ストーリーで最終的にやることは、
テーゼの証明だ。
ある命題(○○は○○である、のような形)を、
ストーリー全体で証明したことになるというものが、
もっとも心にどすんと来る、テーマに落ちている作品になる。
もちろん、論文や論考ではないので、
テーゼがあり、アンチテーゼがあり、
ジンテーゼになる、
ような簡単な話ではない。
ストーリーの主な焦点は事件であり、
その解決であり、
登場人物たちの感情や感情移入である。
だが、それらがすべて終わったときに、
あるテーゼの間接証明になっていた、
というのが理想のストーリーの形だ。
だから、
ストーリーとは、
ストーリー形式(事件と解決と登場人物をつかったなにか)で語られた、
あるテーゼが正しいという間接的プレゼンだと思ってよい。
さて。
そのプレゼン時間は2時間である、
という話をしよう。
当たり前ではないか、と思ってはいけない。
相当大変だぞ、
と思わなくてはならない。
あなたが聴衆の前でしゃべるとしよう。
題材はなんでもよい。
ただし、あるテーゼを証明しなければならない。
しかも、そのテーゼの証明がユニークで、
面白くなければならない。
何なら、笑いや感動や恐怖や、
あらゆる感情を刺激しなければ、つまらないプレゼンだと言われる。
5分や10分なら、
たぶんできると思う。
ある程度まとまった話だとしても、
30分しゃべりっぱなしはしんどいよ。
ためしに、架空の聴衆を前にして、
やってみるといいよ。
30分、きちんと集中して聴ける話って、
よっぽど面白くて、ためにならないと聞かないものだよ。
さて、映画である。
映画は2時間のプレゼンだ。
30分のプレゼンがどれだけ大変か、
やってみたら分るよ。
じゃあ1時間のプレゼンをしてみなさい。
90分のプレゼンをしてみなさい。
2時間のプレゼンをしてみなさい。
1時間のプレゼンに必要なものは、
30分のプレゼンに必要なものの2倍ではない。
たぶんその二乗倍、4倍くらい必要だよ。
だから2時間のプレゼンに必要なものは、
30分のプレゼンに必要なものの、8倍くらいの準備がいるかな。
それらが論旨がよれず、
集中力をもって聞けるものにしなければならなくて、
しかも終わったあとに深い感動をもって、
「その通りだ」と思わせなければならないということだ。
だいぶ大変なことだと想像できるだろう。
さて。
実はここからが本題だ。
あなたに与えられたプレゼン時間は2時間と大体決まっている。
95分(やや物足りない)から125分(やや長い)
くらいまでは範囲があるが、
おおむね120分前後と決まっている。
110分くらいが名作になる、
という話もある。
で、あなたはそれにふさわしい題材を見つけているか?
という話が本題だ。
15分で終わってしまう話だと、
2時間ももたない。
ずっと空白だろう。
3時間かかる話は、2時間ではできない。
はしょりすぎて、急ぎすぎて、
十分食った感じのものにならないだろう。
もちろん、誘導したい結論にむけて、
15分の脚本、3時間の脚本にする、
という手もある。
だけどほとんどの商業映画は、2時間前後を基本尺としている。
だから、それ以外の需要は少ない。
そして言いたいことは、
「その、2時間のプレゼンにちょうどいい題材を見つけろ」
ということなのだ。
ある題材を元に映画を書きたいとしよう。
イメージが湧き、
ストーリー展開はうまくいき、
キャラクターも魅力的に書けたとする。
しかし、
2時間のプレゼンにちょうど収まっていない話は、
ちょうど良くない、という話だ。
本来もっと短い尺で語れる内容ならば、
だらだらと水増ししていることになる。
(絵本とか、短編が元ネタの脚本にありがち)
本来もっと長い尺で語るべき内容ならば、
ぶつぎりで骨格がぐらぐらということになる。
(漫画原作、小説原作にありがち)
だから漫画原作や小説原作には、
「あそこを省略するのはなー」という文句がいつも出る。
原作を知らない人には、
「説明が不足している」と常に思うものになっている。
2時間にちょうどよい材料ではないからだ。
鍋をつくることにたとえれば明らかだ。
食材の量が足りないならスカスカの鍋になるし、
食材が多すぎたらあふれるし、
先に全部を知っている人からしたら、
あれが入っていないこれが入っていないという文句しかない。
その鍋にちょうどいい材料の、
プレゼンになっていないわけ。
これは原作ものを調理する際に、
つねに問題となることだと思う。
だから、ほとんどの原作つき映画は失敗する。
尺に応じてちょうどいいものを用意していないからだ。
まあ原作つきはこの際どうでもよい。
あなたが書くオリジナルストーリーの話である。
あなたがそもそも2時間のプレゼンに必要な題材を用意していないなら、
スカスカで退屈か、
急ぎ過ぎて足りない感じになる。
2時間かけて語るプレゼンとはどれくらいか?
という車幅感覚がないと、
題材も用意できないわけだ。
そして創作というのは、
つねに同じものをつくるわけでないので、
いつまでたっても、
完成品にちょうど良いジャストの題材を用意することは、
はなはだ難しいということである。
ということは、水増しするか、
カットしていくか、ということになる。
そのカットの仕方がまずいと、
長い原作をはしょったような、
全体的に物足りないものになるだろう、
ということだ。
「一体これは何についての物語なのか?」
「一体これは、何を証明しようしているのか?」
「一体これは、何を証明したことになるのか?」
ここがうまくはまっていないと、
退屈か詰め込みかの、
二択を引いてしまうのだ。
それが、2時間のプレゼンにちょうどいい題材であることは、
どうやって事前に分かるのだろうか?
僕は分らない、カンでやるしかない、
と思っている。
長年のカンで大体分るときもあるが、
分らないときもあるので、
法則性があるわけじゃないということだ。
でも「この車はここを通れる」
というのが感覚で分るように、
ちょうどいい大きさである、というような感覚が出来上がることはたしかだ。
なので、やりながら考えるしかない。
あー、2時間をオーバーするプレゼンになるなー、
ということは問題の枠組が大きすぎたのか、
途中の展開がヘビーだったのか、
などを「適切な2時間のプレゼン」と比べて、
検証していくしかない。
2時間に満たないものであったら、
適切な見本と比べて、
もうちょっとこういうサブストーリーを入れないとなあ、
と判断したり、そもそもテーマをもっと深くできないのか、
などと調整しなければならない。
それらは、
一回書いただけじゃ全然分らない。
第一稿を書いて、
しばらく寝かせて、
忘れたころに、「一体あれはなんだったんだっけ」がうまく客観化できないと、
判断が難しいと思う。
ということで、
ちょうどいい2時間を探そう。
そしてうまく整えよう。
あなたは2時間かけて、
何を証明するのか?
それを決めていない者が、聴衆の前で2時間も面白い話は出来ないよな。
2026年05月12日
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