2026年04月10日

【薙刀式】私は正規か、正規じゃないか

日本という国は同調圧力が強い文化だ。

仲間はずれやいじめは、
同質を保つためにある。
外れた者を排除するだけではなく、
「私たちは異物を排除するために協力する、
同じ集団である」という仲間意識を強化する。
(その意味では人類補完計画とはムラ社会のことである)

で、だから、
「仲間から外れてるか、外れてないか」
に日本人は敏感なんじゃないか。


正規雇用←→非正規雇用
生え抜き←→外様
身内←→よそさま
制服、スーツ←→私服
制式採用品←→非採用品
貸与機材←→私物
教科書←→ネットの怪しげな知識
標準←→異端
権威のお墨付き←→知らん人が評価
錦の御旗←→有象無象
宮内庁御用達←→そのへんのなにか

つまり、日本人は「異端になりたくない」
という無意識の恐怖が、
他の文化圏に比べて、異常に強いんじゃないか。


qwerty mod-jaという、
qwertyから一手だけスワップした
(-と/の入れ替え)配列を、
てるふのさんが提案している。
https://scrapbox.io/terfno/qwerty_mod-ja

配列変更に慣れた我々は、
もっと改造できるやんと思いつつも、
「配列入門はこれくらいハードルを下げればできるでしょ」
という親切心でつくられているなあ、
なんて文脈を読み取れる。

ところがこんなにハードルを下げても、
ハードルの高さ(=訓練の必要性)が原因ではないとしたら?
と、僕は思ったのよね。

我々はつい、
「変更のコストが大変なのだから、
そのコストをさげれば触りやすいよね」
と考えてしまう。

だけど配列を変えようとしない人がよくいう、
「変更コストが大変なので……」は、
やりたくないことの言い訳に過ぎないのでは、
ということだ。
つまり物理ハードルではなく、
心理ハードルが立ちはだかっているのでは。

変更コストが問題なのではなく、
「非標準になるのがこわい」
が原因なのでは?と。

アウトローになるのは怖い、
みんなが制服を着てるときに私服を着るのが怖い、
みたいな心理だ。


「新配列をマスターしたあとqwertyに戻れなかったら」
と必ず心配するのもそういうことだ。
「いいじゃん戸籍を抜いて社会保障もなしで、
保険証もなしで山で生きればいいじゃん」は、
みんな怖いのである。

それがどんなに合理であり、
気持ちよく、素晴らしい世界だとしても、
「ふつうじゃないのはちょっと……」
という無意識の忌避が、
新配列に移行しない理由なのでは?
と思う。


認知的不協和という現象がある。
心理的に嫌なのを認めたくなくて、
理屈で言い訳をしたがる現象だ。

「私はいまのqwertyで十分なので……」
「他のサーバーを触ることもあるので……」
「Vimと干渉するから……」
「他の人のPCを触ることもあるので……」
「qwertyに戻れなくなるので……」
「練習する時間が取れなくて……」
「仕事をやりながらだとパフォーマンスを下げれないから……」
「思考の速度が律速なのだから、
そこまで速くなる必要はない……」

などはすべて、
「制服の集団の中で私服でいるのはこわい」
にすぎないのではないだろうか?



qwerty mod-jaは2キースワップしただけだ、
だからコストは最小だ、
という理屈は、この感情を覆せないのではないだろうか。
さすがに漢直よりハードルは劇下がりだけど、
ほとんどの人にとって、
習得難易度はクリティカルではないのでは?
と想像した。


逆に想像する。
新配列にお墨付きがあるとする。

薙刀式や大西配列、新下駄や飛鳥がWindowsによって提供され、
Fnボタンなどで切り替え出来、
かつあらゆるqwertyバインド前提のアプリは、
その配列に合うような切り替えが、
OSレベルで実現したとしよう。

そしてそれは今後Windowsのアプデパッチで、
永遠に保証されるとしよう。
その不具合はMicrosoftがメンテすると。

MacやLinuxも続き、
qwertyキーボードのほかに、
○○配列専用キーボードが最安500円で売られるとする。
高級なキーボードは、
印字が自動的に変わるやつが発売される。

ログインでその人の設定が立ち上がり、
ログアウトすれば共用PCではデフォに戻る。

そしたらみんなやると思う。



たぶん、たったそれだけのことじゃないだろうか。
何を言ったかではなく誰が言ったかで決めるとは、
結局そういうことよね。

一介の民間研究者おじさんが1億回言うよりも、
ひろゆきが1回言えばみんなやるんでしょ。
OSに実装されればみんなやるでしょ。

その程度の差じゃないかしら。


大西さんは有名人だから、
大西配列を触った人が多かった。
合理性自体は大きな目で見れば行段系の枠組みだが、
SKYよりもM式よりも全然ユーザーがいる結果になったわけだ。

もちろんとっつきやすい合理性がちょうどよかった、
美しいデザインであったことはたしかだ。
SKYとM式に足りなかったのは美しさだった。
(美的デザインではなく、機能デザインの話だ。
日英共用、ZXCV保持、濁音半濁音上下の、
スッキリした分かりやすさという設計)

俺がもうちょい有名になったら、
急に薙刀式使うやつが増える、
と予言しておこうかな。

きゅうり配列はRubyのまつもとさんが使ってるとか、
親指シフトは勝間さんが使ってるとか、
結局そういう権威に弱いのだ。
もしジョブスがDovrak使ってたら、
Dvorakユーザーは100万人増えただろう。



というわけで、
新配列の社会的ゴールは、
OSに組み込まれることなのかな?
錦の御旗はMicrosoftかAppleか。

官軍でなければ賊軍、という仲間はずれ意識が、
新配列のハードルなんじゃないかしら。
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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