2026年05月10日

【薙刀式】手の中に入っているという感覚

新配列のブラインドタッチをやるときに、
これを目指すべきじゃね?という話をしてみようか。


ブラインドタッチはどこで覚えるのか?
脳ではなく、体で覚えるのだ、
という話をよくする。

配列図を丸暗記する行為は、
ブラインドタッチの方法論からしたらナンセンスであり、
早く習得することの邪魔にすらなる。
体で覚えるべきことに脳を経由しなければならないことは、
条件反射を遅らせて、条件反射の習得も遅らせる。
「鎌倉幕府の誕生は?」に対して考えていてはだめで、
1185年と条件反射で答えらないと意味がない。
(我々の世代では「いいくにつくろう鎌倉幕府」と1192で覚えていたが、
今は解釈が異なり、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年をもってそうするらしい、
まで考えてから答えていては、
文字を書く速度としては遅いのである)

だから、
頭で覚えるな、体で覚えろ、
というのだが、
もっと体の場所を限定してみたい。

小脳で、と言ってもいいんだけど、
感覚的には、「手」なんじゃないか、
という話をしてみよう。


文字を書くのは手だ。

手書きのとき、
脳を通して文字を書いているだろうか?
感覚で書いているのではないだろうか?
つまり、体で覚えた文字を書いているのでは?
ということだ。

もちろん忘れたときは、
「えーと、あれとあれがああで……」などのように、
脳を通して復元することがあるが、
何も考えずに書くときは、
書いてみてから判断する、みたいな、
体先行になるはずだ。

で、その「手書きの文字」は、
どこから出て来る?
体で覚えているとして、どこに貯蔵されていて、
反射的に出て来るのだろう?
やはり手なんじゃないかしら。

手癖、みたいな言葉があるように、
感覚としては、手が字を覚えていて、
思いを手が文字として現実化しているのでは、
という気がする。

この領域にブラインドタッチが行けば、
新配列の習得は完成である、
ということだ。

手書きの文字を覚えるときに、
脳で覚えたか?
書いて覚えたはずだ。

漢字ドリルは書いて覚えたはずだ。
書かないと覚えられなかったよね。
それは脳が覚えているわけではないだろう。
反射神経のようなもの、
繰り返して体が覚えるものであったろう。
それは脳というよりも、
「手が覚えている」という感覚なんじゃないか、ということだ。

カナは?
もう昔すぎて覚えていないだろうね。
僕は幼稚園でなんか書いてた記憶がある。
真似して、勝手に覚えたんだと思う。
それも、脳に写真記憶があって、手がそれをなぞる、
というよりは、
勝手に手が動くように、手が記憶したのだと思う。


ということで、ブラインドタッチは、
「手で覚えよう」
「手の記憶部分に入れよう」
という感覚でやったほうがいいんじゃないか、
ということだ。

語学学習のときはどうだっけ?
書いて覚えていない人はいないんじゃないか?

耳で聞いて口でしゃべる場合、
口で何度もしゃべったはずだ。
つまり、口が覚えている状態になっているということだ。
同様に、文字を覚え、
文を書けるようになるには、
脳じゃなくて、手が覚えている状態になるまで、
繰り返して記憶させたのだ。

つまり、文字の記憶は手に宿っている。

この感覚で、ブラインドタッチを覚えるべき、
そうしようぜ、
ということ。


新配列の配列図には、
ある程度理屈があるけれど、
それを覚えても手がとっさに動くわけではない。
パスが来たらとっさに蹴れるような、
反射で動けるようにならなければならない。
それは、手に入っているから出来るのだ。

インストールする先は、だから手だ。
脳じゃない。


どうやったら手に入れられるかな?

まずホームポジションをつくろう。
FJに人差し指を合わせ(ぽっちが基準になる。
無刻印キーボードではないものがある。
そういうときはキーボードと自分の位置関係を毎回合わせて、
構える癖をつけよう)、
中段に指を合わせて、毎回そこに来れるようにしよう。
そこ以外のキーを打ったら、
また戻ってこれるようにしよう。
(実際には毎回戻らずに、ホームポジションから外れたまま数打打って、
戻って来ることも多い)

中段を基準に、
各指の上段、下段の位置を確認しよう。
つまり、標準運指法をしっかりマスターしよう。
右手の人差し指で、中、上、下とうち、また中段に戻ろう。
中指で、薬指で、小指でやろう。右が出来たら、左をやろう。

