2026年03月27日

なんか「夢オチ」の定義が変わってないか

チェンソーマンの最終回を「夢オチ」というのは、
もともとの夢オチの定義から外れていて、
結構気になるねー。

世界改変オチというべきでは。


これまでの常識的な夢オチ:
「今までのことは夢だったのかー。
よし、元の日常に戻ろう。
アレもコレも全部なかったことだったんだ」

今回のオチ:
「世界は改変された。
アレもコレも全部なかった事になった。
主人公たちは日常を生きているが、
アレやコレを覚えているかどうかはわからないので、
判断や想像は読者に任せる」


まあ、世界改変オチってあまりないパターンで、
世界改変系にはよくあるオチなのだが、
みんな慣れてないだけなのかもしれない。

この手のパターンでは、
主人公は忘れてるように見えて、
でもなんとなく覚えてる、
みたいなものがちょうどいいんだけど、
ちょうど良くないっぽいね。
本編読んでないから知らんけど。



僕が最初にこれに触れたのは、
名作映画「天国から来たチャンピオン」だ。
詳しくいうと勿体ないので見てくれ。
ちょうどいい最高の終わり方だよな。

これがみんなの望む世界改変オチだけど、
藤本タツキは逆張りの人なので、
そうはしなかっただけだろう。

世界改変オチでは、
「アベンジャーズ・エンドゲーム」もそうだったね。
あの最高の指パッチンは、アイアンマンから見てきた僕には号泣だった。
最高の変化、成長、ブックエンドテクニックだった。


タイムスリップや世界が分岐する系では、
そのベストエフォートを探す話になりがちだ。
「バタフライエフェクト」では、
そのベストエフォートが……という名ラストになっている。

人類が最初に世界改変アイデアにたどり着いたのは、
「タイムマシン」だろうか。
事故死した妻の、その前に戻り、
事故を止めたいという話である。

悲劇を止めるからいいんだけど、
仮に妻を事故から救い、その世界に生きるとしても、
妻が死んだあとの悲劇世界はどこへ行ってしまうのか、
というのはタイムマシンものの闇だ。
存在し続けるのか消滅してしまうのかを決めなければならない。

ハッピーエンドものでは、
悲劇的な世界は見ないふりをするのが常套だね。
妻が死んだ世界はあり続けるのかもしれないが、
今生きてる喜びに比べれば無視できる、
くらいのハッピーエンドにすれば、
まあ忘れることは可能だ。

しかしそこまで到達してないハッピーエンドだと、
「あの不幸な世界の続きはどうなってるのだろう」
となってしまう。

こうしてマルチバースものが生まれる。

代表的なのはシュタインズゲートかな?
「世界線」という言葉を発明したね。
世界線の近さを測るディファレンシャルメーターというのも発明だ。

僕は見てないのであれだが、
以降マルチバースものは、
ひとつのジャンルになったと思う。

それぞれのマルチバースものでは、
一つの世界が改変された時、
別の世界に分岐するのか、
消滅するのかをルールとして決めている。
だから、
一つの世界が救われたとしても、
複数の世界が不幸になることがある。

これは、
人類が全員幸福になることはできなくて、
主人公が幸福になったら、
誰か別の人が不幸になるだけだ、
という世界の不都合な真実を暴いてしまう。

ハッピーエンドの物語は、
誰かにとってのバッドエンド物語ということだ。


通常のハッピーエンド物語では、
悪役のみがバッドエンドを引き受ける。
彼が不幸になることでざまあみろが発生し、
他の人全員が幸福になることで、
世界は平和になったとなるわけだ。
これを因果応報というわけだ。

ハッピーエンドは、
偏った因果を、応報することでスッキリするのだ。


さて、マルチバースものでは、
因果応報になりづらい。
この世界が幸福になっても、
その他が不幸になるのは因果応報としてなんか腑に落ちない。

だから、マルチバースは難しい。

この世界の主人公は幸せになっても、
他の世界の主人公は不幸のままであることはありえる。
俺1人が幸せになってもなー、という遠慮が起きてしまう。

これをうまく真のハッピーエンドに導くのは、
並大抵のシナリオではできないだろう。


なお、マルチバースものは、
1本のストーリーというよりは、
マルチストーリーを平行体験する、
ゲームというメディアがふさわしい。
一応全ルート見るかー、ができるからだ。

