両方の意味が込められていると思う。
尊敬と軽蔑とだ。
競技空手を考えればわかる。
それで世界一を取ることはすごい。
技術の研鑽がすごくて、
練習も膨大だ。
標準化されたルールで戦うからこそ、
ズルが許されないシビアな戦いで、
そこで安定して勝つことは、
ほんとに強くないと勝てない。
その意味では競技○○は尊敬の対象だ。
ただ本当の空手か?という問いもある。
よーいスタートで殺し合いをするわけではない。
金的や目潰しなども使う。
腕1本犠牲にして相手を殺す技もあるだろう。
そんなのは人生をかけたもので試合ではできないが、
ほんとうの強さはそうした部分でもある。
そういう「真の強さ(それがなにかはおいといて)」から見て、
競技はしょせん競技と侮蔑されやすい。
競技ピアノでも同じだろう。
競技で優勝するにはほんとに技術とか体力とかすごい、
フィジカルお化けなんだろうけど、
人の心を動かすことがほんとうのピアノだろと思う。
競技字書きってあるかな?
書道がそれかもね。
書道で字がうまい人は尊敬されるけど、
同時に、名作小説とは関係ないよねと軽蔑される。
手段を競技化すると、
そうなってしまうんだろうな。
目的の遂行が一番大事なのに、
その手段だけを取り出すからそうなるのだろう。
だから競技タイピングはすごいけど、
さっさと文章書きまくってくれよ、
そのコツを言語化してくれよと僕は思う。
彼らからしたら、ほざいてないで大会出ろよ、
タイプウェルZ行ってから言えってなるだろう。
(XAくらいで発言権あるのかしら)
このすれ違いはつまり、
目的が大事なのか、
手段が大事なのか、
に集約されるだろう。
たまに、美容師コンテストみたいなのあるよね。
何分で何人切ったかみたいなの。
技術の競い合いだからいいんだけど、
似合ってる髪型かどうかは審査対象なのか、
すげえ気になるよね。
一方料理漫画での対決では、
派手で奇想天外な料理法で対決するものの、
決着をつけるのは、
いかに人生に寄り添ってるかだから、
目的で勝負してるともいえるよね。
競技タイピングとか競技タイパーは、
名前がかっこよすぎる。
試合タイピング、試合タイパーみたいにすると、
少し大した事ない感じになりそう。
競技って言葉が権威を持ちすぎてるのかもしれない。
タイピング試合かー……やっぱ俺では勝てそうにないなー。
内容の芸術点勝負で、1日試合ならなんとか。
2026年03月29日
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