2026年03月29日

【薙刀式】数値化できないものに数値競争をつくったから?

本来文章は数値化して評価できるものじゃないよね。
(売上とかあるかもだが)

それを急に競技にしたから話がややこしいのかもなー。
もともとタイピング競技って、
内容を書くわけではない、
別の偉い人が書いたものを清書する、
秘書たちの競技だった。
そこが歪みの始まりか。


今でも本文を書く人と、
清書する人が分かれていたら、
競技タイピングは意味のある大会だったろう。

秘書検定の一部に組み込まれてただろうね。
ていうか、これがあったせいで、
qwerty配列は固定されたんよな。
前使えた技能が他のところでも使えるように、
という秘書たちの希望だったわけだ。

Windows以降、
タイピングは自分でやらなきゃいけないことになった。
(ていうかDXは結局全部自分でやれみたいなことになってる。
そのかわり安くなったのかもだが、
人件費というフローが回らなくなったから、
大局的には貧乏を招いている)

自分でやるべきタイピングで、
どういう理屈で速い方がいい、
って言われてるかは、
生産性という指標だ。
タイパだね。

時間あたりの生産文字数が多い方が稼げるだろ、
という理屈だ。
ほんとうかな?

同じ質のものを量産するような、
工業製品だったらその計算はできるけど、
文章というのは質も内容もバラバラな、
工業製品の指標で語れないものなのでは?

秘書の効率も、生産性も、
全部産業革命のパラダイムで測定してるよね。
それってほんとにちゃんと測れてるのかねえ。


僕の中で、なぜ速くなりたいか、
という理由はひとつで、
「脳の中のモヤモヤを、蒸発する前に形として定着したいから」
だ。
実はこの理由を述べてる人は、
ほとんどいないことに気づいた。

だから、作文のことなのに、
秘書検定の理論で議論してしまうのかもしれない。


脳科学アプローチは、
秘書検定の理論とは一線を画したものではあるが、
「そもそも私たちはなぜ書きたいのか」
「何を書きたいと思うのか」などまでは、
脳科学の領域じゃないから、
結局我々芸術の分野の人間が、
担当するしかないんだろうなー、などとぼんやり考えている。


競技タイパーの理論化されたものは、
僕はずっと心に響かない。
目的が違うからだ、と理解してたけど、
数値化できないものを数値化してるからなのかもしれない。

「蒸発する前に速く書きたい」というのは、
0.何秒で書ければよい、
という数値目標で語れるものでもなさそう。
いちおう基準としては2000字(変換後)/10分としてるけど、
そうじゃなくてもいいかもしれない。


僕は手書きでできることがデジタルでできないことに、
ずっと文句を言ってるだけだ。
暗いと不平をいう代わりに、なんらかの明かりをつけてみたわけだ。

それがベストとも次のスタンダードというつもりはないので、
いろんな別解を知りたい。

だけど、なかなか自由文の動画をあげてくれる人が少ないので、
うーんこんなこと考えてる人、
あんまいないのかなーなどと思ってしまう。
posted by おおおかとしひこ at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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