僕は部屋の中でこもってないで、
たまに外で書くことがある。
人が話しているさまを見て、
この人たちがどういう映画ならおもしろそうと思うか、
どういう場面ならハッと思うか、
どういう場面ならどういう予想をして、
どういうどんでん返しならやられたーと思うか、
なんてことを想像する。
自分が喜ぶものを書くのがついつい癖だけど、
届けた先の人たちが喜ばないと意味がない。
もちろん、顔色を伺いすぎるキョロ充作品なんてクソで、
文を貫いてその熱にやられてみんなついてこないような作品はつまらないのだが、
置き去りにしてしまっては位置がない。
道行く、急ぐ、あるいはダラダラ歩く、
こういう人たちがどういう風に考えて、
どういうものなら夢中になるか、
どういうものへ夢中にさせるために、
どういう段取りでどんどん夢中にしていけるか、
ということを考えるために、
街の遊歩道でベンチに座ったり、
カフェでおしゃべりを眺めたりする。
昔ユーミンがファミレスで、
後ろの席の女子高生のおしゃべりを聞いて歌詞を書いた、
という伝説があるけど、
たまにカフェでいろんな人たちの話に耳を傾けていることがある。
どんなことを心配しているのか。
どんなことに夢中なのか。
どんなことは暗黙の了解で、
どんなことは知らないのか。
映画や漫画やドラマの感想をおしゃべりしてくれたら最高だ。
ああ、あの映画のここは分かっていないんだとか、
ここはこんなに感動してくれるんだとか、
ここはこんなに夢中になってくれるんだとか、
そういうものを観察する。
人は娯楽に飢えている。
とくに、めっちゃ面白いものにだ。
だから、
「ちょっとでも面白いもの」には、
必要以上に食いついている感触がある。
飽食のときには何もいらないかもしれないが、
腹が減っているときはなんでもうまくて、
ちょっとでも希望があれば拡大して楽しむ、
みたいなことだ。
僕はつい、
これまでの歴史を塗り替えるものではないと、
つくる意味がないと考えるけど、
ほとんどの人はエンターテイメントの歴史家ではないから、
歴史的かどうかは気にしていない。
「あの、あれはよかった」と思うのみである。
そういう、
ごく普通の感覚は、
とくに業界にいると感じなくなってしまうので、
なるべく違う普通の人の、
あるものを見た感想を、
聞くのが好きだったりする。
そして普通の人はそんなに言語化が上手じゃないので、
僕らみたいに同じ映画で何時間も話すことはなくて、
2〜3分で終わっちゃう。
映画とはそんなものである。
だけど、
そんなものでも心に深く根差していて、
一生大事にしたりするんだよね。
朝までしゃべり倒したものと、
3分しかしゃべらなかったものは、
価値は同じだ。
その人にとって大事であれば大事なのだ。
僕らはついつい、
とても良いものは朝までしゃべりたくなるのだが、
そんな人はまれで、
好きなものについてたくさんしゃべるだけの語彙を、
普通の人は持っていない。
ネットでもそれは分かるのだが、
リアルで見るとそれが顕著にわかる。
彼らは評論家ではない。
お客さんである。
お客さんが喜ぶものをつくるべきだ。
評論家が喜んでも、
お客さんが喜ばないと意味がない。
それを忘れないために、
僕はときどきカフェやベンチで、
よく人の話を盗み聞きしている。
あるいは、彼らの喜ぶ顔や、
話が見えなくて退屈しているさまを、
想像したりする。
どういうのなら夢中になる?
どういうのなら興味がわく?
どういうのなら飽きてしまう?
僕はよく「おかんの顔を思い出す」をやる。
おかんでもわかるやつをつくらなければならない。
それは、見る人はプロではないという意味だ。
プロではないからこそ、
素直で、正直だ。
良いものには夢中になり、
詰まらないものは飽きて捨てる、
ごく普通の素直な反応をする人たちだ。
とくに、
まだ見たことのないものについて、
「えー、おもしろそうー」というポイントは、
よく耳を傾けるべきだと思う。
制作者が「これは受けるぞ」と期待しているポイント、
たとえば「○○と○○が恋人役!」とか、
全然かすりもしていないところを、
企画した人は見るべきだと思う。
案外、
見ている人は、
「これが自分にも起きたらどうするだろう?」と、
自分の意見を組み立てているものだ。
そういう妄想を起こさせるのが、
面白いツカミということになるね。
ほとんどの人は語りまくりたい厄介ヲタクではない。
だからこそ、
フラットな目で見てくれる。
その素直な目を、裏切るべきではない。
気持ちよく裏切れば、拍手してくれるよ。
素直な感動、素直な笑い、
素直なハラハラドキドキが、
一番求められている。
恥ずかしがってないで、
それをストレートに出していくほうが、
わかりやすいと好まれる。
そう、たぶん、「わかりやすい」は、
彼らが好むものだ。
それは「バカにも理解しやすい」
ということを言っているのではなくて、
「おもしろい」と言っているのだ。
2026年06月06日
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