2026年04月02日

ひいきめ

ひいきめの人は、自分がひいきしていることに気づかない。
それは客観性を失っていることでもある。


Twitterから。
> 100万円以上はするペルシャ絨毯を見る機会があったのですが、値段故に別の用途があると考えた6歳児が「まま、これは、とぶの?」と聞いてきて、可愛過ぎて窒息死するところでした

女さんはこういう親馬鹿なところがある。
まあそれがなかったら自分の子供を守れなくなるから、
必要な本能であることは理解できる。
だがそれはひいきめがあることにも客観的になるべきだ。

なぜなら、俺だって飛ぶかなー、って思うからだ。
その発想自体は誰でも思いつくことがあるものだ。
むしろ、ペルシャ絨毯を目の前にしてそう思わない人は、
想像力が貧弱であるとすら思う。

でも俺が言ったってオッサンうるせえってなるだけだ。
つまり、発言内容じゃなくて、
6歳児だから、自分の可愛い子だから、
ひいきしているのだ。

同じことを別の誰かが言ったら、
きゅんとなるだろうか。
同じ人が別のことを言ったら、
きゅんとなるだろうか。

このきゅんはどちらのファクターか。
そういうことを冷静に考えているか。
考えていないなら、
気づいていないなら、
ひいきめにいる可能性が高い。


ここからが女差別になるが、
女は上司にむいていない。
結構容姿でひいきめをする上司がいるからだ。
自分の好みのイケメンなら評価して、
そうでない人を評価しない傾向がよくある。
女は平等に、客観的にものを見るのに向いていないときがある。
その代わり、味方として利用したら強い。
敵にしたらめんどくさい。

正確には差別ではなく、偏見である。
そこから「女だから僕の上司は男にしないと訴える」
「世の中から女上司は撲滅するべきだ」
というのが差別だろう。
仮に女上司だとしても、
「この人は女によくある欠点、ひいきめを、
どれだけ克服して客観的な評価をしているか」
を観察すればいいだけだ。



というわけで、
ひいきめをしているかどうかを、
つねに客観的になろう。

客観的になると、
「こんなつまらないものを世に出して、
何の意味があるんだ」までなってしまうことがとてもよくあるが、
「いや、ここまでは面白いのだ」
という真の客観的評価をきちんとしないと、
過小評価の罠に陥ってしまうぞ。

ひいきめは、つまり過大評価である。
敵を評価しない過小評価も含むな。

ただしくまっすぐな目は、
なかなか難しい、ということだ。


もちろん、これを物語に応用してもよい。

目がくらんで、ひいきめになっている人物を出してもよい。
どんなに止めてもひいきめで進み、
破滅するさまは人間を深い所で描ける可能性がある。

あるいはこの母親が子供を誘拐されたときの反応を想像すれば、
強力な動機になる。
そのためにひいきめのエピソードを逆算して創作することにも、
応用できるわけさ。
posted by おおおかとしひこ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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