カナ配列では、清濁同置、別置の議論がよくあるが、
ローマ字は大体アルファベットを平たく並べるので、
たいてい清濁別置だ。
レイヤーに積んで濁音レイヤーとかにしないと、
そうならないね。
僕が清濁同置派である根拠は、
連濁現象だ。
「はながつまる」のと「はなづまり」の、
つ、づは同じ位置であるほうが、
言葉に対して本質的だと思うからだ。
これは単に発音がやりやすい、というだけの、
「同じ言葉」だからね。
畳語においても、
「ときどき」など、ふたつめが濁音化することがある。
あるいは、半濁音化もある。
「いっぱつ」「いっぽん」などなど。
なので、清濁半濁はすべて同じ位置であるほうが、
言葉に対して正確だと思う。
ただし、現実的には清濁半濁の3種をおなじ位置にすることは、
結構難しい。
だから隣位置にするのが、よくある現実解になる。
大西配列を僕が評価するのは、
この考え方が徹底しているからだね。
清濁半濁を中下上にそろえていることで、
子音が整理されていると感じる。
頻度だけで考えると、
隣置は崩すべきだろう。
でも意味(というか役割とか活用に近いこと)で、
整理したという点で、大西配列の清濁半濁は、
意味論的配列だと言える。
いっぽん、にほん、さんぼんなんて、
法則性のないややこしい清濁半濁の関係を、
上下に並べているのは美しいと思う。
このへんを、
頻度優先でばらしてしまうと、
じゃあカナ配列でいいんじゃね?
ローマ字である意味ある?などと思ってしまう。
英語配列用にばらすのはいいけれど、
ローマ字用としてばらして、
どの程度効果があるのか、
よくわからないんだよね。
そこで戦うくらいなら、もっといいものをカナでつくれるんじゃね?
と思ってしまうのよね。
頻度優先は、
結局確率論的な方法論であり、
意味論的な方法論から遠ざかると思う。
清濁同置のローマ字
(カタナ式、mato式など)は、
そもそも打鍵範囲を狭めようてしてレイヤー化したけど、
案外意味論的に有効という副産物を得ている。
ローマ字の意味論はあまり取りざたされないが、
他にもあるかもだ。
2026年04月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

