的に凝ったほうがいいと思う。

そしてその凝る方向とは、
その名前を聞けば、
キャラクターが浮かびやすいものになるべきで、
浮かばない名前で、
凝ったものにするべきではないということだ。


昊空(そら)という名前が、
今凝った名前で検索したら出てきた。
これは良く分らない。
空(そら)で十分だろう。
キャラクターが分る方向でつけるべきだと思う。

ついでにキラキラネームをみていたら、
愛太(らぶんた)なんてのが出てきた。
まじか。大丈夫か。
これはもはやどういう部屋に住んでて、
どういう服を着て、
どういう飯を食ってて、
どういう喋り方やしぐさをするのか分らないキャラクターだから、
まったく意味のない名前だと思う。


あるいは、
自分にとっても凝った名前で、
その人らしさを創造しやすくなるなら、
きちんと命名したほうがいいと思う。
いらないなら、
男1とか2とかでもおもしろい話をつくることだ。


最終的には、
凝った名前か、凝っていない名前か、の二択になる。
特別なキャラクターにしたいなら、
そういう名前にしたほうがいいし、
とくに重要でないキャラクターならば、
平凡な名前や記号的な名前にするといいと思う。

なんのために凝った名前にするのか。
イメージをしやすいようにだ。
正義の極悪人に「正美」とつけることだって、
表現のひとつだろう。


もちろん、役名以外にも命名権はある。
オキシジェンデストロイヤーは今でもカッコイイ名前だし、
キン肉バスターは最高だ。
名前に命が宿ることも考えると、
なまなかなことではない。

だけど、変に愛着がつくと、
簡単に改訂出来なくなってしまう。
命やアイデンティティの同一権みたいなものが生まれてしまうんだろうなあ。

だから途中までは男1とかにして、
途中から精度を上げていくのがいいんじゃないか、
って僕は思うな。

もちろん短編にはいらない。
長編で考えるべきことだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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