それが出来る前提で、新配列はつくられている。
そして、中段にある文字を手で打ち、
何が出るかを、一個ずつ手に覚えさせる。
いきなり言葉を打たない。
まずは右手4、左手4の、8キーについて、
手で覚えていく。
とっさにそれが出るようになるまでだ。
8個のボタンを押す、音ゲーだと思えばよい。

慣れてきたら、次はその8個だけで言葉をつくる。
薙刀式なら、
 ろけとか あいうー
なので、
 あい いう とか とう とい
 とけい とろう ろうろう あー うーうー かーかー
など、なんでもよい。
言葉は単音ではなく組合せなので、
それらを組み合わせて出来るだけ言葉をつくると良い。
(薙刀式に関しては、別のやり方がマニュアルにあるので、
それに従ってほしい。
中段をメインにせず、FJ周りの上下段も含めたものを最重視するバランスなので)

こうして、
手が覚えるものの、核をまずつくる。

あとは、
その核から神経を広げるように、
上段、下段のキーを手に入れて、
核と部分をつなげていくイメージだ。

木の根が生えていくように、
友達の輪が広がるように、
神経が発達していくように、
文字同士をつなげていく。

これがうまく行くと、
加速度的に言葉が打てるようになってゆく。
なぜなら、
最初に覚えた核は、
それが合理的な配列ならば、
一番使う場所だからだ。

それを経由して、どんな言葉でも作れるような、
ハブになるカナが置かれている確率が高いので、
根でいえば太い部分に相当する。
なので、常にそれを使いながら、
言葉を打っていくイメージだ。

こうすると、
脳で覚える必要はない。
具体的には、配列図を暗記する必要はない。
手で覚えているものを、
脳を経由せずに手で出せるようになる。
ボールがパスされたら、
考えずに蹴り返すことが出来るように、
脳を経由せずに文字が出る。

つまり、考えたことが文字化するようになる。

それをやるのは、脳ではなく、手だ。

脳は文章内容を考えるだけになり、
それを手が翻訳する状態になる。


手が翻訳というのはもはや感覚がなく、
一瞬に行われる行為なので、
実のところ本人は何が起こっているかまで把握していない。
だけど、確実に考えたことが文字化していく状態が出来上がる。

これが、ブラインドタッチが出来るということだ。


新配列は、この動きが合理的になるようになっている。
qwertyローマ字はこの出来が悪く、
動きはまったく合理的ではなく無駄や無理が多い。
初心者向けの滑らかで簡単なダンスと、
ぎこちない難易度激高ダンスの違いだ。

qwerty配列が厄介なのは、
見た目がかんたんに見えること。
手に入れるための合理性で並んでいないのに、
なんとなくシンプルに見えるから、
手に入れるのもシンプルになると錯覚することだ。

実際、
配列図がより複雑な薙刀式のほうが、
qwertyローマ字よりも手の動きは簡単だと思う。
いくつかの動画で比較しているので観察されたい。
qwertyローマ字のほうが指が飛び飛びになっていて、
かなり打ちづらい動きになっていることが分る。
https://youtu.be/chHqjYsK73w

これよりも、
マスターするべき動きは簡単なのだ。
それを、「手に入れる」のである。

脳で、頭で考える前に動けるか、
ということが、
反射に入っているか、ということだ。
その反射は多分小脳に入っているんだろうけど、
感覚としては、
指の感触から出ていくような、
手と指にあるような感覚だと思う。


だから、
手を切り落とされたとしたら、
薙刀式は僕は打てなくなると思う。
でも義手をつけたら、また打てるようになるかな?
義手がぽろっと外れたら、
どっちに薙刀式があると思うかな?
多分、義手のほうだと思うんだよなー。

手書きの文字も似た感覚だと思う。
手を切り落とされたら、
文字が書けなくなる感覚があるね。
実際には、口でペンをくわえて書けそうだけど、
それは書いた気がしないんじゃないかしら。
同様に義手をつけて字を書けるようになったら、
義手を外したら、義手側に文字がある感覚になると思うなー。

これは、身体拡張の感覚なのかもしれないね。
刀やボールやフラフープが自分の一部になったり、
車の車幅感覚が分るようになったりすることに、
似ていると思う。


配列はつまり、
身体拡張である。

手に拡張を入れる感覚だと思うと、
インストールしやすいのではないか。


だから、
配列図を丸暗記したり、
配列図を見ながら、文字を写植工のように拾って打つ方法は、
誤った学習方法である。

最初から、手に入れる方法論を試してほしい。
posted by おおおかとしひこ at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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