Twitterから。
> テレビつけたら、ミス5回で強制終了とかいうおふざけピアノ対決企画...
面白さは分かるけど、こういうのが本当に日本人に西洋音楽への勘違いを広めているだろうなぁ笑
普段縁のない子供が見たらと思うと...
良い演奏というのはミスがあって当然。というかミスもしない演奏で感動させる方が難しい。私見
https://x.com/fujiwara_vc/status/2037873367920058393?s=20
ミスしなくて平凡なことと、
ミスして感動なら、後者のほうが価値があると僕は考えている。
タイピングゲームに僕が熱を入れないのはそこだ。
まあゲームだから点数化して、
おもしろくするのは理解する。
でも、
ミスのない、突っ込む隙間のない理論で、
それでつまらない文章を書いて、
なんの価値があるんだろう?
文章というのはある程度の正しさはもちろん重要だ。
裏取りもするべきだ。
でもさ、
そこから生まれる主観的エネルギーが、
一番大事なんじゃないかしら。
それこそが人を感動させると思う。
我々の本質は正しさか、ほとばしりか?
という究極の問いだ。
これは人生とは何かという好みもあると思う。
僕は後者だ。
明らかに間違ってたらよくないけど、
細けえことはいいんだよ大体あってりゃよ、
世の中をよくする方向なんだから、
細かい所はいいだろ、
と僕は思う。
揚げ足を取って、正しいけどつまらなくなるのなら、
存在しなくてもいいんじゃない?
だって正しさは客観的であり、
誰がやってもいいのであり、
別にあなたがやる必要も必然性もないからだ。
僕たちが欲しい文章は、
正しい文章ではなくて、
ほとばしる文章だ。
これは、文章とは何か?
なんのためにあるか?
芸術とは何か?
という人生観の問題だから、
強制する話ではない。
だけど僕はほとばしりを浴びにいきたい。
薙刀式は、だからたくさん修正するキーがついている。
BSはすぐ上にあるし、
編集モードで移動選択再変換したり、
文末まで消したりDelしたり、アンドゥしたり、
切り貼りすることができる。
むしろ、みんな一発で間違わないように文章書いてるの?
って思っちゃう。
もっとガンガン修正するだろって。
BSは僕のタイプ履歴からしたら8%程度。
最頻出のカナ「い」の7%より多い。
この、「修正へのためらいがない」ことが、
よりよい文章を作るアクセルだ。
ブレーキかけてる文章なんて全然つまらない。
人生はブレーキでなくアクセルだろ。
いかにアクセルを踏めるようにするかが、
文房具の設計であるべきだ。
サーカスの象の話を僕はよくする。
サーカスの象は、自分が繋がれた鎖を引きちぎる力があるのに、
なぜあんな小さな鎖で繋がれているのか?
という話だ。
実は子どもの頃、その象は鎖を何度も引きちぎろうとした。
でも子ども象の力じゃ切れない鎖だったので、
無理だとその象はあきらめてしまったのだ。
大人になって今やその力があるのに、
諦めてしまった象は、二度とトライしようとしないから、
小さな鎖で大人の象をつなぐことができる、
という話である。
子供に間違えない事を教えることは大事だ。
だけど、間違えないことより大事なことを、
同じだけ、あるいはそれ以上に教えないと、
小さな鎖につながれた象を量産することになる。
いつでも鎖なんて引きちぎれる程度の、
アクセルこそが文房具だ。
なんのために文章を書くのか?
ほとばしるためだ。
加速できなきゃ意味がない。
そのほとばしりを破壊に使うか建設に使うかは、
道具の責任ではなく個人の責任だね。
その意味をこめて、僕は配列の名前に刃物の名前をつけている。
文章は常に刃であり、
自分や相手を傷つけるおそれのある取り扱い注意のものであり、
うまい飯を作れるのだ。
ミスを恐れる人たちは、
僕は火を恐れる猿に見える。
2026年03月30日
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