描写はあんまりしすぎても面白くなくなる。
ストーリーがいつまでたっても進まないからだ。
多くて1分、400字までだろう。
ストーリーが1分進まないと退屈がやって来る。
あるいは複雑な状況を示すのに5分かけるのも良くない。
ストーリーが5分止まるからだ。
これまでの勢いがまったくなくなってしまう。
冷えたエンジンを温めるのには倍の時間がかかる。
だけど、描写が続いても興味深いときがある。
どういうときか、シンキングタイム。
例をつくりたいときはつくってもいい。
「それが特殊な状況」のときだ。
たとえば、
「エイリアンに妊娠させられた」
状況を考えよう。
朝起きる。歯を磨く。電車に乗り、会社に行く。
普通なら状況描写として、
もっとも良くない例である。
だけど、非日常の設定だから、
「無事に日常を生きれるのか」
ということがものすごく気になるわけだ。
たとえば歯を磨くときに、
歯から血が出ていたら、かなり不安になるだろう。
緑の血が出たら、もっとだろう。
電車に揺られているときに、
なんらかの発作が出るかもしれない。
病院に行き、MRIの画像を見るという、
日常の幸せな構図でさえ、
映っているのは不気味なエイリアンなのだから、
不安でしょうがないだろう。
そのときの医者の説明はどうか。
「順調ですよ、このままいけば三か月後には出産でしょう」
といういつもの日常が、
まったく違った言葉に聞こえるではないか。
つわりが出たらレモンをかじればいいのだろうか?
腹を蹴ったら?
愛情はわくのか?
今更流産させられないか、と相談しても、
母体が危険だと説明されて、
出産を決断しなければならないと。
こういう状況で、
朝起きて、歯を磨き、電車に乗り、会社に行くのは、
とてもハラハラする。
描写がそれだけでサスペンスになるわけだ。
撮影としては何も用意しなくていい。
普通の撮影をするだけでサスペンスになる。
途中で宇宙人が腹を破って出てくるのではとか、
緑の液体を吐いてしまうのではないかとか、
心配するのは観客側になるわけで、
撮影自体はごく普通の日常を撮影するだけでいいわけだ。
(これは頭の良い手法でもある)
つまり、
日常なのに、こちら側のせいで日常に見えていない場合、
日常描写はものすごく光る。
日常なのに、日常を描いているのなら、
それはやらなくていいことだ。
小泉構文になっているからだ。
日常です、だから日常なのです、
ってなってしまうから、退屈なのだ。
日常です、日常です、日常です、
と三回繰り返したら、「わかったよ」ってなってしまうだろう。
日常です、そんな日常に事件です、
ってなるのが映画だ。
つまり、
「これはいつもの日常だろうか?」
となるときに、日常描写が役に立つというわけだ。
そしたら、「何か異変は起きていないか?」
と、目を皿のようにして観察するだろう。
普段の電車に乗っている光景なのだが、
何か違ったことはないか?
となるのだ。
8番出口と同じだね。
エイリアンの妊娠ではない場合を考えたとしても、
好きな女の子が電車に乗って来る、
いつもの幸福な光景が、
今日に限って、
彼女が男と親しく笑いながら電車に乗ってきたら、
日常は崩壊するわけだ。
そして次の日、彼女が一人で電車に乗ってきたら、
もういつもの日常の風景ではなくなるわけだ。
あるいは、
「人の寿命が数字として見える能力」を得てしまった男が、
電車に乗っていつもの日常をみたら、
色んな人の数字が見えてしまう、
というのは良く見たことがあるだろう。
これも日常を生かしているわけだ。
また、一度世界が滅びたが、
世界線を戻して、世界を救ったとしよう。
その後普通に電車に乗って、
何も変わっていない日常の光景を見るだけで、
涙が出てくるではないか。
そんな風に描写は使うのだ。
描写が生きるのは、
「今どういう状況?」というときだ。
そしてそれは心配しているとき、
と言ってもいい。
「今周囲を確認しなければ」
という意図がない限り、描写は不必要だ。
どんどん先へ進め。
そして、「落ち着いてよく回りを見ろ」があって、
初めて描写を挟むとよい。
それまでは描写なしでも、
ストーリーは進めることができると思う。
ストーリーが始まったとき、
「この主人公はどういう人だろうか」
と観察し始める。
ファーストシーンはまあ日常描写でいいよ。
あ、普通の人なんだ、という説明だからね。
でも二番目のシーンでも描写していたり、
ファーストシーンの描写がものすごく長かったら、
退屈が始まる。
映画には、刺激を求めてきているのだから、
退屈は敵である。
それは、「その日常に興味があるとき」だけだ。
たとえばその日常が知れていない、アイドルの日常とか、
スパイの日常とか、
忍者の日常とか、
日本一の空手家の日常とかは、
面白そうなので描写が見たいところだ。
つまり、需要もないところに描写を挟むべきではない、
需要をつくれ、
ということでまとめようか。
2026年05月14日
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