スマホでフリックを使わずに、
qwertyを使っている人が、僕は信じられない。
だけど、よくよくその心理を観察すると、
分らなくもない。
飛行機の操縦席と同じだと思う。
「全部のボタンが見えているかどうか
(実際に全部見るかどうかはおいといて、
フルオープンになっているかどうか、ということ)」
がキモなのではないかと。
フルキーボードの何がいいかというと、
「全部のボタンが見えている」ことだ。
すべての機能はここに全部あって、
それが(使わないにしても)見えていることが、
「私はこの全部を支配している」
という全能感につながる。
「これを制御できる」という感覚だ。
ところが、飛行機のボタンがレイヤー化されていて、
コントロールパネルが半分とか1/3になったことを想像すると、
「何が隠れているかとっさに判断できなくなる」
のではないかと思う。
「全部見せてくれ、それから使うものはこちらで決める」
となるんじゃないかしら。
つまり、レイヤーは合理的で便利だけど、
心理的に「隠されているという不信」があるんじゃないか、
って思うのよね。
隠されているものの全容をとっさに知ることは難しいからだ。
図書館の閉架も同じ気持ちになる。
「あるならあると最初から教えてくれよ」
って思っちゃう。
問い合わせないとあるかどうか分らないのは、
なんか隠されている気分になる。
何があるのか全部オープンになっている開架なら、
「ここにあるのは全部でこれです」
が分りやすい。
フリックを使わない人の心理は、
実は文字がレイヤー化されているからじゃないか、
って思ったのよね。
せっかくコンパクトキーボードが自作キーボードの良さなのに、
わざわざフルキーボードを自作する人がたまにいる。
その心理は良く分らないのだが、
「全部見せろ、隠すな」というのはあるな、
と思ったわけ。
たとえば風俗に行くとしよう。
「その店にいる全女の子」を見たいじゃない。
そこから選びたい。
「実はシークレットがいまして」
なんてあとで言うなよ、って感じ?
シークレットがいるかどうかは最初に知らされていないわけだから、
なんか気持ち悪くなるんだよ。
フリックは、全部の文字が書いていない。
だから、
「あれはどこにあるの?」
「どういう基準で全部がならんでいるの?」を、
初見で理解することはできない。
その理解を拒んだ人が、
「全部並んでいる」qwertyを使うのではないか?
フリックをやらない人の言い訳を見ると、
「どうやって入力するのか分らない」がある。
それは、フリックするという動作が出来ないのではなくて、
「何がどこにあるのか分らない」
「全部が見えていない不安」
なんじゃないか、って思ったのよね。
新配列でも、
ローマ字配列のほうがとっつきやすくて、
レイヤー化されたカナ配列は、
「配列図が見にくい」という理由で、
忌避される傾向にある。
それは、
「全部が見えていない不安」なんじゃないか、
って思った、という話。
ローマ字だってレイヤー化は原理的に出来る。
カタナ式やその他いろいろあると思う。
でもそういうのは流行らなくて、
なぜか文字の入れ替えだけになりがちなのは、
レイヤー化が問題なのではなく、
「全部が見えていない」ことが問題なのでは?
などと思った。
だから仮にJISカナの範囲で、
全部を合理的に入れ替えたカナ配列があれば、
受け入れやすいのでは?などと思う。
打てるかどうかは別としてね。
ほら、全部あるでしょ、全部見えていますよ、
という安心感はあるんじゃないかしら。
で、「それはブラインドタッチ出来ないから、
レイヤーに積んで狭くした」
と、段階を踏まないと、
レイヤードなカナ配列は直感的に理解できないんじゃないかなあ、
などと思いました。
つまり、
ほとんどのカナ系新配列は、
直感から何足飛びもしているから、
頭では理解できても、
心理的に拒否反応が出るんじゃないかしら。
機能キーが文字配列内にあるのは、
けっこう拒否反応あるよね。
BSやエンターの頻度から考えたら、
FJの特等席にいてもいいくらいだけど、
それが嫌なのは、
「全部見えるところに、整理して置いてほしい」
という直観があるような気がする。
それは、「見た目での整理」なんじゃないだろうかね。
「触覚での整理」はまた違うぞ、
ということに気づくのは、
なかなか難しいと思うなー。
フリックをやれば、
レイヤー触覚という概念を理解できるのかしら。
そしたら、レイヤードな新配列や自作キーボードを、
理解できるようになるかもしれない。
2026年04月07日
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