2026年05月14日

描写がおもしろいときはどういうときか

描写はあんまりしすぎても面白くなくなる。
ストーリーがいつまでたっても進まないからだ。
多くて1分、400字までだろう。
ストーリーが1分進まないと退屈がやって来る。
あるいは複雑な状況を示すのに5分かけるのも良くない。
ストーリーが5分止まるからだ。

これまでの勢いがまったくなくなってしまう。
冷えたエンジンを温めるのには倍の時間がかかる。

だけど、描写が続いても興味深いときがある。
どういうときか、シンキングタイム。
例をつくりたいときはつくってもいい。


「それが特殊な状況」のときだ。
たとえば、
「エイリアンに妊娠させられた」
状況を考えよう。

朝起きる。歯を磨く。電車に乗り、会社に行く。
普通なら状況描写として、
もっとも良くない例である。

だけど、非日常の設定だから、
「無事に日常を生きれるのか」
ということがものすごく気になるわけだ。

たとえば歯を磨くときに、
歯から血が出ていたら、かなり不安になるだろう。
緑の血が出たら、もっとだろう。
電車に揺られているときに、
なんらかの発作が出るかもしれない。
病院に行き、MRIの画像を見るという、
日常の幸せな構図でさえ、
映っているのは不気味なエイリアンなのだから、
不安でしょうがないだろう。

そのときの医者の説明はどうか。
「順調ですよ、このままいけば三か月後には出産でしょう」
といういつもの日常が、
まったく違った言葉に聞こえるではないか。

つわりが出たらレモンをかじればいいのだろうか?
腹を蹴ったら?
愛情はわくのか?
今更流産させられないか、と相談しても、
母体が危険だと説明されて、
出産を決断しなければならないと。

こういう状況で、
朝起きて、歯を磨き、電車に乗り、会社に行くのは、
とてもハラハラする。

描写がそれだけでサスペンスになるわけだ。

撮影としては何も用意しなくていい。
普通の撮影をするだけでサスペンスになる。
途中で宇宙人が腹を破って出てくるのではとか、
緑の液体を吐いてしまうのではないかとか、
心配するのは観客側になるわけで、
撮影自体はごく普通の日常を撮影するだけでいいわけだ。
(これは頭の良い手法でもある)


つまり、
日常なのに、こちら側のせいで日常に見えていない場合、
日常描写はものすごく光る。

日常なのに、日常を描いているのなら、
それはやらなくていいことだ。
小泉構文になっているからだ。
日常です、だから日常なのです、
ってなってしまうから、退屈なのだ。

日常です、日常です、日常です、
と三回繰り返したら、「わかったよ」ってなってしまうだろう。
日常です、そんな日常に事件です、
ってなるのが映画だ。

つまり、
「これはいつもの日常だろうか?」
となるときに、日常描写が役に立つというわけだ。

そしたら、「何か異変は起きていないか?」
と、目を皿のようにして観察するだろう。
普段の電車に乗っている光景なのだが、
何か違ったことはないか?
となるのだ。
8番出口と同じだね。


エイリアンの妊娠ではない場合を考えたとしても、
好きな女の子が電車に乗って来る、
いつもの幸福な光景が、
今日に限って、
彼女が男と親しく笑いながら電車に乗ってきたら、
日常は崩壊するわけだ。
そして次の日、彼女が一人で電車に乗ってきたら、
もういつもの日常の風景ではなくなるわけだ。

あるいは、
「人の寿命が数字として見える能力」を得てしまった男が、
電車に乗っていつもの日常をみたら、
色んな人の数字が見えてしまう、
というのは良く見たことがあるだろう。
これも日常を生かしているわけだ。

また、一度世界が滅びたが、
世界線を戻して、世界を救ったとしよう。
その後普通に電車に乗って、
何も変わっていない日常の光景を見るだけで、
涙が出てくるではないか。

そんな風に描写は使うのだ。


描写が生きるのは、
「今どういう状況?」というときだ。
そしてそれは心配しているとき、
と言ってもいい。

「今周囲を確認しなければ」
という意図がない限り、描写は不必要だ。

どんどん先へ進め。
そして、「落ち着いてよく回りを見ろ」があって、
初めて描写を挟むとよい。
それまでは描写なしでも、
ストーリーは進めることができると思う。


ストーリーが始まったとき、
「この主人公はどういう人だろうか」
と観察し始める。
ファーストシーンはまあ日常描写でいいよ。
あ、普通の人なんだ、という説明だからね。

でも二番目のシーンでも描写していたり、
ファーストシーンの描写がものすごく長かったら、 
退屈が始まる。
映画には、刺激を求めてきているのだから、
退屈は敵である。
それは、「その日常に興味があるとき」だけだ。
たとえばその日常が知れていない、アイドルの日常とか、
スパイの日常とか、
忍者の日常とか、
日本一の空手家の日常とかは、
面白そうなので描写が見たいところだ。

つまり、需要もないところに描写を挟むべきではない、
需要をつくれ、
ということでまとめようか。
posted by おおおかとしひこ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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