2026年04月25日

映像は視覚と聴覚のメディアというのは嘘

人間には五感がある。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚である。
映像はそのうち視覚と触覚しか使っていないから、
限定された、未熟なメディアである、
とする論がある。

僕は、それは映像をよくわかってない、素人だと思う。
なぜなら、味覚、触覚、触覚は、
ある程度再現できるからだ。


味覚を再現することは、
CMやグルメ特集や食べるシーンで、
かなりできる。

間接表現で、だ。

もちろん味そのものを直接観客に再現させることは難しい。
だけど、
「それを食べたい気分」
「それを食べた後の気分」なんかは、
映像や言葉で表現できる。

宮崎駿はその達人で、
カリオストロの城でのミートボールスパゲティの取り合いや、
ハウルだっけ、のパンの上に目玉焼きが乗ってて、
それを落とさないように食べる様は、
「それを食う喜び」を、我々の脳内に再現できる。

彼の表現はほかにないものを求めるが、
ベタな直接表現もある。
「肉が焼けているさま」を見るだけで、
「その肉がスッと切られるさま」を見るだけで、
我々は「うまそう」と思うものだ。
視覚と聴覚だけで、
牛の焼ける匂いや味を思い出すわけだね。

CMでもよくあるけど、
清涼飲料水を飲む音の「ゴクッ」や、
炭酸のシュワーという音や絵は、
それだけで我々の飲む感覚を思い出させるわけだ。

あるいはカンカンに暑い日、
部活の後の水道で顔を洗った後に飲む水は、
その絵を見るだけで思い出せるよね。
出しっぱなしになってる水の音や歓声は、
それだけでうまさがわかる。

こうした、
「前後や周囲の体験を思い出させる」ことに、
映像や言葉は適している。
水のうまさを表現するのに、
上では水ではなく周囲のシチュエーションを使った。
これは間接表現だ。

言葉はとくになんでもいえて、
「海が詰まってる」なんて、
海鮮丼に醤油をかけながらいえば、
もうそれだけでうまそうに見えるよね。
わさびをちょいとつけて、でさらにうまく見えるし、
ここで柚子胡椒や麦味噌を少しつけるんです、
なんてやると別のうまそうもやってくる。


アルコールもCMなどで発達している。
ウィスキーのゆったりした大人の酔いは、
サントリーが得意だ。

ロックの氷の、カランとなる動き、
誰が発明したか分からないけど、
大人の雰囲気あるもんね。
(あれ撮影するの大変なんだよな)

強いアルコールと氷がまざり、
液体の中にモヤモヤができたり、
それがライトに照らされて影を落としたりするのも、
アルコールの酔いの世界を表現できる。

また、「酔った時の世界」を、
斜めに傾いたセットなどで表現したり、
ピンクの象がやってきたりすることでも表現できる。
ブスと飲んでたら美人女優に変わってもいい。


嗅覚にもいろいろある。
美味そうな料理は記憶からにおいを思い出させる。
美人の長髪が風になびけば、
シャンプーのいい匂いが脳内に出てくる。
雑巾やドブの泡はくさそうだし、
猫の肉球や木漏れ日はいい匂いを思い出す。

映像では微妙だが、
言葉で「雨の降り出す時の匂い」
「本を開いた時のインクや紙の匂い」
「新築の家の匂い」
「ビニール袋の匂い」と言えば、
それだけで思い出す事が可能だろう。


触覚はどうか。

たとえばクレーンショットは、
浮遊感を感じる事ができる。
空撮やドローンは、空を飛ぶ感覚を得られる。
手持ちカメラは不安を煽る事ができる。
カメラを傾いた状態にする(ダッチアングル)と、
不安を暗示できる。

熱いものや冷たいもの、汗をかいてるなどで、
暑さ寒さを表現できる。

金属製で尖ったものがシャリッとこすれれば、
痛そうって思えるし、
ボール紙がガサガサいえばガサガサしてそうと思える。

右に美女、左に高級車とカメラがパンすれば、
その位置関係の空間感覚が我々の中に入る。

京都に住む人限定だけど、
「比叡山の方向」というだけで、
方角感覚(北東)がわかるものだ。


あるいは音楽で、
様々な感情を表現できる。
春の穏やかな日差しの気分を、
音楽だけで表現できるよね。


単なる視覚情報、聴覚情報だけでなく、
組み合わせることで、
色んな五感を刺激できるわけだ。

映像は視覚と聴覚しかないから、
限られたメディアである、
なんていう人は、
間接表現の豊かな世界を知らない。

家に帰ってドアを開けたと思ったら、
そこは動物園だった、
みたいなことで、
めまい的な混乱すら表現できる。



小説においては、
視覚も聴覚もないから、
こうした五感を刺激するように書けといわれる。

その間接表現をまなぶと、
直接それを撮影したり録音するだけではない、
別のもので別のものを想起させる表現を考える事ができる。

下世話な話であるが、
「北北西に進路を取れ」の有名なラストシーンは、
夜行列車がトンネルに入るカットで、
セックスを表現している。
こんなふうに視覚で例え話をすることもできる。


結局、
「人間の想像力に訴えるもの」が一番強い。
直接表現するよりも、
間接的に表現したほうが強いのである。


これは、監督が考えることもあるし、
脚本家が考えることもある。

脚本家は因果関係だけ考えとけという話もあるし、
言葉を操れ、ト書きを書けるのは脚本家なのだから、
脚本家こそが考えるべきだという話もある。

おもしろげなもの、強いものをもってくれば、
五感を刺激するものになるだろう。


以前書いたもので、
「次は防具なしの木刀試合をします」と、
スイカを木刀で割ってみせるのを書いた事がある。
頭を割る痛みや恐怖や狂気を示しているわけだね。
飛び散ったスイカの赤い汁が顔について、
ツツーッと垂れてくる絵で、その狂気や残忍さを表現できる。
木刀に返ってくる「頭を割った感覚」まで、
伝わってくるだろう。

こんなふうに、視覚と聴覚とことばを組み合わせて、
間接表現で、
それ以外の感覚も出せるわけだ。

それは文脈とあいまっているから、
脚本家の仕事だと僕は思う。
(もちろん監督が取捨選択していいけど)
posted by おおおかとしひこ at 06:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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