人間には五感がある。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚である。
映像はそのうち視覚と触覚しか使っていないから、
限定された、未熟なメディアである、
とする論がある。
僕は、それは映像をよくわかってない、素人だと思う。
なぜなら、味覚、触覚、触覚は、
ある程度再現できるからだ。
味覚を再現することは、
CMやグルメ特集や食べるシーンで、
かなりできる。
間接表現で、だ。
もちろん味そのものを直接観客に再現させることは難しい。
だけど、
「それを食べたい気分」
「それを食べた後の気分」なんかは、
映像や言葉で表現できる。
宮崎駿はその達人で、
カリオストロの城でのミートボールスパゲティの取り合いや、
ハウルだっけ、のパンの上に目玉焼きが乗ってて、
それを落とさないように食べる様は、
「それを食う喜び」を、我々の脳内に再現できる。
彼の表現はほかにないものを求めるが、
ベタな直接表現もある。
「肉が焼けているさま」を見るだけで、
「その肉がスッと切られるさま」を見るだけで、
我々は「うまそう」と思うものだ。
視覚と聴覚だけで、
牛の焼ける匂いや味を思い出すわけだね。
CMでもよくあるけど、
清涼飲料水を飲む音の「ゴクッ」や、
炭酸のシュワーという音や絵は、
それだけで我々の飲む感覚を思い出させるわけだ。
あるいはカンカンに暑い日、
部活の後の水道で顔を洗った後に飲む水は、
その絵を見るだけで思い出せるよね。
出しっぱなしになってる水の音や歓声は、
それだけでうまさがわかる。
こうした、
「前後や周囲の体験を思い出させる」ことに、
映像や言葉は適している。
水のうまさを表現するのに、
上では水ではなく周囲のシチュエーションを使った。
これは間接表現だ。
言葉はとくになんでもいえて、
「海が詰まってる」なんて、
海鮮丼に醤油をかけながらいえば、
もうそれだけでうまそうに見えるよね。
わさびをちょいとつけて、でさらにうまく見えるし、
ここで柚子胡椒や麦味噌を少しつけるんです、
なんてやると別のうまそうもやってくる。
アルコールもCMなどで発達している。
ウィスキーのゆったりした大人の酔いは、
サントリーが得意だ。
ロックの氷の、カランとなる動き、
誰が発明したか分からないけど、
大人の雰囲気あるもんね。
(あれ撮影するの大変なんだよな)
強いアルコールと氷がまざり、
液体の中にモヤモヤができたり、
それがライトに照らされて影を落としたりするのも、
アルコールの酔いの世界を表現できる。
また、「酔った時の世界」を、
斜めに傾いたセットなどで表現したり、
ピンクの象がやってきたりすることでも表現できる。
ブスと飲んでたら美人女優に変わってもいい。
嗅覚にもいろいろある。
美味そうな料理は記憶からにおいを思い出させる。
美人の長髪が風になびけば、
シャンプーのいい匂いが脳内に出てくる。
雑巾やドブの泡はくさそうだし、
猫の肉球や木漏れ日はいい匂いを思い出す。
映像では微妙だが、
言葉で「雨の降り出す時の匂い」
「本を開いた時のインクや紙の匂い」
「新築の家の匂い」
「ビニール袋の匂い」と言えば、
それだけで思い出す事が可能だろう。
触覚はどうか。
たとえばクレーンショットは、
浮遊感を感じる事ができる。
空撮やドローンは、空を飛ぶ感覚を得られる。
手持ちカメラは不安を煽る事ができる。
カメラを傾いた状態にする(ダッチアングル)と、
不安を暗示できる。
熱いものや冷たいもの、汗をかいてるなどで、
暑さ寒さを表現できる。
金属製で尖ったものがシャリッとこすれれば、
痛そうって思えるし、
ボール紙がガサガサいえばガサガサしてそうと思える。
右に美女、左に高級車とカメラがパンすれば、
その位置関係の空間感覚が我々の中に入る。
京都に住む人限定だけど、
「比叡山の方向」というだけで、
方角感覚(北東)がわかるものだ。
あるいは音楽で、
様々な感情を表現できる。
春の穏やかな日差しの気分を、
音楽だけで表現できるよね。
単なる視覚情報、聴覚情報だけでなく、
組み合わせることで、
色んな五感を刺激できるわけだ。
映像は視覚と聴覚しかないから、
限られたメディアである、
なんていう人は、
間接表現の豊かな世界を知らない。
家に帰ってドアを開けたと思ったら、
そこは動物園だった、
みたいなことで、
めまい的な混乱すら表現できる。
小説においては、
視覚も聴覚もないから、
こうした五感を刺激するように書けといわれる。
その間接表現をまなぶと、
直接それを撮影したり録音するだけではない、
別のもので別のものを想起させる表現を考える事ができる。
下世話な話であるが、
「北北西に進路を取れ」の有名なラストシーンは、
夜行列車がトンネルに入るカットで、
セックスを表現している。
こんなふうに視覚で例え話をすることもできる。
結局、
「人間の想像力に訴えるもの」が一番強い。
直接表現するよりも、
間接的に表現したほうが強いのである。
これは、監督が考えることもあるし、
脚本家が考えることもある。
脚本家は因果関係だけ考えとけという話もあるし、
言葉を操れ、ト書きを書けるのは脚本家なのだから、
脚本家こそが考えるべきだという話もある。
おもしろげなもの、強いものをもってくれば、
五感を刺激するものになるだろう。
以前書いたもので、
「次は防具なしの木刀試合をします」と、
スイカを木刀で割ってみせるのを書いた事がある。
頭を割る痛みや恐怖や狂気を示しているわけだね。
飛び散ったスイカの赤い汁が顔について、
ツツーッと垂れてくる絵で、その狂気や残忍さを表現できる。
木刀に返ってくる「頭を割った感覚」まで、
伝わってくるだろう。
こんなふうに、視覚と聴覚とことばを組み合わせて、
間接表現で、
それ以外の感覚も出せるわけだ。
それは文脈とあいまっているから、
脚本家の仕事だと僕は思う。
(もちろん監督が取捨選択していいけど)
2026年04月25日
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