小学一年生などですでにドラえもんを知っていた僕は、
「たっぷりドラえもんを読める雑誌」というふれこみで発売された、
コロコロコミック第一号を、母にねだって買ってもらった。
あの頃の本屋さんは、くるくる回る黄色いマガジンラックに、
テレビマガジンとかテレビらんどとか小学1〜6年生があって、
そこではない平積みのところにコロコロがあったと思う。
(ゲームセンターあらしも轟け一番もへんちんポコイダーも、
おじゃまユーレイくんもアカベーも大好きだったが別の話だ)
どの漫画誌にもない分厚い漫画で、
僕はそこでたっぷりドラえもんに浸かった。
大山のぶ代版のアニメが始まったのもその頃で、
僕は7歳、小学一年生だった。
6:45〜7:00の帯枠だったよねたしか。
どら焼きが大好物になり、
母に買ってもらったどら焼きをスタンバイして、
劇中にドラえもんが食べるシーンがあれば同時に食べる、
という謎習慣を自分で作ってた小学生だった。
(劇中で食べなかったときどうしてたんだ。
やっぱり食ったのかな。次の日に持ち越したかな)
大長編と称して、恐竜の卵の化石をタイム風呂敷で孵した赤ちゃんを、
タイムマシンで恐竜時代に帰す大冒険をワクワクして読んだ。
「のび太の恐竜」だ。
それがアニメ映画になって、
それが僕が初めて自分から親に「見たい」とねだった映画だった。
僕の中では、漫画もアニメもテレビも映画も、
ひとつづきの財宝である。
ついでにどら焼きもだ。
理系に進んだのは、ドラえもんを読んだからだ。
人工知能を専攻したのは、ドラえもんを読んだからだ。
映画業界に来たのは、ドラえもんを読んだからだ。
藤子F不二雄が亡くなったのは大学在学中だった。
気づけば大山のぶ代も小原乃梨子もたてかべ和也も肝付兼太も、
鬼籍に入った。
それでもまだ、コロコロにはドラえもんが載ってたんだ。
49年経つと、7歳は56歳になるんだ。
僕の人生のほとんどを、連載してくれててありがとう。
おつかれさまでした。
僕らはこれよりおもしろいものをつくらなければ、
ドラえもんの読者だといえない。
どら焼き食べてがんばります。
自分的ベストは、さようならドラえもんだよなやっぱ。
安心して未来に帰れるように、
僕は歯を食いしばるんだ。
2026年04月15日
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