2026年04月24日

【薙刀式】そういえばローマ字ってほとんど清濁別置だよね

カナ配列では、清濁同置、別置の議論がよくあるが、
ローマ字は大体アルファベットを平たく並べるので、
たいてい清濁別置だ。

レイヤーに積んで濁音レイヤーとかにしないと、
そうならないね。


僕が清濁同置派である根拠は、
連濁現象だ。
「はながつまる」のと「はなづまり」の、
つ、づは同じ位置であるほうが、
言葉に対して本質的だと思うからだ。

これは単に発音がやりやすい、というだけの、
「同じ言葉」だからね。

畳語においても、
「ときどき」など、ふたつめが濁音化することがある。

あるいは、半濁音化もある。
「いっぱつ」「いっぽん」などなど。

なので、清濁半濁はすべて同じ位置であるほうが、
言葉に対して正確だと思う。
ただし、現実的には清濁半濁の3種をおなじ位置にすることは、
結構難しい。
だから隣位置にするのが、よくある現実解になる。

大西配列を僕が評価するのは、
この考え方が徹底しているからだね。
清濁半濁を中下上にそろえていることで、
子音が整理されていると感じる。

頻度だけで考えると、
隣置は崩すべきだろう。
でも意味(というか役割とか活用に近いこと)で、
整理したという点で、大西配列の清濁半濁は、
意味論的配列だと言える。

いっぽん、にほん、さんぼんなんて、
法則性のないややこしい清濁半濁の関係を、
上下に並べているのは美しいと思う。

このへんを、
頻度優先でばらしてしまうと、
じゃあカナ配列でいいんじゃね?
ローマ字である意味ある?などと思ってしまう。
英語配列用にばらすのはいいけれど、
ローマ字用としてばらして、
どの程度効果があるのか、
よくわからないんだよね。
そこで戦うくらいなら、もっといいものをカナでつくれるんじゃね?
と思ってしまうのよね。


頻度優先は、
結局確率論的な方法論であり、
意味論的な方法論から遠ざかると思う。

清濁同置のローマ字
(カタナ式、mato式など)は、
そもそも打鍵範囲を狭めようてしてレイヤー化したけど、
案外意味論的に有効という副産物を得ている。

ローマ字の意味論はあまり取りざたされないが、
他にもあるかもだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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