あるルートはバッドエンドで、こっちへ行ってはいけないとか、
あるルートはハッピーだが、ある世界はバッドだとかがある。

全てがハッピーになるのをトゥルーエンドといったりするが、
全てにおいてそれを作るのは、
かなりのシナリオ力がいると思う。
(ちなみに去年そのシナリオを仕事としてやってました。
ただ諸般の都合で開発中止になったので、
6時間分のシナリオがオクラになったままだ笑)


ゲームの場合は、それぞれのルートを体験すれば、
それはなかった事にできるのだが、
1本のストーリーの場合は、
一旦それが起きれば、
そのルートは存在した事になってしまう。

だから、それらを全てひっくるめた、
真のオールハッピートゥルーエンドにもっていくことは、
至難の業だ。

そして藤本タツキといえば、
ファイアパンチでもぶん投げエンドにした前科者である。


チェンソーマンの最終回以前の展開が、
色々情報として入ってくるのだが、
さまざまな焦点が残されたまま、
世界が改変されて、
それはなかったことになってるんですって。
ぶん投げやんけ。

なので、夢オチではなくて、
世界改変ぶん投げオチと呼ぶべきだろうね。


世界にファンが多くいて、
この最終回はRedditで大荒れらしい。
ニューズウィークにも記事になっててワロタ。
ごめんなさいね、
彼の前科は知られてないかもしれないですね。
はじめてチェンソーマンで触れた人は驚いたかもしれないですが、
ファイアパンチを読んでいただくと、
「このレベルに何を期待してたんだ?」と、
落胆することしかりでしょうよ。



「天国から来たチャンピオン」
「バタフライエフェクト」
「アベンジャーズ: エンドゲーム」
 (※「アイアンマン」から始まる20本近くの映画群として)
「スパイダーマン: ノーウェイホーム」
のような、
パーフェクトエンディングを創作することは、
大変難しいのである。

そして、映画の長さレベルでこれが難しいのだから、
長編で事件や焦点の数が増えるほど、
パズルを解くのは指数関数的に難しくなるだろう。

ぶん投げエンドを発動するには、
十分すぎる条件を備えていた。



これを編集部がコントロールして、
才能詐欺、エンド詐欺にするのが、
連載という魔法なのかもしれない。
もうちょっとだけ続くんじゃと、
商売を回転させて、
才能が枯渇するまで吸い取るのが、
利潤追求の会社の正しい姿かもしれない。

だけどタツキはその螺旋から、
勇気ある撤退を選んだのだろう。だって無理なものは無理だもの。

鳥山明はドラゴンボールで壊されたし、
北条司も原哲夫も壊されたようなものだ。
ゆでたまごは2人だからなんとかなってるのだろうか。

吾峠呼世晴はうまくやった。
こんなに螺旋からうまく抜けた人はいままでいなかった。


さて。
夢オチの代表的な漫画に、
「3年奇面組」「東京大学物語」がある。
伏線ぶん投げには、夢オチが最適解ともいえる。

なぜ夢なのか?
2つとも学園ものであることに注意だ。
あの学園の何年かが、ずっと続けばいいのにと、
誰もが思うということだ。

この、「ずっと続く」ということと、
時間という変化するものが、相性が悪いんだよね。

連載とはずっと続くものが望ましい。
時間は変化して終わる。

基本的にストーリーと連載は矛盾するのだ。


タツキはこれからシナリオライターになるだろうか?
めっちゃ稼いだから何もしなくていいのかねえ。


リセット症候群というものがある。
世界改変ぶん投げオチをやりたい人のことをいうんだよね。
精神疾患とまではいわないが、
その傾向はみんなにあることだ。

引越しを続けたい人とか、
サークルに入っては辞めていく人とか、いるよね。
ジプシーって、そういう遺伝子がプールされてるかもね。

一応タツキの星座を調べたら天秤座。
うーん風の星座。責任を取らず風見鶏で消えてしまうタイプだ。
その代わりオシャレで、みんなのいいとこどりをする。
マネージャーやデザイナーにむいてる。
ファイアパンチやチェンソーマンの漫画の表紙は、
デザイナーレベルの色使いが印象的だった。
星座占いは、時に当たるかもしれない?



夢オチではなく、
世界改変ぶん投げオチである。

ただ、根っこにある、
リセットしたいという願望は同じかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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